第15話「記録されない日常」
ミナは、あの日砂に埋めた端末のことを時折思い出した。
それは毎日ではなかった。魚を焼いているときに、不意に思い出した。貝を拾っているときに、思い出した。ハルが鉄を叩く音を聞きながら、そうか今日もここにいるのだなと確認する瞬間に、端末のことが頭をよぎった。
掘り起こしたいとは思わなかった。
ただ——砂の下にある、ということを知っていた。消えたわけではない、ということを。
ある朝、ミナは島の内陸部を歩いた。
食料を探すためだったが、目的は半分で、もう半分はただ歩きたかったからだった。森の端まで入ると、小さな開けた場所があり、そこから海が見えた。島の裏側だった。
波の形が少し違った。島の表の砂浜に比べて、岩が多く、波が荒かった。
ミナは岩に座って、その海を見た。
端末があれば記録していた光景だった。「UC0079年、場所不明、波の形」——そういう記録をしていた頃があった。今は記録しなかった。ただ見た。
見るだけでいい。
それが記録係だったミナには、まだ少し新しい感覚だった。
ハルは機体の補修を続けていた。
外壁の磨き作業を毎日少しずつ進めた。機体全体を磨くには何ヶ月もかかるかもしれなかったが、時間はあった。急がなかった。
コックピットの居住区改造も、少しずつ進んでいた。草の寝床が厚くなった。雨除けの補修が完璧になった。通気が良くなって、機体の中は以前より快適になった。
「家」と呼んでも差し支えなくなってきた、とハルは思った。
机の上に置いた小さな貝殻が、三個に増えた。ミナが「いいと思ったから」と言って持ってきたものだった。特に意味はないと言ったが、置く場所を少し考えてから置いていた。
ある晩、二人は焚き火を囲んで、昔の話をした。
ハルがヴィンターの話をした。
子供の頃、泥だらけになって遊んだ話。弟は七歳で、ハルは十一歳で、泥の塊を投げ合っていた。意味のない遊びだった。二人とも笑っていた。「兄ちゃんが守ってやる」とハルは言っていた。ヴィンターはいつも少し照れて、「いらない」と言ってまた泥を投げてきた。
「いい弟だね」とミナが言った。
「あの頃は」とハルは言った。「何かが変わった。いつ変わったか、俺には分からなかった」
「今は分かる?」
「……少し。俺が変わったのかもしれない」
ミナは何も言わなかった。
「あいつは今どこにいるか分からない」とハルは続けた。「生きてるか死んでるかも分からない。でも——生きていてほしいと思う。喧嘩したまま終わりにしたくはない」
「いつか会える?」
「分からない。でも会えたとしたら——ちゃんと話したい。泥の話をしたい」
ミナはそれを聞いて、ハルの横顔を見た。
「なんだ」とハルは言った。
「ハルは、ちゃんと人間だなって思って」
「なんだそれ」
「七日間、ずっと思ってた」
ある日の午後、ミナが機体の第三区画に入った。
以前は探索のために入った場所だったが、今は習慣的に来るようになっていた。制御盤の前に座り、パネルを見る。ACASは「STANDBY」のまま。LIFE SIGNは「STABLE」のまま。変わらない。
ミナはパネルに手を当てた。
「聞こえてる?」
声に出して言った。
制御盤は何も変わらなかった。振動だけが、かすかに伝わってきた。
「ありがとう」とミナは言った。「七日間、ずっとそばにいてくれて。今もいてくれて」
返答はなかった。
当然だった。
でもミナには——それで十分だった。誰かに聞いてもらいたくて記録し続けた七日間。その「誰か」がずっとそこにいた。それを知っている。
ミナは立ち上がりかけて、止まった。
パネルの一つに、今まで気づかなかった小さな刻印があった。機体の製造番号らしきコードの下に、細かい文字で何かが書かれていた。懐中電灯を近づけると読めた。
「MARI KAWASHIMA」
文字を読んだ。
名前だった。
ミナは少しの間、その文字を見ていた。
頭の中で何かが繋がりかけた。でも繋げなかった。繋げることに、怖さがあった。
もしこれが——もしこの名前が——。
ミナは立ち上がった。
第三区画を出た。
コックピットに戻って、ハルがいる外に出た。
「どうした」とハルが言った。ミナの顔を見て。
「なんでもない」とミナは言った。
ハルは少し見てから「そうか」と言って、磨く作業に戻った。
ミナは海を見た。
遠い海の向こうに何があるかは、分からなかった。
でも今は——ここにいていい。
夜。
焚き火の前で、ハルがミナの隣に座った。
特に理由もなく、ただ隣に座った。ミナは何も言わなかった。ハルも何も言わなかった。
波が打ち寄せた。
しばらくして、ミナが言った。
「ハル」
「なんだ」
「私はここにいる」
「知ってる」
「それだけ言いたかった」
ハルは少し笑った。
「俺も」と言った。「ここにいる」
焚き火が揺れた。
ゴッグ二号機の外壁が、炎の光を受けてオレンジ色に輝いていた。機体の深部から、今夜も低い振動が伝わってきた。
それは静かで、規則正しく、いつもそこにある何かだった。
【次回 第16話「悪意の連鎖の外側で」へ】




