第2話:【覚醒・「また私をひとりにするつもりか」】
「……下がっていろ。……まだ、俺の魂の火は消えていない」
ガタガタと激しく震える膝を、執念だけでへし折るようにして、暁がまた一歩前へ出た。
白衣の胸元は自身の鮮血で赤黒く染まり、指に挟んだ数枚の呪符は、常闇の主の禍々しい陰気にさらされてパチパチと焦げた音を立てている。現代の陰陽師の最高峰に君臨するはずの彼の肉体が、内側からリアルタイムで【瓦解】の危機を迎えているのが、僕の霊的な目にはっきりと見えていた。
「もうやめるんだ、暁! これ以上戦ったら、本当に君の魂が塵になって消えちゃうよ……っ!」
僕は叫び、彼のボロボロになった背中に手を伸ばした。
けれど、常闇の主が放つ絶対的な闇の重圧が、まるで目に見えない鉛の壁となって僕の身体をその場に縫い付け、一歩も近付かせてくれない。タマさんの九つの尾も、ハヤテさんの漆黒の羽も、周囲に渦巻く漆黒の霧を阻むだけで手一杯の有様だった。
「ふむ。千年前、我が闇の前に膝を突き、千鶴姫を奪われたあの時と、何一つ変わらぬ無様な姿だな、神代の騎士よ」
常闇の主が冷酷に嘲笑い、その巨大な影の手をゆっくりと天へ掲げた。
空間全体が不気味に歪み、暁の命の灯火を完全に消し去るための、最大火力の闇の波動が一点に凝縮されていく。世界が呼吸を止めたかのような、窒息しそうな【静かなる異常】が戦場を支配した。
それでも、暁は僕を振り返らなかった。
血を流し、意識が朦朧としながらも、ただ僕を背中に隠すことだけをその肉体に義務付けるように、彼は歪んだ唇で、ぽつりと呟いたのだ。
「……構わない。お前が傷つくくらいなら……俺のこの魂が塵となって消滅しようとも、一寸の悔いもない……っ」
その哀しいまでに真っ直ぐな、正気の一線を遥かに踏み越えた自己犠牲の言葉。
それが僕の耳に届いた瞬間――。
ドクンッ!!!
僕の心臓が、今までにないほど激しく脈打った。
頭の芯がカッと熱くなり、視界が真っ赤な戦火の光景へと激しく反転する。
燃え盛る炎の中、血を流して僕の前に跪き、『必ずあなたを見つけ出す』と誓って命を落とした、千年前の最愛の騎士の姿。
そして現世で、逃げ場のない実家まで先回りして僕の父親を秒速で掌握し、僕の涙を止めるためなら自分の身体を怪異に差し出すことすら造作もないと言ってのけた、あの不器用で、激重で、世界で一番愛おしいストーカーの笑顔。
(何が……何が『一寸の悔いもない』だ……っ!)
男の身体に転生した僕の、なよなよとしたピュアな男子高校生としての理性が、その瞬間、魂の最深部から湧き上がった「本当の激情」によって完全に上書き(ジャック)された。
暁くんが死んじゃう。僕のために、また、あの男の人が、一人で勝手に僕を置いていなくなっちゃう――。
その絶対的な絶望と拒絶の波動が、僕の魂の防衛ラインを、前世と現世の境界線ごと完璧に突き破った。
ピキィィィィィン――。
それは、いつもの貞操を守るための「ツッコミ」のスイッチなんかじゃなかった。
僕の魂の最深部に眠る、前世の武闘派統治者――『千鶴姫』の真の魂が、千年の時を超えて、今度こそ最愛の男を救うために完全覚醒を果たしたのだ。
「――また私をひとりにするつもりか、暁ァァァッッ!!!」
涙ながらの、魂の底からの絶叫。
僕の喉から放たれたのは、いつものなよなよした少年の声でも、キレキレの関西弁でもなかった。それは、千年の孤独を拒絶する、気高くも悲痛な『千鶴姫』としての絶対的な言霊だった。
ドンッッッッ!!!
僕の叫びを媒介にして、僕の身体から、戦場全体の漆黒の霧を一瞬で【霧散】させるほどの、神聖にして圧倒的な黄金の霊圧が爆発的に噴き出した。
その凄まじい衝撃波は、常闇の主が放っていた闇の結界を真っ向から【粉砕】し、凍りついていた空間のシステムそのものを激しく揺るがした。
「な、何……っ!?」
常闇の主が初めてその漆黒の顔を驚愕に歪め、一歩後ろへと退いた。
「ち……づる……?」
ボロボロになりながら呪符を構えていた暁が、信じられないものを見るように琥珀色の瞳を大きく見開き、ゆっくりと僕を振り返った。
僕の目からは、大粒の涙がポロポロと止まらない。
だけど、僕の右手には、前世のすべての霊力と、現世の僕の「暁を二度と失いたくない」という激しい想いが融合した、見たこともないほど巨大で神聖な『黄金のハリセン』が、凄まじい密度の光を放ちながら物質化していた。
ステージの袖では、パジャマ姿の陣内くんが、最強の胃薬の箱を握りしめたまま**【完全なる真顔】**で口をアングリと開けて固まっていた。一般人の彼には、僕から噴き出した「前世のガチすぎるメロドラマの霊圧」が、もはや世界の崩壊にしか見えていないようだった。
「勝手に一人で死んで悲劇のヒロイン気取ってんじゃねえぞ、神代暁……っ! 二度とお前を、あの暗闇に置いていかせたりしないんだから……っ!!」
涙を拭うこともせず、僕は黄金のハリセンを構え、常闇の主と、そして血を流す暁の前に、毅然とした姿で立ちはだかった。




