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ゴッグ・シンドローム 真 Call of Astrachion ハルとミナの物語  作者: Kentarou Theater


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第8話「悪意の地層」

 Day 6 ——着底から百二十時間後


 六日目の朝、酸素残量は三十二時間を示していた。


 ボンベの補充を計算した。昨日外で見つけた十時間分を加えて、合計で四十二時間強。七日間に必要な百六十八時間分まで積み上げてきた残量との差は、もう二時間に満たなかった。ギリギリだった。探索や動作で消費が増えれば届かない。体温維持に余分に使えばそれだけ縮まる。


 でも届く、とハルは思った。


 できる限りの節約をして、できる限り動かずにいれば——届く。


 問題は、体の方だった。


 五日間、まともな食事をとっていない。ひよごっぐだけでは当然カロリーが足りなかった。昨日の外活動で、今朝から手の震えが止まらなかった。頭も少し重い。ミナも同じはずだった。


「顔色が悪い」とミナに言った。


「あなたもそう言われると思って何も言わなかった」とミナは言った。


「正直に言ってくれた方がいい」


「じゃあ言う。今日は激しく動かない方がいい」


「同意だ」




 午前中は制御盤の前に座り、送信システムを動かし続けた。三十分ごとにモールス信号を送った。応答はなかった。でも送り続けた。


 昼に、ひよごっぐを一個ずつ食べた。


 ミナはひよごっぐを手にしたまま、しばらくそれを見ていた。


「何を考えてる?」とハルは聞いた。


「お母さんのこと」


「また教えてくれるか」


 ミナは少し考えてから言った。


「子供の頃、お母さんの仕事場に連れて行ってもらったことがある。通信の設備がいっぱいあるところで——私はその音が好きだった。ヘッドセットから聞こえる遠くの声、モールス信号の音、全部繋がってる感じがして」


「だから通信兵になった?」


「半分は。もう半分は……お母さんの後を追いたかったのかもしれない」


 ハルは黙って聞いていた。


「連絡が途絶えたのはいつ頃だ」とハルは聞いた。


「UC0078年の後半から。戦争が始まる前」


「戦争より前に?」


「うん。仕事の内容が変わったって言ってた。どこかに行くって。それきり」


 UC0078年。制御盤のメンテナンスログに残っていた年号だった。ハルはその一致を心の中で計算したが、口には出さなかった。




 昼過ぎ、機体全体が微かに揺れた。


 ハルもミナも感じた。今度はミナだけではなかった。明らかに機体が外から何らかの力を受けた揺れだった。


「上に何かいる」とハルは言った。


「船か」


「どこかが動いた。近くに何かが来た」


 送信システムを最大出力にした。モールス信号を連続で送った。応答を待った。


 一時間待った。応答はなかった。


 揺れはそれ以来、来なかった。


「通り過ぎた」とミナが言った。


「次はいつ来るかも分からない」


「でも来た。上に何かいる証拠が取れた」


 ハルはその言葉に少し救われた気がした。この水底は孤立無援ではないかもしれない——というただそれだけの事実が、なぜかひどく大切だった。




 夕方。


 体が動かせない分、二人は話した。


 六日間でいちばん長く話した夜になった。




「人はどうして、宇宙にまで来て殺し合いを続けるのかしら」


 ミナの問いは、重い水圧を透かしてハルの胸に響いた。


 突然の問いだった。でも突然ではなかった。六日間、この箱の中で、二人が迂回し続けてきた問いだった。


 ハルは暗闇を見つめ、ひび割れた声で答えた。


「恐怖だよ、ミナ。石斧を振り回していた時代から、人は自分を守るために、まず隣人を消してきた。その地層が積み重なって、今のこの戦争がある」


 彼らが語るのは、軍の戦況でも作戦でもない。人類が数千年にわたって積み上げてきた、剥き出しの「悪意」の正体。自分たちもまた、その連鎖の果てにこの泥の底へ沈められたのだという、あまりに巨大な絶望だった。


「連鎖を、断ち切ることはできないの?」


 その問いに、ハルはすぐには答えられなかった。


 ジオンの正義のために戦ってきた。それは間違いではないと思っていた。連邦が間違っていると思っていた。でも今、深度九十一メートルの水底で、一人の人間として問われると——何が正しかったのかが分からなくなっていた。


「分からない」とハルは正直に言った。「断ち切れる、とは言い切れない。でも——」


「でも?」


「断ち切ろうとすることに、意味があると思いたい」


 ミナはしばらく黙っていた。


「記録は墓標になる……前任の通信士がそう言ってた」とミナが言った。「死者の代わりに語るものが記録だって。でも、こんなに多すぎる。連鎖の果てに消えていった人が多すぎて、私の端末には収まらない」


「お前は記録し続ける」


「するしかない。でも——ただ記録するだけじゃ連鎖は断ち切れないかもしれない」


「じゃあ何があれば断ち切れる?」


 ミナは考えた。長く考えた。


「……誰かが、連鎖の外に出ること。記録されない場所に、記録されない人として、ただ生きること」


 ハルはその言葉を繰り返した。「連鎖の外に出る」。


「MIA(消息不明)になることか」


「かもしれない」


 二人は黙った。


 七日間が終わったとして——どこへ行く? 連邦に捕まるか、ジオンに回収されるか、どちらかだ。戦争の続きに戻る。


 または——どこかに消える。


 ハルは「それは逃げることじゃないか」と言おうとした。でも言わなかった。「逃げる」という言葉の意味が、今は曖昧だった。何かから逃げることが、何かを守ることになるかもしれない。


「お前のお母さんは」とハルは言った。「連鎖の外に出たかったのかな」


 ミナはしばらく答えなかった。


「分からない。でも——いなくなった場所が、ここに繋がっている気がする」


「ここ? この機体に?」


「うん。何となく。理由は説明できない」


 ハルはそれ以上何も言わなかった。


 二人の足元、機体の深部から——振動が、一度だけ大きく脈打った。まるで、「そうだ」と言うように。




 夜。


 六日目の夜、ハルはミナの隣に座ったまま眠ってしまった。


 目を覚ましたとき、ミナもハルの肩にもたれて眠っていた。どちらが先に寝たか分からなかった。


 酸素計を確認した。二十八時間。


 残り一日と少し。


 ハルはミナを起こさないよう、そのままじっとしていた。


 胃は空っぽで、体は冷えていて、酸素は少ない。でも今この瞬間は——不思議と穏やかだった。


 機体の深部から振動が伝わってきた。いつもの振動だった。でも今夜は、何か違う柔らかさがあるように感じた。


 気のせいかもしれない。


 ハルはそれでも、少しだけ目を閉じた。




【次回 第9話「七日目の決断」へ】



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