第1話「断絶の閃光」
宇宙世紀0079年11月28日 アマゾン河上流域
空を裂いたのは、爆音ではなかった。
静謐な光だった。
メガ粒子の奔流が大気を灼き、第八大隊のベースキャンプを瞬時に白く染め上げたとき、ハル・ノイマン軍曹はまず「音」が消えたことに気がついた。虫の鳴き声も、無線の雑音も、同僚の足音も、まるで世界ごと切り取られたように消えた。残ったのは、眼球の裏側に刻み込まれた灼熱の残像と、それから——泥の匂いだけだった。
「逃げろっ! ハル、ミナ!」
カイル・フォン・シュトラール中佐の声が、通信機のノイズに溶けた。次の瞬間、中佐の駆るゴッグ一号機は光の繭に包まれ、文字通り「消えた」。蒸発した、という表現すら生ぬるい。あの鉄の塊が存在した場所には、焦げた水蒸気の柱だけが残り、それもすぐにアマゾンの湿気に溶けた。
「……あ……」
隣で、ミナ・カワシマ伍長が声にもならない呻きを漏らした。彼女の目は、中佐が消えた虚空を凝視したまま動かない。ハルには分かった。あの目は「見ている」のではない。見えているものを「処理できていない」目だ。
ハルは銃を抜かなかった。
立ちふさがる連邦の歩兵が二人、泥の中からM72ロケットランチャーを持ち上げようとしていた。ハルは考える前に走っていた。震える拳で最初の兵士の腹を打ち、倒れ込む体を盾にするように横を通り抜け、もう一人の手首を掴んで砂利の上に叩きつけた。銃声はなかった。ハルには引き金を引く気力がなかったし、あの二人の連邦兵にも、おそらく戦意は残っていなかった。
ただの人間が二人、泥の上でもがいているだけだった。
「ミナ、走れ」
ハルはミナの手を掴んだ。泥濘に足を取られながら、二人は走った。ベースキャンプはすでに地獄だった。砲撃は単発ではなかった——複数の方向から、複数の種類の火力が、断続的に続いていた。ハルの訓練された耳は、メガ粒子砲とは別の何かを感知していたが、今は考える余裕がなかった。何発、どこから、何が——それを分析する間もなく、次の爆発が地面を揺らした。
「ゴッグ二号機! 格納桟橋まで走れ!」
ミナが叫んだ。彼女は混乱から立ち直っていた。速かった。通信兵としての训練が体に染みついているのか、パニックの中でもミナの判断は素早かった。ハルはその判断を信頼した。
桟橋はすでに半壊していた。
ゴッグ二号機——第八大隊に配備されていた水陸両用モビルスーツの予備機——は、傾いた格納架の中でぐったりと横倒しになっていた。腕がなかった。整備の都合で取り外されたまま、換装を待っていたのだ。足もない。正確には、足に相当するユニットは別の機体から取り外す予定だったが、それがまだ終わっていなかった。要するに、「ただの胴体」だった。
それでも、ハルは走った。
「乗るのか、こんなものに」
「他に何がある!」
ミナの言葉には反論できなかった。桟橋が崩れていく。アマゾン河の濁流が、壊れた架台の隙間から喰いこんでくる。ハルはコックピットハッチをこじ開け、ミナを先に押し込んだ。
「死なせるものか……!」
その言葉は、誰に向けて言ったのかもハル自身に分からなかった。ミナに向けてか、自分に向けてか、あるいは崩れていく世界に向けてか。
ハッチが閉まった瞬間、桟橋が完全に崩落した。
衝撃が来た。
ゴッグ二号機は腕もなく足もない不完全な塊のまま、アマゾンの泥流に飲み込まれた。水圧が外壁を軋ませ、傾いたコックピットの中で二人は計器に叩きつけられた。暗転、転落、そして——沈黙。
非常灯が赤く灯った。
ミナが最初に動いた。彼女は計器盤に手を伸ばし、震える指で確認を始めた。通信兵としての本能だった。まず状況を把握する。感情は後回し。
「外部モニター、泥で閉塞。視認不可」
声が震えていた。それでも確認を続けた。
「通信系統、応答なし。UR-651、サルガッソー、全ての周波数で呼びかけ——応答なし」
ハルは自分が膝をついていることに気づいた。いつ崩れたのか分からなかった。立とうとして、うまくいかなかった。肋骨のあたりに鈍い痛みがある。折れてはいないが、打撲していた。
「……酸素残量」
ミナが一呼吸置いた。
「七十二時間、十四分」
数字が頭に染みこんだ。七十二時間。三日間。それだけしかない。
ハルは目を閉じた。軍の捜索規定を頭の中で引いた。前線基地の壊滅が確認された場合、生存者の捜索任務は最大七日間継続される。それ以降は「戦死」ではなく「消息不明」として処理され、捜索は打ち切られる。
七日間。
裏を返せば——七日間さえ生き延びれば、誰かが来る可能性がある。
「七日間が目標だ」とハルは言った。
ミナは頷いた。
「現在位置の確認は?」
「できない。GPSロスト、慣性航法も着底の衝撃で——」
「水深は」
「九十一メートル」
九十一メートル。
ハルは壁に背をつけた。九十一メートルは、人間が素潜りで届く水深をはるかに超えている。耐圧服なしでは、コックピットのハッチを開けた瞬間に水圧で死ぬ。出られない。泳いで浮上することもできない。外からの救助がない限り、この鉄の箱の中で——。
「……ハル」
ミナが、初めてハルの名前を呼んだ。報告口調ではなく、ただ名前を。
「すまない、ミナ。俺の、判断が遅かった」
声がひび割れた。兵士として、守る側として、あの泥の中でもっとうまくやれたはずだった。中佐を助けられたはずだった。もっと早く二号機に駆け込んでいれば——。
「やめて」
ミナは静かに言った。
「今それを言っても、何も変わらない」
彼女は正しかった。ハルは口を閉じた。
沈黙が、コックピットに居座った。
まるで三人目の搭乗者のように、それは重く、湿った空気の中に存在していた。外からは何も聞こえない。アマゾンの泥が外壁を覆い、水の圧力が静かに機体を抱いている。ハルは無線機のスイッチを入れたり切ったりを繰り返したが、どの周波数も応答しなかった。
ミナは記録を開始した。
胸ポケットから小型の端末を取り出し、音声ログのスイッチを入れた。
「宇宙世紀0079年11月28日、推定時刻——」彼女は少し考えて、「計器時刻、十三時四十二分。ゴッグ二号機、着底確認。乗員二名、ハル・ノイマン二等兵曹、ミナ・カワシマ上等兵曹。負傷状況——」
ミナはハルの方を見た。
「軽傷」とハルは言った。「肋骨の打撲だけだ」
「軽傷。記録を継続する。通信途絶、外部視認不可、救援の見込み不明」
端末のランプが赤く点灯していた。
ハルはその点滅を見つめながら、思った。「記録は死者の代わりに語るもの」——どこかでそういう言葉を聞いたことがあった。ミナが記録しているのは、そういうことなのかもしれない。もし助からなければ、この記録だけが、二人が「いた」ことを証明する。
その考えを頭から追い払った。
まず生きることを考えろ、と自分に言い聞かせた。
二人はコックピットの中を探索した。
狭い。全長は四メートルにも満たない。ゴッグのコックピットは単座が基本設計だが、この二号機は一部の内装を改修してあり、補助席と簡易の居住スペースが設けられていた。正規の搭乗員以外の乗り込みも想定した改修だったのかもしれない。ハルはその点に少し引っかかりを覚えたが、今は置いておいた。
ロッカーを開けると、医療キット、簡易工具、予備のヘッドセット、それから——非常食のパッケージがいくつか出てきた。
「三日分はある」とミナが言った。「水が少ない」
ハルの腰のホルダーには、半分ほど残った水筒があった。ミナのポケットにも、一本。合わせて一リットル強。それが全てだった。
「なんとかなる」とハルは言った。根拠はなかったが、今はそう言うしかなかった。
ミナがポケットから小さな箱を取り出した。
「……あった」
手のひらサイズの紙箱に、ひよこの形を模した焼き菓子が数個入っていた。「ジオン銘菓 ひよごっぐ」という文字が印刷されている。
ハルは思わず聞いた。「それ、いつから持ってた?」
「ずっと」ミナは箱を見つめたまま答えた。「非常食、というか——好きだから」
「非常時の携帯食が焼き菓子か」
「おいしいんだもの」
ミナの声が、ほんの少しだけ柔らかくなった。ほんの少しだけ。すぐに元の無表情に戻った。
ハルは自分のポケットを探った。ジャーキーの包みが二つ出てきた。軍用の携帯食料で、一個で三百キロカロリー以上はある。
「俺のはこれだけだ」
「足りる」とミナは言った。「酸素が先に切れる」
正論だった。ハルは反論しなかった。
コックピットの最奥、背面パネルの向こうに、狭い通路口があった。
ハルが発見したのは、探索を始めてから一時間ほど経ったときだった。パネルを外してみると、人一人がなんとか通れる幅の通路が伸びていた。奥は暗く、非常灯の赤い光が届かない。
「何かある」とハルは言った。
「行く?」
「行く」
ミナが懐中電灯を手渡した。ロッカーの中にあったものだ。ハルは通路に身体を滑り込ませた。通路の壁面には細いパイプと束になったケーブルが走っている。機体の内臓だった。ゴッグの通常設計にこういった通路はないはずだが——と、ハルはまた引っかかりを覚えた。
十数メートル進むと、重厚な水密隔壁があった。
ハルはハンドルを回そうとした。びくともしなかった。電子ロックがかかっている。パネルを見ると、「SYSTEM LOCK」の赤いランプが点灯していた。電源が生きていれば開くかもしれないが、今の補助電源だけでは足りないかもしれなかった。
「開かない」
「記録しておく」とミナが後ろから答えた。彼女もついてきていた。「第一水密隔壁、電子ロック確認。電源復帰次第、再確認が必要」
隔壁の向こうに何があるのかは、今は分からなかった。
コックピットに戻り、二人は壁を背に座った。
一つの毛布を半分ずつ使った。泥に汚れた軍服の冷たさが肌に当たり、ハルは体温がじわじわと奪われていくのを感じた。深度九十一メートルの水底は、思っていたより寒かった。
「眠れるか」とハルは聞いた。
「眠れない」とミナは答えた。「あなたは?」
「眠れない」
しばらく沈黙が続いた。
「記録しておく」とミナが言った。「一時間ごとに状況を記録する。眠るときは交代で見張る。酸素の消費を抑えるために、会話は必要最低限に留める」
「了解」
「ハル」
「なんだ」
「生きて帰れると思う?」
ハルは即座に答えた。「思う」
「根拠は?」
「七十二時間ある。その間に何か変わる」
ミナはしばらく考えてから言った。「……そうね」
それきり二人は黙った。
非常灯の赤が、不規則に瞬いていた。外の世界からは、何も聞こえなかった。ゴッグ二号機は静かに、深い泥の底に横たわっていた。腕もなく、足もなく、まるで最初から戦うことを忘れた何かのように。
ハルは計器を見た。
酸素残量:七十二時間〇九分。
救援が来る保証のない、七日間が始まった。
【次回 第2話「棺桶の日常」へ】




