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『隣の席の彼女は、今日も高すぎる』  作者: さかっち
~一年生~

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第二十四話 10月9日 文化祭まで、あと少し


 昨日笑ったことを、みおは帰宅してから思い出した。


 緑茶を入れて、椅子に座って、カップに両手を添えたところで。

 ふと気づいた。


(笑った)


 意識して笑ったのではなかった。

 抑えようとして、抑えなかっただけだった。

 抑えなかったことに、帰宅するまで気づいていなかった。


 その「変わった気がする」の正体を言葉にしようとして、うまくいかなかった。


 みおは緑茶を一口飲んだ。

 それで終わりにした。



 十月の第二週。


 一年A組のホームルームで、笠置(かさぎ)先生がホワイトボードにマーカーを走らせた。


「はい、文化祭の準備始めます。出し物、決めてください」


 先生が書いたのは「出し物候補」の五文字だった。

 字がきれいだった。


 クラスが少しざわついた。


 さやかが立ち上がった。

 クラス委員としての速度だった。


「えっとじゃあ、候補出していきましょう。はい、みんな何かある?」


「お化け屋敷!」


「射的!」


「縁日系!」


「カフェも定番ですよね」


「カフェは準備が大変じゃない?」


 声が飛び交いはじめた。


 太秦(うずまさ)が手を挙げた。


「俺、縁日系に一票。射的か輪投げなら材料費も安いし」


「太秦くんそれ体で動きたいだけでしょ」


「そうとも言う」


 笑いが起きた。


 さやかが腕を組んで、飛んでくる意見を全部聞いていた。

 テキパキとホワイトボードに書き留めている。


(字が速い)


 (おう)は少し思った。

 思いながら、ほんの少し後ろを向いた。


 みおは自分の席で、手元のノートに何か書いていた。

 候補の一覧でも取っているのかもしれない。


 ふと、央と目が合った。


「……何を書いていますか」


 聞いた。


「……候補を整理しています。複数出たので」


「見せてもらえますか」


 みおがノートをこちらに向けた。


 縦並びに候補名。

 その横に「設置面積」「材料費(概算)」「必要人数」という列が書かれていた。


(早い)


「……表にしていたんですね」


「出てくる前から大体の候補は想像できたので」


「なるほど」


 さやかがこちらを振り向いた。


「あ、みお何か書いてた? 見せて」


 みおが前の席のさやかにノートを渡した。

 さやかが一瞬だけ目を走らせて、「いいじゃん」と言った。


「みお、黒板に書き直して。今のさやかの字より絶対きれい」


「……それを本人の前で言うのは」


「私が言ってるんだから気にしないで」


 さやかが笑いながら言った。

 笑っているが、本気だった。


 みおが立ち上がって、黒板の前に向かった。


 クラスが少しだけ静かになった。

 みおが黒板の前に立つと、それだけでよく見えた。


 みおは背中でそれを感じながら、表の形にチョークを走らせた。

 感じながら、慣れていた。



 結論が出たのは、三十分後だった。


 一年A組の出し物は、縁日形式のゲームブースに決まった。

 射的・輪投げ・ボールすくいを組み合わせたもので、それぞれの担当が分かれた。


「いいじゃん、楽しそう」


 太秦が言った。


「材料の調達、俺ちょっと調べます。父親の店に廃材があるかもしれないので」


「太秦くんありがとう、助かる」


 さやかが手を合わせた。


 帰り際、さやかがみおの横に来た。


「みお、さっきのノートの表、写真撮っていい? 資料にしたいから」


「いいですよ」


 さやかが撮って、スマホをしまった。

 それからみおをちらっと見た。


「……ねえ、少し聞いていい?」


「何を」


「帰り道に話せる?」


 みおが少し、唇を結んだ。

 さやかの口調が、いつものテキパキと少し違った。


「……うん」



 一年C組では、写真展示という案が出た。


「写真部のひなちゃんに頼めばよくない?」


 名前が呼ばれて、ひなはスマホから顔を上げた。


「え、うち? ごめん聞いてなかった」


「展示の写真、撮ってほしいって」


「……コンセプトは?」


「校内の風景とか、みんなの日常、みたいな感じで」


「……いいよ」


 ひなはカメラアプリを開いた。


(何を撮るか)


 頭の端に、まだ撮っていない景色が一枚あった。


 窓の外で木の葉が揺れていた。

 十月の空が高かった。



 放課後の図書室。


 宇陀(うだ)さんがカウンターで目録を確認している音がした。

 窓から斜めに入る光が、本棚の背表紙を斜めに切っていた。


 文化祭まで三週間を切っていた。

 図書委員に、今年度の企画が降りてきていた。


「おすすめ本の展示コーナーを設けます。各委員が推薦文を書き、ポップを作成してください」


 (さく)が資料を広げながら言った。

 いつも通りの淡々とした口調だった。


「一人二冊まで。推薦文は百字以内。ポップは手書きでもデータでも構いません」


「……フォントは何でもいいですか」


 みおが聞いた。


「指定はありません。読みやすければ」


「分かりました」


 央は資料を眺めた。


「本の選定は自由ですか」


「ジャンルは問いません。ただし成人向けは除く、とのことです。宇陀さんの指示で」


 宇陀さんがカウンターの奥で「はい、そうです」と静かに言った。


「……ことね先輩は」


 央は少し考えてから言った。


「……図書委員ではないので関係ないですが」


「分かりました」


 短いやりとりだった。


 朔が一拍置いた。

 それから、素材の収納棚を開けた。


「ポップの台紙と色鉛筆はここにあります。必要な分は持ち帰って構いません」


「ありがとうございます」


 みおが立ち上がって棚に向かった。

 台紙の枚数を確認して、二枚取った。


 朔が横に立っていた。


「……葛城(かつらぎ)さんは何を推薦しますか」


「……ミステリーを一冊と、もう一冊は迷っています」


「ミステリーは読みやすいので来場者に好まれそうです」


「……そう思って」


 みおが少し考えながら台紙を眺めた。


「……サクさんは何を推薦しますか」


「決めています。漢詩の解説本と、もう一冊」


「漢詩」


「読んだことがない人でも入りやすい一冊があるので」


「……どんな内容ですか」


 問いがこぼれた。

 自然にこぼれた。


 朔が少し目を細めた。

 嬉しがっているのか、感心しているのか、少し分かりにくい表情だった。


「興味がありましたか」


「……少し」


「では推薦文を読んでみてください。文字数の都合で全部は書けませんが」


「……はい」


 央は少し離れたところで、その会話を聞いていた。


(みおが聞いた)


 みおから先に話しかけたのは、珍しいことではなくなっていた。

 でも、初めて会った頃と比べれば、確かに増えていた。


 腕時計を一度だけ撫でた。



 朔が宇陀さんとの打ち合わせで席を外した。


 図書室に、央とみおだけが残った。


 みおが台紙に向かっていた。

 ポップのレイアウトを、鉛筆で下書きしているらしかった。


 央は自分のノートを開いて、推薦文の草稿を書き始めた。

 百字以内、というのは案外難しかった。


 しばらく、ペンの音だけが続いた。


「……どんな本にしましたか」


 みおが聞いた。

 手は台紙の方に向けたまま、そう言った。


「歴史の本を一冊と……もう一冊は、まだ考えています」


「歴史」


「読みやすいものがあって。注釈が多すぎない」


「……注釈が多いと読みにくいですか」


「本によります。本文を途切れさせるものはあまり好きではないので」


 みおがペンを止めた。

 少し考えるような間があった。


「……それ、分かります」


「そうですか」


「ミステリーでも、地の文の途中に(注・○○頁参照)みたいなのが多いと、テンポが崩れる気がして」


「同じですね」


「……そうなんですね」


 みおが少し、前を向いた。

 央も少し、前を向いた。


 窓の外で、校庭の木の葉が揺れていた。

 十月の午後だった。


「……読書は、いつから始めましたか」


 みおが聞いた。


「小学校の三年生か四年生の頃に、祖父の本棚を漁り始めたのが最初です」


「……どんな本がありましたか」


「歴史小説が多かったです。あとは紀行文。旅行に行けない人が書いた、という感じの」


「……行けない人が書いた」


「祖父が体が丈夫な方ではなかったので。代わりに読んで旅をしていたと言っていました」


 みおが少しだけ息を吸った。


「……それで、祖父さんとお話ししながら読んでいたんですか」


「朝のコーヒーを一緒に飲む時間に。あまり長い話はしない人でしたが」


「……そうなんですね」


 少し間があった。


「……わたしは、兄が漫画ばかり読む人だったので、本棚が一緒にあって」


「お兄さんですか」


「……漫画は好きじゃなくて、同じ棚にあった小説を読んだのが最初で」


「何でしたか」


「……タイトルが変な本で、最初は意味が分からなかったんですが、最後まで読んで」


「それがミステリーでしたか」


「……はい。それがよくて、次の本を探したら図書館に行くようになって」


「だから図書委員に」


「……なりやすかったというか、図書室にもともといたので」


 央はノートから顔を上げた。


「委員になっていなかったらどうしていましたか」


「……図書室には来ていたと思います。でも放課後一人で来るのと、係として来るのは少し違うので」


「どう違いますか」


 みおが台紙を少しだけ持ち上げて、また戻した。


「……委員だと、来てもいい理由がある気がします」


 央は少し、その言葉を考えた。


(来てもいい理由)


「来てもいい理由が要りますか」


「……わたしには要るかもしれないです」


「それが本が好きという理由ではないんですか」


「……それだけだと、少し、図書室が空いているかどうか確認してから来る感じになってしまって」


「確認してから」


「……混んでいると、なんとなく」


 言葉が止まった。


 央は聞き返さなかった。


「分かります」


 そう言った。


 みおが少し顔を上げた。


「……図書室じゃないですが、人が少ない方が、落ち着いて見えます」


 みおの目が少し動いた。


「……人が少ない方が」


「はい」


「……そうですね」


 みおが前を向いた。

 央も前を向いた。


 二人の間に、少し違う空気が残った。

 宇陀さんの筆記音が、奥から静かに聞こえていた。



 朔が戻ってきたのは、それから十分後だった。


 テーブルに資料を広げながら、こちらを見た。


「……少し打ち合わせが長引きました。作業は進みましたか」


「下書きまでは」


 みおが言った。


「ありがとうございます」


 朔が座った。


 央はその横顔を少し見た。


(打ち合わせが長引いた)


 宇陀さんとの打ち合わせかどうかは確認しなかった。


「……サクさん」


 声をかけた。


「何ですか」


「ことね先輩は、文化祭は別の仕事がありましたか」


 朔が一瞬、手を止めた。


「……テニス部で模擬店を出すと聞いています」


「そうですか」


「……それが何か」


「いえ」


 朔がこちらを見た。

 眼鏡の奥の目が、少し静かだった。


「……聞かなくていい話でしたか」


「そんなことはないです」


「……そうですか」


 ふたつの意味がある返事が、また一回だけ、部屋に置かれた。


 みおがそれを聞いていた。

 聞きながら、台紙に色鉛筆を走らせた。


(ちゃんと見ている人たちだ)


 先日の帰り道で口に出た言葉が、また違う形で戻ってきた。

 今度はみお自身の言葉として。


 窓から夕日が差し込んでいた。

 ポップの台紙が少し橙色に染まった。



 図書室を出たのは、夕方近かった。


 宇陀さんに「おつかれさまでした」と言って廊下に出た。

 三人で少し歩いて、二年棟との分岐で朔が止まった。


「……失礼します。また来週」


「おつかれさまでした」


「おつかれさまです」


 朔が曲がって、遠ざかった。


 その背中を少し見てから、央はみおの方を向いた。


「……一冊、決まりましたか」


「……もう一冊がまだ迷っています。サクさんの漢詩の本が気になってしまって」


「読んでみますか」


「……貸し出し中でなければ」


「棚を確認して教えます」


「……ありがとうございます」


 みおが少し、前を向いた。


 歩き始めた。

 央も並んで歩いた。


「……央さんは、もう一冊は決まりましたか」


「まだです。推薦文を書きながら決めるつもりで」


「……それでちゃんと百字に収まりますか」


「収まります」


「……そうですか」


 少し間があった。


「……わたしはまず書いてから字数を削るので、百字に収めるのが難しいです」


「一度書いた方が削りやすいです」


「……削ると言いたいことが減る気がして」


「言いたいことが多いんですか」


「……推薦文を書くときだけ多くなります」


 央は少し考えた。


「……それは、良いことだと思います」


 みおが少しだけ足を止めた。

 一歩分だけ、遅れた。


 央が気づいて、振り返った。


「……何かありましたか」


「……いえ」


 みおが、また歩き始めた。


 央も並んだ。


 廊下の先、下駄箱のそばで昇降口の光が見えていた。


「……良いことって、なんでそう思うんですか」


 みおが聞いた。

 声は小さかったが、言葉はちゃんと届いた。


「好きなものについて書くとき、言葉が多い人は、ちゃんと好きなんだと思うので」


 みおが少し黙った。


「……央さん、そういうことを言うんですね」


「変でしたか」


「……変じゃないです」


 昇降口に出た。

 夕方の空気が、少し冷たかった。


 十月だった。

 夏からは確かに遠くなっていた。


「……来週も、図書室来ますか」


 みおが聞いた。


「来ます。推薦文がまだ終わらないので」


「……一緒に来てもいいですか」


 央は少し間を置いた。


「……なら、一緒に来ます」


 みおが少し目を向けた。


「……はい」


 それだけだった。


 みおは電車に乗るので、駅で分かれた。


「おつかれさまでした」と言って、みおは改札を通った。


 央はしばらく、改札の向こうに遠ざかる背中を見た。


(来てもいい理由が要る人だと言っていた)


 腕時計を、一度だけ撫でた。


(一緒に来ます、と言った)


 何かが少しだけ変わった気がした。

 それが何かは、まだよく分からなかった。

 でも、分かろうとしている自分がいることには、気がついていた。



 その夜。


 さやかがみおに電話をかけてきたのは、夕食を終えたあとだった。


「みお、さっき帰り道に話せなかったやつ、今いい?」


「……うん」


「あのね」


 さやかが少し声を落とした。


「……体育祭で気づいたんだけど。比叡(ひえい)さんって、ことね先輩のこと好きなんじゃないかな、と思って」


 みおは少し、黙った。


「……それは」


「あのときスタンドで隣に座ってたの。ずっとことね先輩の方見てて。プログラムもめくってなかったし」


「……うん」


「みおは気づいてた?」


 みおは少し考えた。


「……前から、なんとなく」


「あ、やっぱり?」


「……図書室で一緒にいるから、少し分かることがあって」


「そっかー……」


 さやかが息を吐いた。


「なんか、応援したくなっちゃうよね」


「……うん」


「ことね先輩はどう思ってるんだろうね。全然そういう感じしないけど」


「……分からない」


「まあ、黙っておこうとは思ってるんだけどね。ただ言いたくて」


「……うん。聞いてよかった」


「みおが話してくれると安心するんだよね。落ち着いてるから」


 みおは少し、それを聞いた。


(落ち着いている)


 自分がそう見えているとは、あまり思っていなかった。


「……ありがとう」


「急に礼を言わないで、びっくりするから」


 さやかの声が笑っていた。


「……おやすみ」


「おやすみ、みお」


 電話が切れた。


 みおはスマホをテーブルに置いた。


 静かな部屋に、夜の空気があった。


(サクさんのこと)


 知っていた。

 言葉にされると、また少し違う重さになった。


 応援したい、とさやかは言った。


(応援)


 みおはそれを少し考えた。

 考えながら、自分には誰かを応援する資格があるのか、ふとそんなことを思った。


(応援する、というのは)


 その気持ちが本物かどうか、ちゃんと見ていないといけない。

 ちゃんと見ているのかどうか。


(ちゃんと見ている人だ、と思った)


 今日、図書室で考えたことが戻ってきた。


 みおは唇を一度結んだ。

 それから、スマホをしまった。


 窓の外に、秋の夜があった。

 文化祭まで、あと三週間を切っていた。


ご一読いただきありがとうございます。

ポイント、リアクションスタンプ、感想コメントなどいただけると、作者が小躍りして喜びます。

次回もよろしくお願いします。

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