第5話:【結・夕焼けの教室と、宿命の男の切なき最優先】
喧騒が遠ざかった、放課後の教室。
窓の外からは、文化祭の終わりを告げる実行委員の切ないアナウンスと、片付けに追われる生徒たちの賑やかな声がかすかに響いていた。
茜色の夕日が一面に差し込む静かな教室内で、僕は机に突っ伏して深くため息をついた。
激しいツッコミを連射したせいで、右腕の筋肉が心地よい疲労感を訴えている。
「ふむ。これで演劇の小道具の復元と、クラスの備品の整理は全て完了だ」
パチン、と静かに呪符を収める音がした。
見れば、教卓の前に立つ神代暁が、僕たちのクラスが劇で使った大道具や散らばった衣装を、陰陽術の超パワーでミリ単位の狂いもなく元の綺麗な状態へと片付け終えていた。
空の彼方へハリセンでぶち飛ばされたはずなのに、何事もなかったかのように戻ってきて、黙々とクラスの片付けを手伝ってくれていたのだ。
「……神代くん。その、今日もごめん。また、まともに顔面にハリセン食らわせちゃって。屋根は直してもらったけど、色々と無茶苦茶にしちゃったよね」
僕は起き上がり、申し訳なさそうに声をかけた。
いくら防衛システムの自動起動とはいえ、せっかく京都から急いで駆けつけてくれた彼を、初手で星にしてしまったことへの罪悪感が、夕暮れの静けさの中でじんわりと胸をチクつかせる。
すると、暁はいつもの傲岸不遜なドヤ顔を浮かべることもなく、ただ窓の外の夕日を見つめるような、少し遠くをあきらめたような優しい目で微笑んだ。
「気にするな、千鶴。お前の放つ鋭利な打撃は、私の魂の渇きを潤す至高の衝撃だ。……それに、先週お前があの野狐や害鳥どもと繰り広げていた『デート』に比べれば、こうしてほんの数秒でも私に構ってもらえるだけで、今の私は十分に満たされている」
「え……っ!?」
心臓が、跳ね上がった。
「し、知ってたの……? 先週、僕がタマさんやハヤテさんとゲーセンに行ってたこと……」
「当然だ。お前と俺の魂の霊的ラインを侮るな。お前がアパートを出た瞬間から、俺はすべてのログをリアルタイムで観測していた」
僕は思わず身を乗り出した。
「じゃあ、なんで止めにこなかったの!? いつもの君なら、それこそ宇宙の法則をリフォームする規模でアパートごと爆破して、初手から乱入してくると思ってたのに……」
僕の問いかけに、暁は動きを止めた。
窓から差し込む濃密なオレンジ色の光が、彼の冷徹なまでに整った美貌を、どこか切なく、そして神聖な影で縁取っていく。
暁はゆっくりと振り返り、その琥珀色の瞳で、僕の目を真っ直ぐに見つめた。
「お前が、あの者たちといる時……とても幸せそうに、現世の少年らしく笑っていたからな」
「あ……」
「千鶴。俺の千年の望みは、前世の宿命でお前を縛り付けることではない。お前がこの現世で、男の身体のままで、心から健やかに、幸せに生きること。……それだけが、今の俺の何よりの最優先なんだ」
静寂が、教室を優しく支配する。
彼の口から溢れ出たのは、ストーカー的な執着でも、前世の千鶴姫への狂気でもない。ただ純粋に「僕の現世の幸福」だけを願う、宿命の男にしか出せない、どこまでも深い引き算の愛だった。
(……これは、参ったな)
暁のあまりにも深すぎる愛の深度に、僕の胸の奥がドクンと跳ね上がった。男の僕のままでいいと言ってくれたお姉様たちの温もりとはまた違う、魂の根底を丸ごと優しく揺さぶられるような感覚に、言葉が出なくなってしまった。
その、極上のエモいタメ(余韻)の、わずか半拍後。
ガララララッ!! と教室の前後両方のドアが同時に勢いよく跳ね上がった。
「お姉様ぁ!! 文化祭の大調伏、誠にお見事の一言にございました! 頑張ったお可愛いお姉様のために、今夜はアパートですき焼きの宴を用意してありますよぉ!」
「あらあらぁ! お姉様、制服のお着替えはお布団の中で私が直々にお手伝いしますからねぇ!」
タマさんとハヤテさんが、お祝いのクラッカーを鳴らしながらハイテンションで乱入してきた。壁の陥没から生還するや否や、本日三度目の夜這い(バブみ)アプローチである。
すると、先ほどまで切なく夕日を背負っていたはずの暁の瞳に、秒速でドス黒い下心と独占欲の霊圧が復活した。
「……素晴らしい。千鶴、すき焼きの前に、今の俺の健気なセリフへのご褒美(既成事実)として、その制服のまま俺の膝の上へ収まり、朝まで世界を【隔離】した特等席で――」
僕はハリセンを構えかけて――やめた。
「……はいはい。今日はもう、それで満足しときなよ」
鞄を肩にかけ、呆れたため息ひとつで、僕は教室の出口へと歩き出す。
「――は?」
黄金の一撃を期待して恍惚の表情で待ち構えていた暁が、見事な肩透かしを食らって固まった。
「ま、待て千鶴。今のは、お前にしては随分とあっさり――いや、まさか、無視という名の新たな調教なのか……っ!? くっ、これはこれで、新境地が……」
「都合よく解釈すんな変態陰陽師ィィィアアアッッッ!!!」
――パコォォォォォンッッッッ!!!
本日最後の完璧な打点。暁は嬉しそうに鼻血を噴き出しながら、再び教室の壁へと一直線に弾け飛んでいった。
夜。手狭なアパートの六畳間。
「……なぁ姫宮。俺、お前のハーレム鍋に一般人の枠として強制参加させられてんだけど、これ、何のご褒美(拷問)なわけ?」
畳の真ん中でグツグツと音を立てるすき焼きの鍋を囲み、陣内が死んだ魚の目で、一番強い胃薬を片手に肉を睨みつけていた。
「いいじゃないか、すき焼き。陣内くんも今日は本当に頑張ったんだから、たくさん食べて英気を養ってよ」
「そうですよ、一般人の少年。お姉様の日常を支えた誉れとして、私が特別に肉を分けて差し上げましょう」
「あらあらぁ、陣内くんの胃腸は私が後でお布団で看病してあげますからねぇ」
壁のクレーターから引きずり出されて頭に包帯を巻いた暁も、「千鶴、俺にもそのネギを……」と嬉しそうに箸を伸ばしている。
僕の現世の属性と、前世の魂の記憶。
そのズレに悩まされる日々は相変わらずカオスで、僕の純潔のデッドラインは毎日が限界突破の連続だけれど。
こうして、僕の「普通の青春」を守るために集まってくれる、歪で、だけど不器用なほどに優しい全員の愛の温もりが、鍋の湯気と一緒に僕の心を満たしていく。
「うん。すき焼き、美味しいな。明日からまた、みんなで頑張ろう」
賑やかな笑い声が響くアパートの窓の外。
* * *
すき焼きの湯気が、六畳間の天井に揺れていた。
暖かかった。全員がいて、賑やかで、美味しくて。こんな夜が、ずっと続けばいいと思った。
でも、暁の台詞が、ずっと頭の中に残っていた。
お前が幸せそうに笑っていたから、止めなかった。
それだけのことが、なぜこんなに胸に刺さるんだろう。
箸を動かしながら、答えの出ない問いを、そっと胸の奥に仕舞った。
静かに降り積もる冬の気配と、次なる大きな運命の足音がすぐそこまで近づいていることも知らずに、僕たちの愛おしい日常の夜は、どこまでも温かく更けていくのだった。




