第3話:【真相・雨の約束と、騎士の名乗り】
激しい雨が、コンクリートの高架下にゴート音を立てて打ち付けていた。
薄暗く、ひんやりとした空気が漂う高架下。僕はビニール傘をすぼめ、肩をすくめながら息を呑んだ。
そこには、噂通りの光景が広がっていた。
水たまりの真ん中に、ぽつんと佇む一人の女性。
蛇の目傘を差し、濡れた黒髪を肩に垂らしたその姿は、透き通るように白い和装を纏っている。普通の人なら見落としてしまうほど希薄で、だけど僕たち『調伏の一族』の目にははっきりと映る、哀切に満ちた『雨女』の怪異だった。
「……傘、入れてくれませんか?」
彼女がゆっくりと振り返る。その瞳には、深い、深い底なしの孤独が沈んでいた。
声をかけられた瞬間、僕の身体から体温がスッと奪われるような感覚に襲われる。これが、生気を吸い取るという瘴気の力だ。
「ひっ……!」
本能的な緊張に足が止まりかけた。だけど、僕は胸を押さえながら、静かに声を絞り出した。
「あ、あの……! あなたが待っている人、もう、ここには来ないって……分かっているんですよね?」
雨女の手が、ピクリと止まった。
「この高架下ができるずっと昔……ここで、大切な人と雨の日に待ち合わせる約束をした。でも、その人は病気か何かで、来られなくなっちゃった……。あなたは、その人が自分を忘れてしまったんじゃないかって、それが悲しくて、ずっと雨の日に誰かを待ち続けている……」
僕の『対話の霊力』が、彼女の記憶を紐解いていく。
彼女は人を傷つけたいわけじゃない。ただ、千年前のあの日に置いてきぼりにされた寂しさを、誰かに共有して、自分の存在を確かめたいだけなのだ。
「もう、泣かなくていいですよ。あなたの約束は、僕が、ちゃんと覚えておきますから……」
僕はいつもの頼りない笑みを浮かべ、彼女の冷たい手元へとゆっくり一歩を踏み出した。
その時。
「……ああ、あなたなのね。あなたが、あの日の……」
僕の優しい霊力に触れた雨女の瞳が、歪んだ歓喜に染まった。
優しすぎる僕の魂を、かつての恋人だと誤認してしまったのだ。瞬間、高架下の雨水が激しい大蛇のような濁流と化し、僕の身体を幾重にも巻き付いて拘束した。
「冷たい……寂しいの、離さないで。私と一緒に、永遠の雨の中に溺れて……!」
「う、あ……っ!?」
急速に体力を奪われ、視界がかすんでいく。
まずい、彼女の未練が重すぎて、僕の対話能力だけじゃ抑え込めない――!
意識が闇に呑まれそうになった、その絶体絶命の瞬間。
「――急急如律令ッ!!」
鼓膜を震わせる、低く気高い声。
刹那、閃光のような青い炎が周囲の濁流を一瞬で蒸発させ、僕の身体を優しく床へと滑り込ませた。
「え……?」
視界を覆う白い湯気の向こう側。
僕の前に立ちはだかるように背中を向けたのは、漆黒の呪符を指に挟んだ、あの謎の転校生――神代暁だった。
制服のブレザーを激しく濡らしながらも、彼の佇まいは神聖なほどに美しく、圧倒的な霊圧で雨女の瘴気を完全に押し返している。
「下がっていろ、怪異め。これ以上、俺の……」
暁はそこで言葉を切り、ゆっくりと振り返って僕を見下ろした。
その切れ長の瞳には、学校で見せていた冷徹な陰陽師の仮面はどこにもない。狂おしいほどの情熱と、愛おしさが、そのまま涙のように溢れ出しそうな瞳。
彼は僕の前にそっと膝を突くと、泥に汚れた僕の右手を、壊れ物を扱うように両手で優しく包み込んだ。
そして、切なげに眉を寄せ、極上のソプラノボイスで囁いたのだ。
「……ようやく見つけた。大丈夫ですか、千鶴姫」
泥だらけの僕の手を、彼は両手で包んだ。
壊れ物を扱うように、静かに。息を殺すように、慎重に。その指先が、ほんの少し震えていた。
――千鶴姫。
その名が紡がれた瞬間、僕の脳裏に、あの燃え盛る戦火の光景が完全にフラッシュバックした。
血を流しながら僕の前に跪き、『必ずあなたを見つけ出す』と誓った、前世の最愛の近衛騎士。
(……繋がった。この人、僕が前世で愛し合っていた人だ)
「あ、暁……?」
僕の口から、無意識に前世の名前が溢れ出る。
暁は嬉しそうに目を細め、「はい、俺の姫」と微笑んだ。
静かな魂の再会。男同士という事実を置き去りにした、純愛の構図。
しかし、そんな美しい再会の余韻を、背後の雨女が金切り声で引き裂いた。
「私の……私の恋人を、泥棒猫が奪わないでぇぇぇ!!」
激怒した雨女の未練が、さらに禍々しい大津波となって僕たちに襲いかかる。
さあ、前世の絆は繋がった。ここからは、『本当の地獄』の幕開けだった。




