第2話「棺桶の日常」
Day 1 ——着底から十二時間後
計器が示す時刻は、深夜を回っていた。
ハルは一時間ごとに目を覚まして酸素残量を確認した。六十時間二十七分。六十時間十九分。六十時間〇八分。数字は確実に減っていた。それが当然であることは分かっていたが、見るたびに胃の底が冷えた。
ミナは眠っていた。
正確には、眠っているように見えた。目を閉じて、壁にもたれ、呼吸が規則的になっていた。ハルは起こさなかった。眠れるなら眠った方がいい。眠ることは酸素の消費を抑えるし、何より精神を保つ。
ハルには眠れなかった。
暗闇の中で壁の一点を見つめながら、ハルは昨日の出来事を順番に思い返した。ベースキャンプへの砲撃。中佐のゴッグ一号機が消える瞬間。泥の中を走った時間。ミナの手を掴んだ感触。それから——二号機のコックピットに閉じ込められて、今に至る。
脱出することはできるのか。
ハルは現実的に考えた。耐圧服があれば、ハッチを開けて外に出ることができる。しかし耐圧服が機内にあるかどうかは、まだ確認できていない。あったとしても、九十一メートルの水底から浮上するには時間がかかる。減圧症のリスクがある。そもそも、アマゾン川の底がどういう地形になっているのかも分からない。
救援を待つしかない。
問題は、誰かが「ここにいる」ことを知っているかどうかだ。ベースキャンプは壊滅した。ゴッグ一号機は消えた。第八大隊で生き残った人間がいたとして、そいつが「ゴッグ二号機がアマゾンに沈んだ」と報告する余裕があったかどうか。
UR-651への通信は届いているだろうか。
ハルは無線のスイッチをまた入れた。
「……こちらゴッグ二号機、ハル・ノイマン。応答を求む」
雑音だけが返ってきた。
ハルはスイッチを切った。
夜明けを示す計器の時刻変化の頃、ミナが目を覚ました。
目を開けた瞬間、ミナは一度だけ周囲を確認してから、端末のスイッチを入れた。
「宇宙世紀0079年11月29日、推定時刻六時十五分。Day1、経過十六時間三十三分。酸素残量——」
「五十五時間四十一分だ」とハルが答えた。
「五十五時間四十一分。乗員二名、異常なし。通信状況——」
「変わらない。応答なし」
「了解。記録継続」
ミナは端末をポケットにしまい、水筒を手に取った。一口だけ飲んで、ハルに差し出した。ハルも一口だけ飲んだ。それが今日の朝だった。
「食べるか」とハルは聞いた。
「まだいい。昼にする」
正しかった。食料は七日間持たせなければならない。
二人は探索を再開した。
コックピット周辺の内装を一枚一枚外し、確認した。壁面の裏側には予想以上の空洞があった。ケーブルの束、パイプ、断熱材、そしてロッカーが一つ。二号機には一号機にはないはずのスペースがあった。ハルはまたそこで「引っかかり」を感じたが、まだ言語化できなかった。
ロッカーの中には、小型の酸素ボンベが六本あった。
「……あった」
ミナの声が、わずかに上ずった。
ハルがボンベを一本手に取り、バルブを確認した。一本あたり数時間分の純酸素が入っている。直接吸引するには濃度が高すぎるが、コックピットの空気に少量ずつ混ぜることで酸素濃度を維持できる。計算すると、全部使えば二十時間から二十五時間ほどの延長になる。
「七十五時間から八十時間になる」とミナが言った。ハルが計算する前に出した答えだった。
「ギリギリだな」
「ギリギリじゃない。七日間には足りない」
「……分かってる」
七日間、百六十八時間。酸素の現在のストックは、計算上では届かない。まだどこかに酸素源があるはずだった。あるいは、見つけなければならなかった。
昼前に、ミナが壁面の結露を指差した。
「見て」
ハルが見ると、配管の周辺に細かい水滴が集まっていた。深度九十一メートルの水底の冷たさと、機内の空気との温度差が結露を生じさせていた。一時間見ていると、そこそこの量になった。
「採取できる」とミナは言った。
「どうやって」
「布を当てて、絞る」
二人は試した。ハルが使っていないハンカチを当て、五分おきに絞った。一時間で、水筒の三分の一ほどの量になった。
「飲めるか」とハルは聞いた。
「生水だけど——機内の結露だから、外の汚染は受けていない」
「飲む」
試しにハルが一口飲んだ。味はほとんどなかった。金属っぽい風味がかすかにしたが、毒にはならないと判断した。
「続けよう」とミナが言った。「一日あたり、これで最低限の水分は確保できるかもしれない」
水の問題が、完全ではないが少し緩和された。ハルは内心でわずかに安堵した。
昼に、携帯食料を半分ずつ食べた。
ハルが開けた軍用レーションのパッケージからは、塩辛い圧縮ビスケットと乾燥したタンパクペーストが出てきた。不味かった。それでも二人は黙って食べた。
ミナはポケットから「ひよごっぐ」の箱を出した。一個取り出し、しばらく見てからハルに差し出した。
「食べる?」
「お前が食べろ」
「半分こ」
ミナは焼き菓子を親指で割った。それでもうまく割れなくて、大きい方と小さい方に分かれた。ミナはためらわずに小さい方を自分の口に入れた。大きい方をハルに渡した。
ハルは受け取った。一口で食べた。
甘かった。
この鉄の箱の中で、九十一メートルの水底で、こんなにまともな甘さのものを食べるとは思っていなかった。ハルは少しだけ、目の奥が熱くなった。それを悟られたくなくて、計器の方を向いた。
ミナは何も言わなかった。
彼女はただ、箱を大事そうにポケットにしまった。
午後から、通路の探索を本格的に始めた。
昨日発見した第一水密隔壁の前に立ち、ハルは電源系統を調べた。補助電源を延長ケーブルで引いてくれば、ロックを解除できるかもしれない。ミナが端末で機体のシステム設計図を呼び出そうとしたが、データは破損していた。
「ゴッグの設計図ならある程度頭に入ってる」とハルは言った。「でもこの機体は……」
「普通じゃない?」
「普通じゃない。この通路自体が設計書に載ってない。内部空間の構成も違う」
ミナは少し考えてから言った。「改造機だから?」
「それ以上に何かある気がする。溶接の痕が——」ハルは壁面を手で触れた。「複数の場所で、別の時代の作業が混じってる。年季の違う溶接痕だ。これは『改造』じゃなくて、もっと根本的な……」
「寄せ集め」とミナが言った。
「そう。寄せ集めだ」
二人はしばらく黙って壁を見ていた。
この機体は一体、何なのだろうか。
その問いはまだ答えが出なかったが、重要な問いであることは二人とも感じていた。
夕方、電源ラインを延長して第一水密隔壁のパネルに接続した。
ロックの解除ボタンを押した。
赤いランプが、一瞬だけ橙色になった。
それだけだった。完全には解除されなかった。
「電力が足りない」とミナが言った。
「もう少しある。工夫すれば——」
「今日は無理だと思う。明日また試す」
ハルは拳を壁に当てた。強くではなく、ただ触れた。その向こうに何があるのかを確かめるように。壁は冷たかった。
その時、かすかに——ハルの手に、振動が伝わってきた。
机械的な循環音ではなかった。もっと低く、もっと深い、周期的な何かだった。まるで、巨大な何かの呼吸音のような。
「ミナ」
「……聞こえてる」
ミナはすでに壁に耳を当てていた。
「何だこれ」
「分からない」とミナは言った。「でも——動いてはいないけど、息をしているみたい」
ハルには聞こえなかった。
正確には、振動は感じたが、ミナが言う「息をしている」という表現につながる何かは、ハルには感じ取れなかった。それは彼が鈍感なのか、ミナが聡敏なのか、どちらなのかはわからなかった。
「気のせいだ」とハルは言った。「冷却水の循環音だろう」
「そうね」
ミナは壁から離れた。しかし、その表情は「そうね」とは言っていなかった。
夜。
二人は毛布を一枚ずつ使うことにした。昨日は一枚を共有したが、体温の管理のために分けた方が効率的だとミナが言った。ハルは同意した。
電灯を節約するために、非常灯だけにした。赤い光が揺らぐ中で、二人は向かい合って座った。
「眠れそうか」
「どうかな」とミナは言った。「あなたは?」
「眠れないと思う」
「私も」
しばらく沈黙があった。
「中佐は」とハルは言った。「生きてると思うか」
ミナは少しの間、答えなかった。
「分からない」と彼女は言った。「でも記録は残した。中佐の最後の命令も、通信ログも、全部残してある」
「それで十分か」
「十分じゃない。十分なわけない」
また沈黙。
「でも」とミナは続けた。「今できることはそれだけだから」
ハルは何も言わなかった。
計器を見た。酸素残量、五十一時間三十二分。一日で二十時間以上が消えていた。発見したボンベを混ぜていてこの減り方だ。このままでは七日間には届かない。
まだ何かあるはずだ、とハルは思った。この機体の奥に。あの水密隔壁の向こうに。
七日間。
救援が来る保証のない、七日間の二日目が終わろうとしていた。
【次回 第3話「第一水密隔壁の向こう」へ】




