第9話「七日目の決断」
Day 7 ——着底から百四十四時間後
七日目の朝、酸素残量は二十時間を割り込んでいた。
計算上、今日中に七日間の百六十八時間に到達する。その時点で、生存の期限は終わる。外から誰かが来なければ、ボンベの残量を全部搾り出しても、今夜か明日の早朝には——。
ハルはその数字を見て、少し笑った。
七日間、生き残った。五日前は届かないと思っていた。それでも届いた。
「笑ってる」とミナが言った。
「七日間、生きた」
「死んでないだけで、生き残ってはいない」
「それは厳しいな」
「正確に言った方がいいと思って」
ミナも、しかし、表情が昨日より少し軽かった。疲弊はしている。でも七日間を生き延びたという事実が、二人の中で何かを変えていた。
午前中、ハルは第三区画に一人で行った。
制御盤の前に座り、送信システムを動かした。昨日も今日も、応答はない。でも続けた。
そして制御盤を眺めていて、ハルはあることに気づいた。
ACASのパネルが、昨日より明るくなっていた。
昨日は「STANDBY」の文字だけだった。今日は文字の下に、別の行が追加されていた。
ACAS STATUS : STANDBY
RESONANCE LEVEL : 0.3 / 10.0
「RESONANCE LEVEL」。共鳴レベル、というような意味だろうか。
ハルはその数字を見た。〇.三。十分の〇.三。低い数値だった。でも、昨日はゼロだったはずだ——記憶が正しければ。
このシステムが動き始めている、ということなのか。
「ACAS」という略号の意味を、ハルはまだ知らなかった。
ミナを呼んで、一緒に確認した。
「RESONANCE LEVEL」とミナが読んだ。「共鳴、共振……何と何が共鳴してるの」
「分からない。でも数値が出始めてる」
「ACAS……ACASって何の略だろう」ミナはパネルを確認した。他に情報はなかった。「ASTRAKION——」と別のパネルの端に印刷された文字を見つけた。「A、C……」
「省略してACASか」
「かもしれない」
ミナはその文字を端末に記録した。「ASTRAKION」という見慣れない語。意味は分からなかった。
「数値が上がってる」とハルは言った。「今、0.4になった」
「何が上がらせてる?」
「俺たちが……ここにいること?」
ミナはしばらく考えた。そして少し低い声で言った。「機体が、私たちを認識してる」
「認識」
「生命反応みたいなもの。私たちが生きて、ここにいることに、機体が——何か反応してる」
ハルはその解釈を否定する言葉を持たなかった。七日間、この機体に守られてきたという実感があった。ひよごっぐが現れたこと、結露が増えたこと、装甲扉が動いたこと——全部、「機体が何かを感じて反応している」という仮説と矛盾しなかった。
「なあ、ミナ」とハルは言った。
「なに」
「俺たちが、この機体を信頼している。だから数値が上がってるんじゃないか」
ミナは静かにハルを見た。
「共鳴」とミナが言った。「そういう意味かもしれない」
午後、ハルは決断した。
酸素残量は十四時間を切った。七日間の境界が、もう数時間先にある。
外から救援が来るとは思えなかった。送信し続けたが、応答はない。上を通り過ぎた何かは、今日は来なかった。
自力で脱出するしかない。
方法は一つしかなかった。
ゴッグ二号機に動いてもらう。
腕も足もなく、損傷している機体に、浮上の力を引き出す。通常ではありえない。でも——この機体は「通常」ではなかった。
「ミナ」とハルは言った。「お前は俺のことを助けたいか」
ミナはその質問の意味を測るように、少し間を置いた。
「助けたい」
「どのくらい」
「全力で」
「なぜ」
ミナはハルをまっすぐ見た。「あなたに生きていてほしいから。それだけ」
ハルはその言葉を受け取った。
「俺もお前を必ず連れて帰る。絶対に。それだけを考えてる」
二人は向き合っていた。狭いコックピットで、六日間ともに地獄を踏んできた二人が。
ACASのパネルを確認した。
RESONANCE LEVEL : 2.1 / 10.0
数値が上がっていた。
ハルはコックピットの操縦系統に座った。
腕のない、足のない機体。動かない。でもハルは手を置いた。
「動け」
声に出した。
ミナは別の操縦席に座り、計器を見ていた。
「ゴッグ二号機」とミナが言った。「私たちを連れて行って。上に。七日間、ありがとう。一緒に行こう」
機体は動かなかった。
でも、ACASのパネルの数値が、静かに上がり始めた。
2.8…… 3.4…… 4.1……
コックピットに、レモンの香りが満ちた。
ハルが確認できるほど、はっきりとした、甘く鋭い香りが。
「ハル」とミナが言った。「手を」
ハルはミナに手を伸ばした。ミナがそれを握った。
その瞬間、機体の深部から——これまでとは別の、強い脈動が来た。
RESONANCE LEVEL : 7.9 / 10.0
機体が揺れた。
【次回 第10話「アストラキオン」へ】




