第一章 2話 婚約者の前で、女遊びをする
王宮の大広間に入ったとき、俺は自分の計画にかなり自信を持っていた。
右にエヴェリーナ、左にクラリス、半歩後ろにロッテを連れて歩けば、どこからどう見ても女遊びをしている男にしか見えないはずだった。
三人とも美しかったし、ロッテのドレスは一晩で縫い上げたとは誰も思わないだろう出来で、淡い灰青色の切れ端を何種類も継ぎ合わせてあるのに、遠目には初めからそういう意匠として仕立てられたようにしか見えなかった。
周りの視線も集まっていて、何人かは明らかにこちらを二度見していた。
成功だと思う。
「兄さん」
柱の陰から、ユリウスが出てきた。
顔色が悪かった。
「どうだ」
「何が」
「女遊びに見えるか」
「兄さん」
「ああ」
「三人全員に、距離取られてる」
言われて見回すと、確かに三人とも、俺から一歩ずつ離れて立っていた。
「なぜだ」
「その質問がもう駄目なんだよ」
「近いほうがいいのか」
「やめて。今から調整しないで」
ユリウスは三人に向かって、深々と頭を下げた。
「すみません、従兄が」
「いいえ」
エヴェリーナが、扇の陰で微笑んだ。
「事情は伺っておりますもの」
「事情?」
「嫌われるそうですわね」
ユリウスがゆっくりと俺のほうを向いた。
「全部話したの?」
「同意を取れと言っただろう」
「言ったけど」
「だから説明した」
「真面目か」
そのとき、大広間の入り口のほうが少しざわついた。
セシリアだった。
白に近い淡い桃色のドレスに、髪には小さな真珠が一粒だけ。
飾り立てていないぶん、かえって周りから浮いて見えて、近くにいた何人かが話の途中で口を閉じた。
「やはり一番だな」
「何がです?」
ロッテが首をかしげた。
「セシリアだ」
三人が、そろってため息をついた。
「ですから、どうしてそれを私たちに仰るんですの」
エヴェリーナに叱られた。
理由はよく分からなかった。
セシリアもこちらに気づいた。
まず俺を見て、それから右のエヴェリーナ、左のクラリス、半歩後ろのロッテと順番に視線を移し、最後にもう一度、俺を見た。
表情は少しも変わらなかったが、こちらへ歩いてくる速さだけが、わずかに上がった。
たぶん、効いている。
「ごきげんよう、レオン様」
「ああ」
「……ずいぶん、お賑やかですこと」
「そうだろう」
「嬉しそうにお認めにならないでくださいませ」
低い声だった。
「こちらの皆様は」
「知り合いだ」
「その程度のことは、見れば分かりますわ」
セシリアの笑顔が、一段きれいに整った。
この人は昔から、機嫌が悪くなるほど笑顔の形が正確になる。
「ご紹介いただけます?」
「もちろん」
一人ずつ名前を告げたが、三人ともセシリアとは顔見知りだったらしく、挨拶はすぐに済んだ。
「それで」
セシリアが扇を開いた。
「この方々をお連れになった理由を、伺ってもよろしくて?」
「女遊びだ」
「レオン様」
「何だ」
「その言葉を、女性を四人も前にして堂々と口になさらないで」
「すまない」
「すぐに謝らないでくださいませ。調子が狂いますわ」
難しい。
エヴェリーナが扇の向こうで笑いを噛み殺し、クラリスは顔を伏せ、ロッテに至っては肩まで震えていた。
セシリアは三人をゆっくりと見回した。
「皆様も、それでよろしいんですの?」
「ええ。私のほうからお願いいたしましたので」
エヴェリーナがそう答えると、クラリスとロッテも、それぞれ短く事情を添えた。
縁談を急ぐ父と、橋の工事で戻れない婚約者と、一晩で縫い上げたドレスの生地代。
一人話し終えるごとに、セシリアの扇が少しずつ下がっていった。
セシリアが、俺を見た。
「レオン様」
「何だ」
「女遊びというのは、何ですの」
「女性を三人連れて歩くことだと、ユリウスが」
「兄さん!」
どこか遠くで悲鳴のような声がして、柱の陰にいたはずのユリウスの気配が消えた。
セシリアは目を閉じ、しばらくそのまま動かなかった。
「それで」
目を開けたセシリアの声は、妙に静かだった。
「まさか皆様に、何か余計なことを仰っていませんわよね」
「余計なこと?」
三人の令嬢が、一斉にこちらを見た。
嫌な予感がした。
口を開いたのはロッテだった。
「セシリア様がいちばんお美しいので、誤解しないように、と」
「ロッテ様」
「事実だろう」
「レオン様」
セシリアの声が一段低くなった。
「……三人ともに、仰いましたの?」
「誤解があると困る」
「誰が何をどう誤解いたしますの!」
珍しく、はっきりと声が大きかった。
近くで杯を傾けていた貴族が何人か振り向き、セシリアはすぐに扇で口元を覆ったが、耳のあたりだけは隠しきれずに少し赤くなっていた。
「……失礼いたしました」
「大丈夫か」
「どなたのせいだと」
「俺か」
「ほかにどなたがいらっしゃいますの」
怒っている。
やはり成功しているのではないかと、俺は少し期待した。
「好感度は下がったか」
三人の令嬢が固まった。
セシリアも固まった。
「……ここで、お訊きになります?」
「確かめておきたい」
「後で」
「見せてもらえるのか」
「後で、と申し上げました」
怒られた。
悪くない。
そのあと、予定どおりエヴェリーナと一曲踊った。
曲の途中で、エヴェリーナの父親らしい恰幅のいい伯爵が壁際から食い入るようにこちらを見ているのに気づいたので、一礼しておいた。
二曲目はクラリスと踊り、踊り終わって壁際へ戻る途中で、扇の陰からクラリスのほうを見てひそひそと話していた婦人たちがいたので、立ち止まって、彼女の婚約者は今、去年の春の増水で流された橋を架け直しているところだと説明した。
余計なことだったかもしれないが、間違ったことを言われたままにしておくのは、どうにも落ち着かなかった。
三曲目はロッテで、踊っているあいだ、ロッテは裾を踏まれないかとそればかり気にして、ほとんど俺の顔を見なかった。
婚約者以外の女性と三曲続けて踊ったのだから、俺の評判はかなり落ちたはずだ。
三曲目を終えて戻ると、ユリウスが柱の陰で待っていた。
「どうだった」
「エヴェリーナ嬢のお父上、兄さんに感謝してたよ」
「なぜ」
「娘が自分から縁談の話をしてきたの、初めてなんだって。少なくとも、今月中に決めるって話は取りやめたらしいよ」
「そうか」
「クラリス嬢の婚約者の家からも、使いの人が来てた」
「何の使いだ」
「橋の工事で戻れない事情を、兄さんが周りにちゃんと説明してくれたおかげで、変な噂が収まりそうだって。お礼に、架け直した橋の渡り初めに招待したいってさ」
「それはよかった」
「よくない」
「なぜ」
「女遊び作戦だからだよ!」
忘れていた。
「ロッテは」
「さっきから令嬢たちに囲まれてる」
「人気なのか」
「ドレスの注文が七件入ったって」
「それはすごいな」
「兄さん」
「ああ」
「何しに来たんだっけ」
「嫌われるためだ」
「成果、ゼロだよ」
「まだ分からない」
肝心なのはセシリアの採点で、それはまだ見せてもらっていなかった。
舞踏会が終わりに近づいたころ、人の少ない回廊で、ようやくセシリアを見つけた。
すぐ後ろにはマルタが控えていて、俺の顔を見るなり、なぜかひどく楽しそうに目を細めて一歩下がった。
「結果を見せてくれ」
「嫌です」
「約束した」
「見せてほしいと仰ったら見せる、とは申し上げましたけれど、必ず見せるとは申し上げておりませんわ」
「そうだったか」
「……嘘ですわ」
セシリアは小さく息を吐いて、ドレスの隠しから折り畳んだ紙片を取り出した。
茶会の日に見たのと同じ紙で、開くと一行目の数字に線が引かれ、その下に新しい数字が書き足してあった。
好感度 47/100
しばらく、その数字を眺めた。
「上がっている」
「見れば分かりますわ」
「十五も」
「いちばん困っているのは私です」
「なぜだ」
「こちらが伺いたいですわ!」
また声が大きくなり、セシリアは回廊の左右を確かめてから、声をひそめた。
「女遊びをなさると仰ったではありませんか」
「した」
「困っている方の相談に乗って、噂まで止めて回って、そのうえ最後に私がいちばんだと言いふらすことを、世間では女遊びとは申しませんの」
「では何と言う」
「女性に誠実、と申しますわ」
「それは困る」
「私も困っています!」
マルタが回廊の柱のほうへ顔を背けた。
肩が小刻みに揺れていた。
「下げられないか」
「何をです」
「好感度」
「数字は正直につける決まりです」
「そんな決まりを作った覚えはない」
「今、作りました」
「そうか」
セシリアは紙片を畳み直したが、その手つきは少し乱暴だった。
「次は、もっときちんとなさってくださいませ」
「きちんと嫌われろ、ということか」
「そうですわ」
「分かった」
「……本当に分かっていらっしゃいます?」
「次は失敗しない」
そう答えた途端、なぜかセシリアの機嫌はさらに悪くなった。
「……そういうところですわ」
「何がだ」
「もう結構です」
セシリアは踵を返して歩き出し、数歩進んだところで、振り向かないまま立ち止まった。
「それから」
「ああ」
「今夜のロッテ様のドレス」
「綺麗だったな」
「ええ。とても」
少しだけ、間があった。
「ですが、次にほかの女性へ服をお贈りになるときは、せめて婚約者にも一言くださいませ」
「生地代だけだ」
「そういう問題ではございません!」
今夜三度目の大きな声を残して、セシリアは今度こそ振り返らずに回廊の向こうへ消えていった。
マルタが去り際に一度だけこちらを振り返り、口の形だけで、なにか言った。
読み取れなかった。
翌日、学院へ着くと、ユリウスが机に突っ伏していた。
「どうした」
「兄さんのせいで寝不足」
「何かあったのか」
「伯父上から手紙が来た」
「父から?」
ユリウスは顔だけをこちらへ向けた。
「レオンが何か始めた、よく見張っておけ、だって」
「そうか」
「俺は研究がしたいんだけど」
「すまない」
「で、好感度は」
「四十七」
ユリウスの額が、また机に戻った。
「上がってるじゃん」
言われるまでもなかった。
俺は手帳を開き、女遊び、と書いた行の横に、失敗、と書き足した。
次の手を考えなければならない。
昨夜の舞踏会を思い返すと、セシリアのそばへ寄ってくる男が何人かいて、そのうち一人、剣術科で上位にいる近衛候補の青年が、ずいぶん長いあいだ彼女と話し込んでいた。
女にだらしない男で駄目なら、嫉妬深くて喧嘩っ早い男になればいい。
手帳の次の行に、決闘、と書いた。
「兄さん」
「ああ」
「今度は何」
「決闘する」
ユリウスがゆっくりと顔を上げた。
「誰と」
「まだ決めていない」
「頼むから決めないで」
それは、難しい相談だった。




