氷土にて。ヴェルグとユーシア。
久しぶりだな。
ヴェルグは魔国と勇国の境、トロットンの街にて行き先を眺めていた。
向かうは、氷土。
そこにネイキッドが居る。
ヴェルグでさえ、その詳細は知らぬ。ローネの辺境を修行場として選ぶほどの男であっても。
氷土はいかなる国の支配下にもない、純粋な野っ原。近場の魔国や勇国も、かの地を占領しようなどという野心はとうに捨てている。
氷王が住んでいるから。
氷土とは、氷王の体温、氷王の魔力の下に構築され、地面から空気からが氷王の完全な影響下に置かれている。
そしてその範囲は、一説には半径数千キロとも言われる。誰も、その全容を知らないのだ。あの魔法王、スガモでも。
そして住まうは、最強の竜。最強の勇者メイストームでさえ倒しきれていない、あるいは魔王をも凌駕する怪物。
その名を、氷王。
それでも、ヴェルグには負ける気は全く無かった。
誘拐犯は恐らく氷王の手の者。氷王の侵略が、いよいよ始まったのだ。人をさらう知恵があったのには驚きだが。
その単純戦力は、おれを超えていない。
敵を全て斬り払って、ネイキッドを救出。それで終わり。
簡単な話だ。
そしてここでおれが騒げば、メイストームの役にも立つ。
奴が出て来れないのは、奴の牽制に当たっている魔族の動向が読めないからだ。万が一、ネイキッドと同じ事をヤヨイにやられれば、律国の屋台骨がへし折れる。
氷土の防衛に当たっている者をおれが倒し、メイストームが他の人類側の人質を取られないよう、囮となる。
単純で良い作戦だ。
考えている間に、到着。
氷原の中にただ一軒の家。
まるで、かつてのローネの、ネイキッドの家のような。
ヴェルグは体力を回復させる丸薬を食べ、水筒の茶を飲み、準備を整えた。ここまで、律国から1時間で来たからな。少々、疲労していた。
戦闘中にリュックからは取り出しにくいので、ベルトにドラゴンドリンクを差し込んで用意。これで戦いながらでも摂取出来る。
コンコン
ノックをして、待つ。先制攻撃、奇襲。なんでも良い。
戦闘になり次第、殺す。
久方ぶりの、戦士ヴェルグの本気。その威だけで、そこらの魔獣は逃げ走るだろう。
キイイ
扉が開く。
魔法、氷の吐息、剣撃。全ての攻撃を待ち構えていたヴェルグの前には、1人の人間が現れた。
名をネイキッド。
戦士ヴェルグの、愛弟子だ。
「ネイキッド。・・・帰るか」
「師匠」
ヴェルグは感覚を全範囲に広げながら、家屋の中の1人に警戒しながら、ネイキッドに笑顔を見せていた。
しかしネイキッドは、頷きはしなかった。
「おれの家族を奪ったのは、あんたなのか?」
「ああ」
「・・・」
ゴ!
ネイキッドの本気の巨大化をこめた右拳。しかし。
パン
ヴェルグは、左手で、片手で簡単に受け止めた。一瞬だけ天風、果敢をかけ、巨大化の威力を完全に殺した。
「ふむ」
そして握り締めたネイキッドの手を引っ張り、体ごと引き寄せ、右拳でネイキッドの腹を打ち抜いた。
お喋りは。帰ってからで良い。
敵地でダラダラするつもりは、無い。
「オ オ!」
が。
ネイキッドの意識は、しっかりしていた。
ヴェルグが意識を刈り取るつもりで放った拳で、ダウンしていない。
ヴェルグは密着状態でのネイキッドの左膝蹴りを躱しながら、ネイキッドの裏に回る。そして右腕で首を締める。
ヴェルグの腕力なら、手で握るだけで人の首など折れるが、それでは困る。ゆえに威力を抑えるため右腕を広く使って落とす。
「分かるかネイキッド。それが戦士の本質。敵ならば、殺すのだ。例え、お前を大事に育て上げた師匠でも。相手が愛弟子であっても」
その冷たい声は、ネイキッドとヴェルグの2人の耳に、はっきりと届いていた。
そしてヴェルグは、本当の敵を見付けた。
家の中に残っていた1人。
今現れた者。
魔族。
腰まで伸ばした黒髪。紫色の瞳。全身から魔力がみなぎっている。ワンピースのように見える衣服だが。この氷結の大地で着用している以上、まともな服ではない。とんでもない防護性能なのだろう。
ヴェルグは、即座に本気を出した。
オ!
掴んでいたネイキッドを振り放し、腰の剣を抜く!
抜き打ち!その剣速は10音速を超え、範囲内全てを斬る!!
ガ、キィ
キン!
だが。ヴェルグの万物を斬り裂く抜き打ちを受けて、敵右腕は、斬れない。腕を滑ったのみ。
そして怖気に襲われたヴェルグは、急いで敵から剣を離した。
ピッ
少し。遅かったが。
「どうだ。戦士ヴェルグ。師弟共々、我らが軍門に下るのも、悪い話ではあるまい?」
ヴェルグは「凍った」左腕の感覚を確かめながら、敵の様子をうかがっていた。
「そうだな。もしもお前が、ヤヨイという名であれば、喜んで下ったろうな」
ダメだ。
左腕が、動かん。果敢をかけてみたが、痛みも何も感じない。
こいつ・・・・。
魔族じゃ、ない。
こいつが、氷王だ。
「戦士ヴェルグよ。その左腕。私なら、治してやれるのだぞ」
上手い揺さぶりだ、とヴェルグは感心した。
今、おれの心は乱れやすい。
左腕の手前。左肩と左脇の辺りで血流をコントロールしながら、なんとか壊死を免れるべく、わずかに生き残っている血管から体温と栄養を伝え続ける。
そして、左腕の自力治癒を続けながら、右腕一本で剣を構える。
「お前を斬ってから、ゆっくりと治すさ」
微笑みをたたえながら。片腕のヴェルグは、それでも危地とは感じていなかった。
魔王ユーシアは、背を伝う大量の冷や汗を努めて意識しないよう、気を張り、しかし表面には絶対に出さないよう懸命に頑張っていた。
荒くなりそうな呼吸を、全身全霊で意識的に抑える。
右腕のガードが間に合わなければ、死んでいた。
次の攻撃を防げなければ、やはり死ぬ。
今の身体性能では、まともにやり合っては追い付けん。
頼むぞ。
水族よ。土石よ。
私と共に生きてくれ!!
天風、見切りを用いても、相手の能力はよく分からない。今までにこの状態になったのは、勇者と魔王のみ。
流石は氷王、だが。
ギ
右腕で大上段、背負うように肩口に構えた名剣バジー。
これで斬れる。
足をたわめ、こちらに飛びかかろうと構えているヴェルグを目の前に、魔王は己に属するもの全てに祈りを捧げていた。
この絶体絶命の窮地に、どうか生存出来るように。
右腕の反応が間に合わなければ、それで私の野心も終わる。
どうか。
この氷の地なら、氷王!貴方に敵う者など居ないはずだ!
氷土を侵す者を共に討とう!!!
この時。
ユーシアは真上から真っ二つにされると予想していた。ゆえに、可能な限り早く頭部をガードするつもりで居た。
しかし。
ヴェルグはそこまで安い手を打ってくれない。
オ!
来た!
見えない!!
ユーシアの視力では、とても追い付けない。ただただ右腕の反応に身を任せるのみ。
フ
ユーシアは体勢を崩しながら、後ろ向きに回転、右腕が左足のあった位置に回った。
このユーシアの意識の回らない動きによって、ユーシアの両足と右肩付け根は骨折、神経も切断。腰骨、あばらも何本か逝っていた。割と瀕死の重傷を、自らの動きによって負った。右腕の動きに、本体が付いて行っていないのだ。
が。
キ
間に合った。そこには、ヴェルグの斬撃が、確かに来ていた。
ガード。成功。
ビキ
ちょっと。
不味いか。
ヴェルグの狙いは頭部、と見せかけて、左足。最も右腕から遠い左半身。そして機動力を削ぐ。怖いのは右腕だけ。
そう思っていたが。
予想より、上。
まさか自身の肉体を痛め付けてまで。
こいつ。
強い。
オ オ オ オ オ
バッ
有利。相手の両腕を凍らせた。戦士たるヴェルグを剣を握れない状態にまで追い込んでいながら、しかし魔王は折れた両足で逃げた。
距離を取り、右拳を突き上げるようにして前に出し、完全防御体勢。
浮遊と走行の同時使用によって、身体への負担は少ない、が。
この私が、こんな無様な姿勢を。
流石は、ヴェルグ。
その剣圧。
あの時から、更に上げて来たか。
「礼を言おう」
凍り付き、上がらなくなった両腕。離す事も出来ず、ぶら下げるだけの名剣。
それで、その状態で、気迫のみで魔王を後退させる男。
ヴェルグが語る。
「お前がこの世の何者だろうと。お前という強者に出会えた事に、感謝する」
ヴェルグはゆるりとユーシアに歩み寄る。
・・・殺される!!!!!
ユーシアは最大の、致命的な恐怖を感じながら、しかし勝利への道を諦めてはいなかった。
ガ
ヴェルグの突進を止める者が居た。ヴェルグの体を抱き留める者が居た。
「ネイキッド。ちゃんと受け身を取れよ」
両の手が効かないながら。ヴェルグは、全く不自由を感じていなかった。
ゴ、オ!!
果敢を一瞬使用。強烈なダッシュと即座の停止により、あっという間にネイキッドを振り払ってしまった。
集中力のない現在のネイキッドはそれで飛ぶ。
地べたを滑り行くネイキッドを見送って、ヴェルグは再度魔王に向き合った。
「待たせたな」
待ってない!!ユーシアは内心で悲鳴を上げつつ、無表情を全力で保ちながら、ヴェルグからの攻めを待っていた。
こちらから攻め込むと、右腕の反応次第では、体の動きに無理が出過ぎて自滅してしまう。背骨が逝ったら、流石に一瞬での修復は無理だ。回復時間に殺されてしまう。
ヴェルグの攻め手は、恐らく、蹴り。あの速度で蹴られれば、それだけでこの肉体はバラバラになってしまう。
だが、蹴りはどうしようもなく、2撃しか有り得ない。2度防げば、ヴェルグの五体は使い物にならなくなる。
こちらが圧倒的に有利!臆する事はない!
ユーシアは目前に広がる勝利の光景に、やっとの事で安心を手に入れようとしていた。
あの男が現れるまでの、数瞬の間は。
風も無く、音も無く。
この世の何者にも縛られぬ男。
「随分と、好き勝手やってんじゃねえか。死に損ないの魔王ごときがよ」
勇者メイストーム、参上。




