14・・妹
「エミリーは妹なんだ。……8年前の月が二つ重なる夜に妹はいなくなったんだ」
その一言で、彩綾の酔いはすっかり冷めてしまった。
テオの言葉を何度も反復する。
テオさんは妹さんを待っていたんだ。
しゃがみ込んで向かい合っているテオの髪の毛を撫でる手が止まっていたことに気がついた。
「さ、テオさん立って」
なんて言っていいかわからず、とりあえずテオを引っ張って立たせる。
肩を落としているテオの手を振り解くことができずに、手は繋いだまま。
黙っているテオを引っ張るかのようにして彩綾の家の前までやってきた。
どうしよう……家についたけれど、このままテオを家に帰せない。
「テオさん、お茶を入れます。どうぞ家に上がってください」
有無を言わせない調子でテオを部屋にあげた彩綾は、やかんに水を入れお湯を沸かしながらこっそりとテオの様子を観察した。
ソファに座っているテオは珍しくどことなくぼんやりしたままだ。
エミリーさんが妹さんだったなんて……。
ライリーさんも言ってた……よね。
異世界に行ったかもしれない居なくなった人のことを『今も探し続けている人はいるよ』って。
テオさんの妹さんのことだったんだ。
お湯が沸いている音で物思いから我に返った。
紅茶を淹れたカップをそっとテオの前におき、自分のカップを持ってテオの横にそっと座った。
「8年前、16才だった妹が突然居なくなったんだ。後から調べたら、その日も月が二つ重なる夜だった」
どこか焦点の合わない虚ろな表情で、ぽつりポツリと話しだした。
「妹は、エミリーは、ずっと異世界に憧れていた。自分の運命の人はこの世界にいない。だから異世界に行きたいんだと。あの年代の夢見がちな妄想だって俺はずっと鼻で笑っていたよ」
運命の人……ここにもエイミと同じような考え方をする人がいたのね。
「……騎士だった父は俺が10歳の時に、遠征先で死んだ。母はあとを追うように病で死んでいった。たった二人の兄妹だったのに……俺はあいつの話をまともに受け取らなかったんだ」
辛そうな顔のテオを見ると胸が苦しくて、彩綾はテオの膝に置かれた手の上に自分のを重ねた。
さっきまでの温かさは消え失せて、指先まで冷え切っている。
「俺は二人の死から逃げるように鍛錬ばかりしていた。エミリーはすごく賢くて、俺がいない間に王宮図書館で異世界の転移の文献を片っ端から読み漁ったみたいなんだ。彼女なりに転移の方法を見つけたみたいで……。16歳のある日、ちょうど月が二つ重なった夜、あいつは俺の前で……消えたんだ」
その情景を思い出したのだろうか。
テオは今にも泣きそうな顔で話し続ける。
「エミリーの体を光が包み込んで……そのままいなくなった。……俺は、もしかしたら国のどこかに転移したんじゃないかと思って、卒業後すぐに第三騎士団に入ったんだ。国中至る所を遠征できるから。娼館に行くのもそういう理由なんだ。売られてないかって……」
そんな思いでテオが遠征をしていただなんて思いもしなかった。
「……遠征先にある全ての娼館を訪ねて、そこにエミリーがいないとわかるとそれはそれでホッとしてしまうんだ……」
テオの榛色の瞳が濡れている。
思わず彩綾は横からテオをギュッと抱きしめた。
8年前というと、まだテオは18歳。
両親を無くして心細い中、妹までいなくなってどれだけ辛かっただろう。心細かっただろう。
これからも遠征に行くたびに、エミリーを探すのだろう。
娼館に行ってエミリーがいないことに安心しながら、エミリーがいないことに胸を痛めるのだろう。
テオの気持ちを考えると、言葉が見つからない。
腕の中に抱え込んだテオの肩が小さく震えている。
彩綾はそっとテオの柔らかな髪の毛を撫で続けた。
§
テオが妹のエミリーのことを話してくれたあの夜から、一気に二人の精神的な距離が近くなった……ような気がする。
今までは、どれだけ仲良くなってもどこまで踏み込んでいいかわからなかった見えない壁や境界線みたいなのが無くなった……という感じ。
彩綾はあの夜、何も考えずに衝動的にテオを抱きしめた。一人孤独に心の傷を抱えるテオに寄り添いたくて……。
暫くしてからテオは気持ちが落ち着いたと言って微かに笑った。
心の中に溜め込んでいる澱を少しでも吐き出して、気持ちが楽になっていればいいなと思う。
彩綾の頬を手の甲でそっと撫でたあと、テオは静かに帰っていった。
あれから二人の間にエミリーの話題は出ない。けれども、彩綾はテオが遠征に行くと聞くたびに胸が苦しくなる。
§
テオの妹の話を聞いてから、テオの妹が読んだであろう王宮図書館にある文献をもう一度最初から全て読み返すことにした。
彩綾やライリーが何か見落としてることがあるかもしれないと思って。
この世界から元の世界に帰る方法があるのなら、エミリーがいるかもしれない世界からこっちに帰る方法だってあるはずだ。
もちろんエミリーがどこの世界にいるかはわからないけれど、彩綾だって元の世界に戻れるとは限らないのだ。
万が一、違う世界へ転移してしまった場合、またここの世界へ戻ってくる必要が出てくるかもしれない。
無駄なことをしているかもしれないとは思ったけれど、かと言って何もしないのも彩綾は嫌だった。
ある朝ライリーの執務室へ向かっていると、前から騎士服を着込んだテオがやってきた。
「あら、テオさん、おはようございます。今から遠征ですか?」
「ああ、近場だから明日には帰ってくる」
「気をつけて帰ってきてくださいね」
いつもそれだけで立ち去るのに、今日に限ってテオはなぜか立ち去り難い様子で視線を泳がせている。
「どうしました?」
「……ライリーに晩ご飯を作っているって聞いたんだが……」
目を彩綾に合わせないままテオがぼそっと言った。
「ライリーさんが向こうのご飯が食べたいって言うからたまに作ってあげているだけですよ」
「たまに?」
今度はジトリと目つきが悪くなる。
「あっ、テオさんも食べたかった……とか?」
戸惑いがちな表情で小さく頷いたテオを見て、笑ってしまった。
「ふふふ……素直に言えばいいのに……」
「……」
クスクス……と笑いが止まらない。
「テオさんに作ったお弁当の話をライリーさんに話したんです。そうしたら、ライリーさんも食べてみたいって言うから作ってあげただけですよ」
テオと一緒に馬で遠出する時、彩綾がお弁当を作って持って行っていた。その話をライリーがひどく羨ましがったから作ってあげただけだ。
彩綾はテオににっこりと笑いかけた。
「いつ作りにいきましょうか?」
「作りに来てくれるのか?」
「あら、食べたかったのではないですか?」
驚いた様子のテオに笑いながら少しだけ意地悪を言うと、必死な様子で「食べたい!」と返してくる。
自分の作るご飯は家庭料理で特別な物ではない。それでも、食べたいと言ってくれるのは素直に嬉しい。
「私の部屋のキッチンはそんなに広くないし、オーブンもないんです。テオさんさえ良ければキッチンをお借りした方が色々作れるかな、と思って……」
「ライリーの家でもつくったのか?」
今度は被せ気味で尋ねてきた。
「いえ、王宮の食堂を借りて作りました。作り方から知りたいってことだったので」
テオの表情が僅かに緩んだように見えた。
「テオさんは私の恩人です。私のご飯でよければいつでも作らせていただきますよ」
「……ありがとう」
少し口の端が上がったテオから「早速だが明日の夜は?」と聞かれる。
「遠征明けでもいいんですか?」
「ああ、明日は午前中にはこっちに戻る」
「じゃ……夕方にいきますね。食べたいものはあります?」
「なんでもいい。彩綾のご飯はなんでも美味い」
しばらく考え込んだ後のテオの言葉に、なんだか嬉しくなってまた知らず知らずのうちに笑みがこぼれた。




