第6話「四日目の飢え」
Day 4 ——着底から八十四時間後
四日目の昼、食料が実質的に尽きた。
缶詰の中身は昨日の夜に分け合い、残るのはひよごっぐだけになった。一日あたり何個食べていいかを計算すると、一人一個、一日二個が限界だった。それで七日目を迎えられる計算だが、体の方はそんな計算に従ってくれなかった。
胃が鳴った。
ハルは音が出ないよう腹を押さえたが、ミナには聞こえていた。
「ひよごっぐ、食べる?」
「いい。今日の分はもう食べた」
「私のを分ける」
「いらない」
「嘘をついてる」
ハルは黙った。
「食べていい」とミナは言った。「次に探索したとき、また何か見つかるかもしれない。体力を温存しておいた方が得」
「それはお互い様だ」
「私はあなたより体が小さい。必要量が違う」
それは正論だったが、ハルには素直に受け取れなかった。ミナから食料を取る、という行為が、なぜかひどく恥ずかしかった。守る側の人間が、守られる側から食べ物をもらう。
「ハル」とミナが言った。「ここには役割なんてない。兵士でも、守る側でもない。ただ二人が生きてるだけ」
ハルは顔を上げた。
「なんで分かった」
「顔に書いてある」
ハルはため息をついた。ひよごっぐを一個受け取って、口に入れた。甘かった。今の状況に不釣り合いなほど、甘かった。
「……うまい」
「でしょう」
午後、体力を維持しながらできる作業として、第三区画の制御盤の解析を続けた。
新しく復帰させたパネルの一つに、機体の外部センサーのデータが流れていた。音波データだった。聴音システムが生きている——水中音響を捕捉するシステムが、今も動いていた。
「ミナ」とハルが呼んだ。「これ見てくれ」
ミナが来て、波形を確認した。
「音波データね」彼女はパネルを操作した。「生きてる。かなり遠くまで拾ってる」
「何か聞こえるか」
「調整してみる」
ミナが操作を続けると、スピーカーから音が出た。水中の音だった。低い轟音が聞こえる。水流の音。何かが動く音。そして——。
「機械音がある」とミナが言った。「遠いけど、機械的な何かがいる」
「どこだ」
「方位は特定できない。距離も分からない。でも——上にいる気がする」
上。水面の方。
「軍の船か」とハルは言った。
「分からない。でも生きてるものがいる」
ハルは壁を見た。ここから上に向けて発信できれば、存在を知らせることができる。でも通信系統は死んでいる。音波を使えるかどうか——。
「この機体から発信できるか」とハルは聞いた。
「聴音はできる。でも送信は——」ミナがパネルをさらに確認した。「送信システムも一部生きてる。でも出力が低すぎる」
「強化できないか」
「時間がかかる。今日中には無理」
「明日だ。明日やろう」
ミナは少し迷ってから言った。「ハル。上にいるのが連邦なら、救援じゃなくて攻撃になる可能性がある」
ハルは黙った。その可能性は考えていなかった。いや、考えないようにしていた。
「……その時は、その時だ」
「それでいいの?」
「今は生きることが先だ。出た答えを、その時に考える」
ミナはしばらくハルを見てから、「分かった」と言った。
夕方、ハルは一人で機体の各所を巡回した。
結露の採取量を確認した。水が少し増えていた。今日の分だけでなく、翌日の分にもなりそうなほど壁面に集まっていた。ハルはその量が多すぎる気がした。機体の温度が今日は特に変化しているわけでもないのに、なぜ急に増えたのか。
理由は分からなかった。
整備区画を通り過ぎるとき、床の端に何かがあった。
ひよごっぐだった。
またいた。
ハルは止まった。昨日と同じだった。いるはずのない場所に、ひよごっぐが一個置かれている。
今度は拾い上げずに、しゃがんでそのまま見つめた。
ひよこの形をした焼き菓子が、床の上にある。目のように見えなくもない小さな刻み模様が、こちらを向いている。
「……お前は何がしたいんだ」
声に出した。今度は恥ずかしいとは思わなかった。
ひよごっぐは答えなかった。当然だった。
しかし、その瞬間、整備区画の奥の方で、低い振動が一度だけ強くなった。心拍のように、一拍だけ。
ハルは立ち上がった。
「分かった。持って帰る」
ひよごっぐをポケットに入れた。背後を向いた。
通路には誰もいなかった。懐中電灯の光が揺れているだけだった。
ハルは足早にコックピットに戻った。
夜。
ミナに話した。
「また出た。ひよごっぐが」
ミナは目を瞬かせた。
「どこで」
「整備区画。床の端に置かれてた」
「……もう一回、数える」
ロッカーのひよごっぐを確認した。昨日十二個に増えていたものが、今日も十二個あった。ハルがポケットから出した分を加えると——十三個になった。
「増えてる」とミナが言った。
「増えてる」とハルも言った。
二人は黙った。
「この機体に何かがいる」とハルは言った。
「うん」
「それは——俺たちに害を与えようとしてないのか」
「害を与えたいなら、もうとっくにそうしてると思う」とミナは静かに言った。
ハルは考えた。確かに。七十二時間以上、この機体の中にいる。何度も探索した。装甲扉は一瞬だけ開いた。ひよごっぐが現れた。しかし、直接的な危害は一切なかった。
「助けようとしている?」とハルは言った。
「かもしれない」
「なぜ」
「分からない。でも——」ミナは少し間を置いた。「いてくれる気がする。怖くはない」
ハルはその言葉を繰り返した。「いてくれる」。
ひよごっぐを持ってきた理由。結露が増えた理由。装甲扉が動いた理由。それらが全部、「この機体の中の何かが、二人を助けようとしている」という一つの仮説に収まった。
「怖い」とハルは言った。
「うん」
「でも——感謝してる気分でもある。なんで俺はこんなことを思ってるんだ」
「人間だから」とミナは言った。「助けてくれているものに、感謝するのは人間の本能だよ」
ハルはひよごっぐを一個手に取った。しばらく見てから、口に入れた。
甘かった。
「こいつ、生きてるんじゃないか」
「ひよごっぐが?」
「この機体が」
ミナは答えなかった。でも、否定もしなかった。
酸素残量を見た。計算上はまだ届くはずだった。今日一日を乗り越えた。残り三日弱。
ゴッグ二号機は深度九十一メートルの水底で、静かに振動し続けていた。
【次回 第7話「五日目、外へ」へ】




