第7章:旧校舎の幽霊鏡・性と前世の境界線 第1話:【日常・お姉様たちの癒やしと、一般人の限界】
「……なぁ姫宮。俺、お前の実家から自分の家に帰るまでの記憶が、丸ごと世紀末のディザスター映画みたいにモザイクかかってんだけど。なんなの? あの白衣の男が笑顔で自分の身体を幽霊に差し出して、最終的にお前のハリセンで拝殿ごと神社がリフォームされたあたりから、俺の脳の一般人担当セクターが拒絶反応を起こしてんだけど」
東京へ戻る新幹線の中。
陣内は、もはや死んだ魚の目を通り越して「虚無の深淵」を目に宿らせながら、ガタガタと震える手で本日3箱目となる胃薬を口に放り込んでいた。
「……ごめん、陣内くん。本当にありがとう、僕の初恋のわがままに付き合わせて、あんな大がかりなオカルト大決戦に巻き込んじゃって」
僕は座席で小さく頭を下げた。
実家の神社は、あの後、気絶から目覚めて嬉しそうに鼻血を拭った暁が、陰陽術の超パワーで秒速で元通り(というか前より頑丈にリフォーム)にしてくれた。さらに、彼は「千鶴の実家の防犯結界をSSS級に更新してくる」と言って、夏休みの残りをそのまま神社に住み込みで働くことになったため、今回は僕たちだけでの帰京となった。
(暁が隣にいないと、こんなに空気が軽いんだな)
新幹線のエアコンの風が、こんなにも心地よく、普通の高校生の夏休みを感じさせてくれるなんて。あの顔面国宝の「千年孤独の後遺症」を受け入れ、魂の口づけまで交わしてしまった僕だったけれど、日常のあまりの激変っぷりに、現世の僕の中はまだ少し、整理がつかずにいた。
「俺さ、次の新学期が始まったら、真剣に進路相談室で『怪異のいない世界への転校』について先生に直訴するわ……。お前ら全員、一回愛の出力の調整弁を修理しに行け、マジで……」
「見捨てないでくれよ陣内くん。君が普通の一般人として隣にいてくれないと、僕の日常の錨が完全に引きちぎれちゃうから」
ボロボロになった現世の唯一のオアシス(陣内)に必死にしがみついているうちに、列車は東京へと滑り込んだ。
「お姉様、おかえりなさいませぇ。夏休みの間、お姉様のバブみが足りなくて、私のお布団がずっと寂しがっておりましたよぉ」
アパートのドアを開けた瞬間、昼下がりの廊下に溢れ出してきたのは、嗅ぎ慣れた優しいお香の香りと、すべてを全肯定してくれる大天狗・ハヤテさんの聖母の声だった。
「お帰り、蓮。……随分と、お疲れのようだね」
奥の畳の間から顔を出したのは、ふわりと美しい九つの尾を揺らした妖狐のタマさんだ。
彼女は、実家で暁の激重な愛に揉まれ、初恋の別れに泣き、身も心もボロボロになって帰ってきた僕の姿をじっと見つめると、ふっと悪戯っぽく、だけどこの上なく優しいお姉様の笑みを浮かべた。
「あの陰陽師の小僧に、また無茶な愛され方をされたのだろう? よしよし、今日の夕飯は蓮の好きな肉じゃがだよ。ご飯が炊けるまで、私の膝で少し眠るといい」
タマさんが、トントンと自分の滑らかな太ももを叩いて『膝枕』を促してくる。
いつもなら「おい夜這い妖狐! 僕の男子高校生としての純潔を」とツッコミを入れるところだった。けれど、実家でのあの「張り詰めた運命の重さ」から解放された僕の身体は、タマさんが差し出してくれる圧倒的な『普通の、温かい生活の匂い』に、少しずつ力が抜けていくのを感じていた。
「タマさん。お肉、多めでお願いするよ」
「ふふ、分かっているよ。よく頑張ったね、蓮」
自然に、僕の頭を大きな尾で包むようにして撫でてくれるタマさん。暁の愛が「世界を滅ぼしかねない烈火」なら、タマさんの愛は「冷えた身体をそっと温めてくれる、おこたの灯り」のようだった。ここにいると、自分がただの「普通の高校生」として、ここに生きていていいんだと思える。
「あらあら、タマばかりずるいです。お姉様、お着替えの前に、私が冷たいハーブティーを淹れましたからねぇ」
ハヤテさんが、僕のなよなよとした佇まいや、男の身体で色々と悩み、疲弊している空気感を敏感に察知して、そっとガラスのカップを差し出してくれる。
「男なんだからシャキッとしろ」とも言わず、前世の「千鶴姫」としての義務を求めるでもなく、ただ今の僕の「弱さ」を全部包み込んでくれるような、ハヤテさんの圧倒的な理解者のオーラ。
(お姉様たちの『日常の癒やし』が、実家でボロボロになった心に染み渡るな)
暁のいないアパート。
そこは、不条理な怪異ラブコメの舞台でありながら、今の僕にとって、何よりも愛おしい『日常の避難所』として、完璧な優しさで僕を迎えてくれていた。
だが、そんな「抜き」の穏やかな時間も、スマホの振動音によって、一瞬で次のカオスの予感へと塗り替えられることになる。
ピコン。
画面を開くと、自宅のベッドで死んでいるはずの陣内から、一通のLINEが届いていた。
『【業務連絡】お前がアパートで怪異ハーレムに癒やされてる間に、クラスの女子LINEがまた不穏。新学期早々、旧校舎の「幽霊鏡」の噂を試すって盛り上がってる。お前らのせいで俺の胃はもう更地だから、次の事件はマジで定時退社させてくれ。あと、その鏡、覗いた奴の「理想の性別」が映るらしいぞ』
画面を見つめる僕の背中に、ゾクリと、真新しい不穏な気配が走った。




