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第4話:【急転・簡単に組み伏せるな!】


「……ああ、なんて素晴らしい殿方。わたしの濁った心をこんなにも清らかに癒やしてくださるなんて……」

桜の精の、しっとりとしたお姉様トーンの声が夜の裏庭に響く。

いや、響きが良すぎる。さっきまでの「消え入りそうな儚い少女」みたいな雰囲気はどこへ行った。

「あの、お姉さん? 霧も晴れたし、絶望も成仏したみたいだから、僕はこれで――」

お暇しようと一歩下がった瞬間、僕の視界がぐわんと反転した。

どさっ、という鈍い音と共に、僕は湿った芝生の上に押し倒されていた。

目の前には、満開の桜の花びらを背景にした桜の精の顔。彼女の細い指先が、僕の手首を地面にピン留めしている。

現世の僕のひ弱な腕力では、怪異の怪力には到底抗えない。

「待って。行かないで。せっかく出会えた運命のひと……。さあ、今夜はわたしの花びらを一枚残らず散らす覚悟で、朝まで激しく交わりましょう?」

(さっきまでのしおらしさはどこへ行ったのやら)

僕は内心で小さく息を吐いた。

美少女(怪異だけど)に間近で見つめられて「朝まで」と言われれば、揺らがないと言えば嘘になる。男子高校生だもの、それくらいの欲はある。

だけど。

彼女の冷たい指先が、僕の衣服のボタンを外し、肌に『直接』触れた、その刹那。

――ピキィィィン。

僕の中で、何かが切り替わる音がした。

脳の血管が何本かブチ切れるような感覚と共に、僕の意識は、前世の『ツッコミ姫・千鶴』のゴリゴリの関西弁システムに完全ジャックされる。

「――ダメだって言ったよね」

声のトーンが変わる。現世の僕では出さない、低く据わった声。

同時に、僕の右腕が魂の条件反射で駆動した。物質化した黄金のハリセンが、夜の闇を黄金の閃光で切り裂く。

「誰がソメイヨシノの受粉手伝え言うたんじゃワレェ! こっちはまだ青い蕾の男子高校生ぞ! 初手から根こそぎ伐採しにきとんちゃうぞゴラァ!!」

――パコォォォォォンッッッッ!!!

乾いた大爆音と共に、桜の精の顔面に完璧なスナップを利かせたハリセンが直撃する。

「あふっ!?」

桜の精は、まるで時速150キロの直球をクリーンヒットされた白球のように、激しくスピンしながら夜空へと吹き飛んだ。そのまま旧校舎のコンクリート壁に激突し、ズブズブと綺麗にめり込んでいく。

僕は布団から起き上がるかのような軽快さで地面から跳ね起き、ハリセンを肩に担いで、壁に埋まった彼女を冷ややかに見下ろした。

「何が『花びらを一枚残らず散らす』やねん。お前が散らしにきとんのは俺の理性と純潔のほうやろがい! 事件解決した瞬間に情緒もへったくれもない肉食系植物にジョブチェンジすな! 季節外れのサクラパニックって、お前の性欲が年中無休のサクラ満開パニックになっとるだけやないか!!」

一息で、マシンガンのごとくキレキレのツッコミを叩き込む。

千鶴姫の魂の叫びは止まらない。

「現世の僕はね、穏やかに高校生をやりたいだけなんだ。毎晩こうして夜這い防衛戦をさせられるこっちの身にもなってほしいね」

淡々とした、それでいて有無を言わせぬ声が、静まり返った夜の裏庭に響き渡る。

僕の魂から千鶴姫の残滓がスッと抜けていき、右手のハリセンが光の粒子となって消えていく。

「……またやってしまったか」

僕は小さくため息をついて、その場にしゃがみ込んだ。

せっかくの機会を、自分の体が勝手に台無しにしてしまった事実に、僕はただ静かに脱力するしかないのだった。


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