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ゴッグ・シンドローム 真 Call of Astrachion ハルとミナの物語  作者: Kentarou Tou / Kentarou Theater


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第3話「第一水密隔壁の向こう」


 Day 2 ——着底から三十時間後


 ハルは夢を見た。


 子供の頃の夢だった。ヴィンターとアスファルトの上で泥だらけになって遊んでいた。弟は七歳で、ハルは十一歳だった。泥の塊を投げ合って、どちらが先に汚くなるかを競っていた。意味のない遊びだった。それでも二人は笑っていた。


 「兄ちゃんが守ってやる」


 ハルはいつもそう言っていた。ヴィンターはいつも少し照れて、「いらない」と言ってまた泥を投げてきた。


 夢の中で、ヴィンターの顔が大人のものに変わった。笑っていない顔だった。


 「兄さん殺してあげるよ」


 ハルは目を覚ました。




 計器時刻、午前三時。


 ミナはまだ眠っていた。ハルは静かに体を起こし、暗い通路の方を向いた。昨日届かなかった電源ラインを、もう一本延長できないか考えた。工具箱の中身を思い出した。ケーブルクランプがあった。補助バッテリーもある。


 起き上がり、作業を始めた。


 一人で作業する方が静かでいい、とハルは思った。ミナを起こす必要はない。自分にできることをやる。それが兵士としての基本だった。


 一時間かけて延長ラインを組んだ。日が変わった後、ミナが目を覚ます前に、もう一度試してみるつもりだった。




「何してるの」


 背後からミナの声がした。ハルは振り返った。彼女はいつの間にか通路口に立っていた。


「一人でやるつもりだったのか」


「眠らせてやろうと思って」


「眠れてない」


 ミナは狭い通路に体を押し込んで、ハルの横に並んだ。工具箱の中を確認し、無言でワイヤーの端を持った。


「接続する。そっちを押さえて」


 二人で作業した。ハル一人でやるより確実に速かった。ミナの手は細く見えるが、電気系統の作業は慣れているのか手つきが迷いなかった。


「通信兵は電気系統もやるのか」とハルは聞いた。


「基礎は全員やる。聴音システムの保守が仕事の一部だから」


「なるほど」


「あなたは整備もできるの?」


「少しだけ。試験機の乗り組みをしていた時期があって、その時に」


「試験機?」


「昔の話だ」


 ミナはそれ以上聞かなかった。ハルはそれに少し安堵した。


 延長ラインが完成した。


 ミナが電源を入れ、ハルが隔壁のパネルに接続した。ロック解除ボタンを押した。今度は橙色のランプが緑に変わった。


 ギギ、という金属音がして、隔壁が動いた。




 向こう側は暗かった。


 ハルが懐中電灯を向けると、奥に通路が続いていた。コックピット側よりも天井が低く、壁面のパイプが増えている。空気の流れが違った。機体の内部に、また別の空間があった。


「行く」とハルは言った。


 二人で進んだ。通路は十数メートルで、小さな区画に開けた。六畳ほどのスペースに、金属製の棚と作業台が設置されていた。棚には工具と部品が並んでいたが、その型番はバラバラだった。ジオン公国軍の規格と、連邦軍の規格と、さらに見たことのない刻印のものが混在していた。


「これ……」とミナが棚を見ながら言った。「ジオンでも連邦でもない規格がある」


「見たことがない」とハルも言った。「どこのだ」


「分からない」


 ハルは壁面を確認した。溶接痕がある。複数の時代の、複数の手によって作られた痕跡だった。ゴッグ二号機は「改造機」という認識だったが、これはそんな話ではなかった。元の設計が何で、誰が何のために作ったのか——もはやそういう次元の話だった。


「ひよごっぐ」とミナが言った。


「何?」


 ミナが棚の隅を指差した。そこに、「ひよごっぐ」の箱と同じデザインの菓子缶が置かれていた。蓋を開けてみると、中には密封されたひよごっぐのパッケージが数袋入っていた。


「なんで、こんなものが」とハルは言った。


「分からない」とミナは言った。「でも——」


 彼女はパッケージの一つを手に取り、しばらく見ていた。何かを思い出しているような目をしていた。


「食べられる?」とハルは聞いた。


「保存状態は悪くないと思う。密封されてるし」


「じゃあ持って帰ろう。非常食が増える」


「そうね」


 ミナは菓子缶を大事に抱えた。ハルには、彼女の抱え方がほんの少しだけ普通とは違うように見えた。大切なものを運ぶような持ち方だった。




 区画の奥に、もう一つ扉があった。


 今度は水密隔壁ではなく、単純な鉄扉だった。取っ手を掴んで引くと、きしみながらも開いた。


 その先は、さらに広い空間だった。


 倉庫だった。機体の整備用品が並んでいる——という表向きの様相だったが、棚の一角に、ハルの目を引くものがあった。


 小型の酸素ボンベが、束になって置かれていた。


 ハルは急いで数えた。十二本。それぞれの容量を確認した。先ほどの六本より大きかった。


「全部合わせると」とミナが素早く計算した。「七十時間前後の延長になる」


 二人は顔を見合わせた。


「七十時間……」


「さっきの六本と合わせると、合計で九十時間に近くなる。初期の五十時間強と合わせれば——」


「百四十時間。七日間には届かない。でも」


「でも、あと三十時間弱何か見つかれば、届く」


 百パーセントの安全ではなかった。まだギリギリだった。まだ不足していた。それでもハルは、少しだけ息が楽になった気がした。




 二人は倉庫を徹底的に調べた。


 ひよごっぐの菓子缶がもう一つ。医療用品の小袋、消毒液、縫合キット。古い型の無線機が一台あったが、バッテリーが完全に死んでいた。耐圧服のラックがあったが、今は空だった。——どこかにあるはずだ、とハルは思った。この先に。


 壁面の一角に、何か書かれた金属板が打ち付けられていた。錆が浮いて読みにくかったが、ハルは懐中電灯を近づけて読もうとした。


「なんて書いてある?」とミナが聞いた。


「一部だけ読める。……『CORE UNIT』、それから……『STATUS』という字が見える。あとは錆で読めない」


「CORE UNIT……」


「設備の管理表みたいなものかな」


「かもしれない」


 ミナはその金属板をじっと見ていた。何かを考えているような顔だったが、ハルには何を考えているのかは分からなかった。




 倉庫の探索を終えて、コックピットに戻った。


 昼食の時間だった。


 携帯食料を食べ、ひよごっぐを一個ずつ食べた。甘さが舌に広がった。ハルはまた、このおかしな状況の中でこんなものを食べていることへの奇妙な感情を覚えた。


 ミナはひよごっぐを食べながら、どこかを見ていた。


「そのひよごっぐ、好きなのか」とハルは聞いた。


「好き」


「前から食べてた?」


「子供の頃から」


 ミナは少しの間、間を置いた。


「お母さんが好きだったから」


 それだけ言って、また黙った。ハルも何も言わなかった。


 ひよごっぐを食べながら、ハルは後ろを振り返った。昨日から何度か感じていた、奇妙な気配を思い出したからだ。


 後ろには何もなかった。


 コックピットの壁があり、コンソールがあり、非常灯の赤い光が揺れているだけだった。


 気のせいだ、とハルは思った。




 午後、さらに奥への通路を探索した。


 倉庫の反対側の壁に、また水密隔壁がある。こちらはロックが厳重で、昨日の電源延長程度では開かないと判断した。もっと電力が必要だった。あるいは、別の方法でロックを解除できるかもしれない。


「焦らなくていい」とミナが言った。


「焦ってない」


「顔がそう言ってる」


 ハルは返事をしなかった。


 確かに焦っていた。七日間という期限が、常に頭の中にあった。計器の数字が減るたびに、胃の底に氷を落とされるような感覚があった。


「二日間、生きてる」とミナが言った。「五日間ある」


「分かってる」


「一日ずつ考えればいい」


「……そうだな」


 ハルは隔壁の前に座った。鉄の表面に手を当てた。


 また、かすかな振動があった。


 ミナが何も言わずに横に並んで、同じように壁に手を当てた。


「聞こえる?」とミナが言った。


「聞こえない。振動は感じる」


「リズムがあると思わない?」


 ハルは集中した。確かに、無作為ではない周期があるような気がした。冷却システムの循環であれば、こういう周期になることもある。でも——


「レモン」とミナが言った。


「何?」


「レモンの香りがする。ほんのかすかに」


 ハルは鼻を効かせた。機械の油の匂い、金属の匂い、彼女の体温の匂い——。


「俺には分からん」


「そう」


 ミナはそれ以上言わなかった。壁から手を離し、端末に何かを記録し始めた。ハルには、何を記録しているのかが聞けなかった。




 夜、二人はコックピットで向かい合って座った。


 今日の成果を整理した。酸素ボンベを大量に発見し、理論上は七日間に近い量を確保できることが分かった。水は結露採取で一定量を得られる。食料はひよごっぐの追加を含め、まだしばらく持つ。


「倒れそうなほど絶望的ではなくなった」とハルは言った。


「倒れそうなほど安心できる状況でもない」とミナは言った。


「そうだな」


 二人は笑わなかった。笑える状況ではなかった。でも、昨日より少しだけ「七日間生きられるかもしれない」という感覚に近づいていた。


「ハル」とミナが言った。


「なんだ」


「あの機体——ゴッグ二号機。何だと思う?」


「普通のゴッグじゃないのは確かだ」


「なぜ私たちはここにいる?」


 ハルは考えた。


「偶然だ。逃げ込んだのがここだっただけで」


「本当に偶然だったのかな」


「……どういう意味だ」


 ミナは少し考えてから言った。「分からない。ただ——ここにいると、なんとなく、誰かがそばにいる気がする」


 ハルは何も言わなかった。


 言えることがなかった。


 非常灯の赤い光の中で、ゴッグ二号機はまた静かに揺れた。機体の深部から、低くて周期的な振動が伝わってきた。ミナだけが感じる「息遣い」のように。


 ハルには聞こえなかった。


 でも——聞こえないことを、ハルは少しだけ、不思議だと思い始めていた。




【次回 第4話「寄せ集めの怪物」へ】



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