第4話 逃げた金魚《にげたきんぎょ》
色とりどりの野菜、果物、異国の織物が並び、大勢の買い物客で賑わう活気ある東の市場。
秋月と明蘭が、もらったお小遣いを握りしめて歩いています。
「秋月、見てみんさいや! あの串焼き、ぶちええ匂いがしよるん! 今すぐ買いに行こうやぁ!」
「待ってよ明蘭、さっきお煎餅食べたばっかりじゃん……」
秋月は苦笑いしながら、ふと市場の入り口近くにある大きな木を見上げました。
大きな幹の陰に拳ふたつ分ほどの野生の蜂の巣があり、遠くでかすかにブンブンと羽音を立てて、何匹かの蜂が甘い匂いに誘われるように飛んでいました。
(……あんなところに蜂の巣がある。市場の甘い匂いに寄ってきとるんかねぇ……)
「ちょっと秋月〜! どこ見とるん? 早く行こうやぁ!」
「あ、うん! ごめんごめん」
明蘭はいつものように秋月を引っ張て行こうとしました。
「ちょっと待って……明蘭、あそこの金魚売りの前……あの子、さっきからずっと一人でおらん?」
秋月の視線の先には、見たこともない綺麗な絹の衣服を着た、五歳くらいのおとなしそうな小さな男の子がぽつんと立っていました。
男の子は、浅い水槽の中で泳ぐ真っ赤な金魚をじっと見つめていました。
「ほんまじゃん! こんな人混みに一人でおるなんて、絶対に迷子に違いないよん! 放っておけんじゃない、声かけてみようや!」
「そうじゃね。声掛けてみよう!!」
二人が近づくと、男の子は小さな手で目をこすり、今にも泣き出しそうな顔をしていました。
「ぼく、どうしたん? お父さんやお母さんはどこにおるんかねぇ?」
「う、うぅ……。お姉ちゃん……。赤いお魚が、あっちこっち逃げて……追いかけとったら、ここがどこか分からんようになったんよ……」
「やっぱり迷子じゃん! よしよし、お姉ちゃんたちが一緒にお父さんか、お母さんを探してやるけぇね! ぼく、お名前はなんというん? それと一緒におったんはお父さん? お母さん? どっちかね?」
「……小って、みんなに呼ばれとる……お父さんとお母さんと一緒だったんよ。えーん、えーん……」
「ほい、小くんね。男の子でしょ、泣かんのんよ……でも、赤いお魚を追いかけとったって、どういうことなんじゃろう? 市場の中に金魚が泳ぐ川なんてないよね……?」
秋月は首をかしげると、すぐ隣で浅い水槽を並べている金魚売りのおじさんに声をかけました。
「おじさん、すみません! さっきこの浅い水槽から、金魚が外に跳び跳ねて逃げ出したりしませんでしたか?」
金魚売りのおじさんは、水揚げ用の網を手にしたまま、不思議そうに首を振りました。
「跳ねた? いやいや、うちの金魚たちはみんな浅い水槽の中をおとなしく泳いどるよ。それに、もし地面に落ちたら水がないけぇ跳ね回るだけで、どこかへ走って逃げるなんてあり得んよな」
「……そうですよねぇ。金魚は陸の上を走りませんもんね。ましてや空なんか飛ばんじゃろぅ!」
「ほんまじゃん! おじさんの金魚が逃げたわけじゃないなら、小くんが見た逃げたお魚って、一体なんだったんよん……?」
ますます深まる謎に、秋月は立ち止まり、小くんの服をじっくり観察しました。
服の裾が少し濡れており、そこには大きな赤い金魚の刺繍が施されていました。
さらに、その刺繍の糸からは、微かに甘い香が漂っていました。
「明蘭、小くんの服の刺繍、普通の刺繍糸じゃないみたい……?」
「うちにはわからんよ、秋月」
「この服、普通の町民の服じゃないよね? それに、この甘い匂い……南の広場にある高級なお菓子やさんの蜜の匂いに似とらん?」
「えっと、ほんまじゃ! ぶち甘くてええ匂いがしよる! ってことは、小くんのお家は南の広場の方なんじゃん! ほら、すぐ行ってみようやぁ!」
明蘭は小くんの手を優しく握り、秋月の腕を引っ張って歩き出そうとします。
「ああっ、また引っ張る〜! でも、お魚が逃げたっていう謎がまだ解けとらんのんよ……」
「それは、お父さんとお母さんを見つけてから考えたらいいんよ。ほら、秋月、突撃じゃん!!」
南の広場では華やかな身なりの夫婦が、迷子になった子供を探して、小くんの名前をさけびながら、青い顔をしてあちこちを走り回っていました。
「小! 小はどこへ行ったんねぇ!? 誰か、うちの子を見んかった!?」
明蘭はおばさんの近くに行って声を掛けました。
「おばさん! もしかして、この子のことじゃろぅか!?」
小くんのお母さんは小くんを見るとすぐに駆け寄って、ぎゅっと抱きしめます。
「ああ、小! どこに行っとたんね! 心配したんよ!」
それに気づいた小くんのお父さんが近づいて来て優しく話し掛けました。
「お嬢ちゃんたち、息子を見つけてくれて、ぶちありがとう! 買い物に夢中になっとる間に、急にいなくなってしもうてな……」
「お父さん、お母さん、ごめんなさい……。お洋服の金魚さんが、ひらひらって飛んで行ったけぇ、捕まえようと思ったんよ……」
「え? お洋服の金魚が飛んだ? そんなん、あるわけないじゃん!」
秋月は小くんの言葉にひらめいて、小くんの服の裾をもう一度よく見ました。
「……あ!明蘭、 わかったよ! おじさん、もしかして、小くんの服の刺繍って普通の糸じゃないよね!もしかして、お砂糖を細く紡いで作った糸で刺繍してあるんじゃないん?」
小くんの父親はとても驚いて刺繍の話をはじめました。
「ほうなんじゃ! ワシは砂糖細工の職人でな、この金魚の刺繍は、天然蜜蝋を赤い刺繍糸にたっぷりと染み込ませてな、糖糸そっくりの質感にしたんじゃ。艶出しに良い香りや砂糖の香りを混ぜておけば、見た目もツヤツヤ、匂いも甘くなるんじゃ。息子の誕生日にこの糸で綺麗な赤い金魚を刺繍した服を作ったんじゃ。じゃが、それがどうして……?」
「市場の入り口に、大きな野生の蜂の巣があるんよね。小くんの服の甘い匂いに誘われて、本物の蜂が服の金魚にブーンって集まってきたんよ。小くんはそれを見て『金魚が動いて逃げた』って勘違いして、追いかけちゃったんだわ!」
「ひゃ〜! 甘い匂いの服じゃから、野生の蜂に追いかけられたってこと!? 金魚が飛んで行ったんじゃなくって!? 蜂なん!!秋月、ぶち冴えとるじゃん! 謎解き大成功じゃん!」
「なるほど、そういうことじゃったんか! いやぁ、お嬢ちゃんの観察力には恐れ入ったわ。これはお礼じゃ、ワシが作った特製の金魚の砂糖菓子、一つしかないけど二人で分けて食べんさい」
大きな金魚の形をした、キラキラ光る砂糖菓子をもらった二人。
「わあ、ぶち綺麗じゃねー! この金魚、食べるのがもったいないじゃん!」
「うふふ、ほんとじゃねぇ。小くん、もう迷子になったらいけんのんよ?」
「うん! お姉ちゃんたち、ありがとう!」
沈家に帰り、お父さんとお母さんに今日の出来事をすべて報告する二人。
「おばちゃん、見てみんさい! これ、迷子になった小くんを助けたお礼にもらった金魚の砂糖菓子なんよ! ぶち凄いでしょ!」
「あらあら、それは立派なことをしたねぇ。二人とも、人助けができて偉かったわ。
明蘭ちゃんも、書塾のためにうちに泊まりに来とる間、こうやって秋月と仲良く過ごしてくれて嬉しいわぁ。
お茶を入れたけぇ、砂糖菓子と一緒にいただきましょう」
沈父は腕を組んで、砂糖菓子をじっと見つめています。
「……まずは事実を確める。この砂糖菓子、職人の技が見事じゃ。じゃが秋月、お主の観察力も、ものすごい勢いで大人の務めに近づいてきたようじゃな。偉いぞ」
「お父さんに褒められるなんて、珍しいねぇ。ちょっと照れるわ。明蘭、これ半分こして食べようや」
「賛成じゃん! 一緒に食べたら、凄く美味しいよん!」
お菓子をパキッと割って、嬉しそうに頬張る二人。
沈家の広間に、二人の賑やかな笑い声がいつまでも響くのでした。




