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婚約破棄したい令嬢に嫌われようとしたら、何をしても好感度が上がってしまう ――悪役を演じるたび、婚約者が惚れ直してくる  作者: 臥裳斗真


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第二章 2話 婚約者の前で、決闘をする

 翌日の放課後、公式の訓練場には、思っていたよりずっと多くの人が集まっていた。

 剣術科の学生だけでなく、政治科の顔見知りや、魔術科の制服や、名前も知らない下級生までが、柵の周りをぐるりと囲んでいる。

 噂が広がるのは早いもので、それ自体は悪くなかった。


「兄さん」


 観客の後ろのほうで、ユリウスが手を振っていた。


「なぜこんなにいる」


「兄さんが嫉妬で決闘するって、面白すぎるからだよ」


「そうか」


「嬉しそうにしないで」


 柵をくぐって中央へ進むと、アーネストはもう軽装の防具をつけて待っていて、右の靴紐だけが昨日よりさらにきつく結ばれていた。


「準備はいいか」


「ああ」


「今ならやめてもいいぞ」


「やめない」


「一応訊くけど、セシリア嬢はこのこと知ってるのか」


「知らない」


「ますます最低だな」


 そう言われて、少しだけ手応えを感じたときだった。

 観客の一角が、妙なふうにざわついた。

 振り向くと、セシリアがいた。

 すぐ後ろにはマルタも控えている。

 セシリアはまず俺を見て、それからアーネストを見て、もう一度俺を見た。

 そして、ものすごく静かな笑顔になった。

 何か、まずいことをした気がした。


「レオン様」


「ああ」


「あとで、お話がございます」


「分かった」


「逃げないでくださいませ」


「逃げない」


「そういう問題ではございませんわ」


 何に怒っているのかは分からなかったが、決闘を見れば、きっともっと怒るはずだった。


「始めるぞ」


 審判役の上級生が声を張り、俺とアーネストは中央で向かい合った。

 木剣を構え、相手の重心を見る。

 アーネストの右足は、ほんのわずかに後ろへ引かれていた。

 やはり、庇っている。

 開始の合図と同時に、アーネストが踏み込んできた。

 速い。

 右からの一撃を、気づいたときにはもう受け止めていた。

 受けてから思い出す。

 負けるのだった。

 次は左から来る。

 今度こそ避けないと決めたのに、体のほうが勝手に半歩下がり、剣先が鼻先をかすめていった。


「おい」


 アーネストが剣を引いて言った。


「何だ」


「ちゃんとやれ」


「やっている」


「嘘つけ」


 観客から笑いが起きた。

 アーネストがまた踏み込んできて、その右足が、ほんの一瞬だけ遅れた。

 あそこへ打ち込めば崩せる、と頭のどこかが勝手に計算し、体のほうが、その逆の左へ回った。

 アーネストの木剣が空を切る。


「……お前」


 アーネストの顔つきが変わった。


「何だ」


「気づいてるだろ」


「何に」


「右足」


「知らない」


「嘘が下手だな」


 打ち込まれる。

 受ける。

 返せるのに、返さない。

 また打ち込まれて、また避けてしまう。

 観客のどこかから、何をやってるんだ、という声が聞こえた。

 俺もそう思う。

 負けたい。

 だが、痛めている足のほうへ相手を追い込むのは違う。

 なら、別のところで打たれればいい。

 そう決めた瞬間、アーネストが大きく踏み込んだ。

 右足だった。

 踏み込みの途中で足首が沈み、体勢が崩れて、木剣を握る手が緩んだ。

 振り抜いた勢いのまま、剣が手からすっぽ抜けかけていた。

 その先にいるのは俺ではなく、柵際に立つ審判だった。

 考えるより先に、体が動いていた。

 下から木剣を振り上げて、アーネストの剣を弾く。

 乾いた音が一つ。

 折れたのは、アーネストの木剣だった。

 先のほうが回転しながら宙を舞い、柵の手前の地面に落ちて、訓練場が一度に静かになった。


「……すまない」


「いや」


 アーネストは、手元に残った柄だけの木剣を見下ろした。


「助かった」


 審判も、自分のほうへ飛んでくるはずだった剣先の行方を、黙って目で追っていた。

 まずい、と思った。

 このままでは、勝ってしまう。

 俺は自分の木剣を見下ろし、まだ折れていないことを確かめてから、それを足元の地面に置いた。


「続けよう」


 アーネストが固まった。


「……何で置いた」


「お前の剣がない」


「見れば分かる」


「俺だけ持っているのは公平ではない」


「決闘ってそういうものじゃないだろ」


「では、素手で」


「お前、本当に何しに来たんだよ!」


 観客席が沸いた。

 セシリアだけが笑っておらず、扇を握る指の関節が白くなっているのが、ここからでも見えた。

 もっと悪く見えなければならない。

 アーネストが柄だけの木剣を審判に渡しながら言った。


「予備をくれ」


「いや」


 俺は止めた。


「このままでいい」


「何がいいんだ」


「俺は負けたい」


 言ってから、しまったと思った。

 訓練場が、さっきとは違う種類の静けさに包まれた。

 観客の後ろのほうで、ユリウスが額を押さえているのが見えた。

 セシリアは目を閉じていた。

 アーネストは、しばらく黙って俺の顔を見ていた。


「……何だって?」


「いや、忘れてくれ」


「無理だろ」


 審判が、俺たち二人のあいだに予備の木剣を一本ずつ突き出した。


「素手での再開は認めない。両者、予備を取れ」


 当然だった。

 しぶしぶ受け取ると、アーネストもしばらく天を仰いでから、もう一本を受け取った。


「……すごくやりにくいんだけど」


「気にするな」


「気にするよ」


 再開の合図がかかり、アーネストが打ち込んできた。

 今度は、避けなかった。

 右肩に木剣が入り、骨の芯までじんと響いた。


「一本!」


 審判の声が上がった。

 終わりだった。

 負けた。

 肩を押さえながら、俺はようやく少しだけ安心した。

 嫉妬で決闘を申し込み、相手の剣を折り、最後には自分の剣まで一度捨てて負けた男。

 これ以上格好の悪い話は、なかなかないはずだった。


「レオン様」


 背後から、セシリアの声がした。

 振り向くと、彼女は笑っていた。

 笑顔の形が、正確すぎた。


「少し、お話を」


「ここでか」


「今すぐ」



 訓練場の裏手まで連れて行かれた。

 マルタは少し離れた木陰で足を止め、ついてこようとしたユリウスは、セシリアに一度振り返られただけで、何も言わずに回れ右をして戻っていった。


「レオン様」


「ああ」


「どういうおつもりですの」


「嫉妬深い男になろうと思った」


「なぜ」


「嫌われるためだ」


「そこは存じております!」


 声が裏庭に響き、近くの木から鳥が二羽、慌ただしく飛び立った。


「では、何が問題だ」


「全部ですわ!」


 全部と言われると、どこから直せばいいのか分からない。


「まず、どうしてアーネスト様ですの」


「君と長く話していた」


「剣術大会の来賓名簿をお預かりしていただけです。公爵家から何人お招きするか、確かめておりましたの」


「そうだったのか」


「ええ」


「笑っていた」


「名簿の裏に、ユリウス様の河川模型の設計図が紛れ込んでいたんですの。隅に魚の絵まで描いてありましたわ」


「それは笑うな」


「でしょう!」


 ユリウスには、あとで言っておかなければならない。


「それから」


 セシリアが一歩、距離を詰めた。


「負けるおつもりでしたわね」


「分かったのか」


「分かります」


「なぜ」


「十年、あなたの剣を見ておりますもの」


 少しだけ、言葉に詰まった。

 学院に入るずっと前から、家同士の行事のたびに、俺が庭で木剣を振らされているのを、彼女は離れたところから見ていた。

 見ていたことは知っていたが、何を見ていたのかまで考えたことはなかった。


「それなのに」


 セシリアの声が、少しだけ低くなった。


「アーネスト様の右足だけは、一度も攻めませんでしたわ」


「怪我をしている」


「存じております」


「なら」


「負けたいのでしょう?」


「ああ」


「でしたら、最初の一合で隙をお見せになれば済みましたわ。それを、アーネスト様の右足に負担がかからないほうへばかり回って、わざわざ長引かせて」


「長引かせたつもりはない。体が勝手に避けた」


「右足のほうへは、一度もお避けになりませんでしたわ」


「あの足で何度も踏み込ませたら、壊れる」


「決闘を申し込んだのは、あなたです」


「そうだ」


「嫌われたいのも、あなたです」


「ああ」


「負けたいのも」


「そうだ」


「なのに、相手が傷つくのは嫌ですの?」


「傷つける理由がないからな」


 セシリアが、口を閉じた。

 何かおかしなことを言っただろうか。


「……それで、剣まで捨てて?」


「俺だけ持っているのは不公平だ」


「決闘を申し込んだ側が、何を公平ぶっていらっしゃるの!」


 まったくその通りだった。


「とにかく、俺は負けたんだぞ」


「ええ」


 セシリアは、なぜか目を逸らした。


「最高に、格好よく」


「最悪だ」


「こちらの台詞ですわ!」


 そう言い返したセシリアの耳が、舞踏会の夜と同じように、少し赤くなっていた。

 怒りすぎているのかもしれない。


「好感度は」


「お訊きにならないで!」


 即答だった。


「見せてくれ」


「嫌です」


「約束した」


「その約束も、破棄したいですわ」


「婚約と一緒にか」


「今はそういうお話を聞ける気分ではございません!」


 怒鳴られた。

 少し離れた木陰で、マルタが木の幹に額を押しつけていて、肩が小刻みに揺れていた。

 セシリアはしばらく俺を睨んでいたが、やがて観念したように小さく息を吐き、ドレスの隠しから折り畳んだ紙片を取り出した。

 開くと、四十七の下に線が引かれ、その下に新しい数字が書かれていた。


 好感度 61/100


 見間違いかと思って、もう一度見た。

 変わらなかった。


「十四、上がっている」


「数えないでくださいませ」


「前回より一つ少ない」


「そこを分析なさらないで!」


 セシリアは紙片をひったくるように取り返した。


「決闘を申し込んで、負けて、それで上がるのはおかしい」


「私もそう思います」


「なら、下げればいい」


「数字は正直につける決まりです!」


「それは舞踏会の夜に作った決まりだろう」


「もう正式な決まりですわ!」


 正式になったらしい。


「理由を教えてくれ」


「嫌です」


「今後の参考にしたい」


「なおさら嫌です」


 セシリアは紙片を隠しへ押し込んだ。

 耳の赤みは、まだ引いていなかった。


「一つだけ、申し上げておきます」


「ああ」


「次に同じことをなさったら」


「決闘か」


「違います」


 セシリアの視線が、俺の右肩に落ちた。

 さっき木剣が入ったところだった。


「わざと打たれることです」


「今回は必要だった」


「必要ではございません」


「負けるためには」


「必要ではございません」


 同じ言葉を二度言われた。


「……分かった」


「信用できませんわ」


「なぜだ」


「これまでの実績です」


 それには反論のしようがなかった。

 セシリアは踵を返して二歩ほど歩き、そこで、振り向かないまま立ち止まった。


「それから」


「ああ」


「肩」


「肩?」


「冷やしてくださいませ」


「大したことはない」


「冷やしてくださいませ」


「分かった」


「必ず」


「ああ」


 それでようやく気が済んだのか、セシリアは今度こそ歩き出し、木陰で待っていたマルタと並んだ。

 マルタが何か耳打ちすると、セシリアが一度だけこちらを振り返り、目が合った瞬間に、ものすごい勢いで前を向き直した。

 やはり、怒っているらしい。



 翌朝、学院の廊下でアーネストに呼び止められた。


「グランフォード」


「ああ」


「昨日のことなんだけど」


「肩なら平気だ」


「訊いてない」


「そうか」


「右足のこと、気づいてただろ」


「知らない」


「まだ言うのか」


「知らない」


「……まあ、いいけど」


 アーネストは、少しだけ笑った。


「ありがとな」


「何の礼だ」


「審判のほうに剣が飛びかけたときのこととか」


「あれは反射だ」


「それでもだよ」


「決闘を申し込んだのは俺だ」


「そうだな」


「だから、礼はいらない」


「変なやつだな」


「よく言われる」


「いや、たぶんそれは別の意味で言われてると思う」


 アーネストは片手を上げて去っていき、その背中を見送っていると、いつのまにかユリウスが隣に立っていた。


「兄さん」


「ああ」


「昨日の決闘、学院中で噂になってるよ」


「評判は落ちたか」


「上がってる」


「なぜだ」


「古傷を狙わなかったうえに、剣が折れた相手の前で自分から武器を置いたって」


「負けたぞ」


「そこも込みで、相手の名誉を守るために自分から負けを選んだ、って話になってる」


「違う」


「俺に言わないで」


「本当に負けたかっただけだ」


「それはもっと言わないほうがいい」


 また、失敗したらしい。

 俺は手帳を開き、決闘、と書いた行の横に、失敗、と書き足した。

 女遊びの横にも、決闘の横にも、同じ二文字が並んでいる。


「で、次は?」


 ユリウスが訊いた。


「考えている」


「考えなくていいって」


「女遊びも決闘も、相手のいる作戦だった」


「うん」


「相手がいると、どうしてもその人のことを考えてしまう」


「それが兄さんのいいところだと思うけど」


「だから次は、相手のいない作戦にする」


「嫌な予感しかしない」


「金だ」


 ユリウスが、静かに目を閉じた。


「兄さん」


「ああ」


「何する気」


「浪費する」


「頼むから、家の財布まで巻き込まないで」


 それも、難しい相談だった。


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