第6章:実家帰省編(後編)・真実の器と魂を交わす口づけ 第1話:【事件・触れられない絶望と、騎士の決意】
「いやぁぁぁあッッ!! 蓮くん、蓮くん……っ!!」
黒い霧が、生き物のようにのたうち回りながら境内を侵食していく。
その中心で、さくらちゃんの白いワンピースは完全に怨念の黒に染まり、彼女の形すらも歪み始めていた。
悪霊化による自我の崩壊。それは、彼女が僕に恋い焦がれ、この場所でひとりきりで何年も待ち続けてしまったという、あまりにも純粋で重すぎる孤独の果てだった。
「さくらちゃん……っ!」
僕は吹き荒れる冷たい暴風に抗いながら、必死に手を伸ばす。
だけど、彼女の姿は触れようとするたびに、まるで煙のように僕の指先をすり抜けてしまう。
実体のない死者と、現世を生きる生者。
どれだけ心が求め合っていても、どれだけ近くにいても、僕たちは物理的に「触れ合う」ことすら許されない。その絶対的な拒絶のルールが、自我を失いかけるさくらちゃんをさらに絶望させ、黒い霧をいっそう禍々しく暴走させていた。
「触りたい……最後に一度だけでいいから、蓮くんに触って、温めてほしいよ……っ!」
彼女の悲痛な叫びが、僕の胸を容赦なく抉る。
陰陽術で無理やり成仏させれば、彼女の魂は救われるのかもしれない。けれどそれは、彼女のこの切ない未練を「なかったこと」にして消滅させるのと同じだ。そんなの、あんまりじゃないか。
(僕には、何もできないのか……? 彼女の初めての恋も、僕の初恋も、こんな風に化け物として壊れていくのを見てるだけしかできないのか……っ)
己の無力さに、涙が視界を遮る。
僕が砂利に膝を突き、絶望に身を震わせた、その時だった。
ザッ、と。
凍りついた境内の気配を切り裂いて、静かな足音が僕のすぐ隣で止まった。
「……暁」
涙を拭いながら見上げると、そこには、さっき僕に「大嫌いだ」と言われ、魂を圧殺されたような顔をしていたはずの神代暁が立っていた。
彼の白衣袴の裾は、さくらちゃんの放つ黒い霧に激しく揺らされている。
けれど、地面に呪符を落としてガタガタと震えていたさっきの姿は、もうどこにもなかった。
暁の琥珀色の瞳は、まっすぐに黒い霧の奥を見つめている。
そこにあるのは、陰陽師としての冷酷な正論でも、主君に拒絶された絶望でもない。ただ、泣いている僕の涙を止めるためだけの――恐ろしいほどの、絶対的な『覚悟』の光だった。
「千鶴」
暁が、低く美しい声で僕の名前を呼ぶ。
「俺は、お前を泣かせる世界が嫌いだ。お前が涙を流すくらいなら、陰陽の理も、俺のプライドも、そんなものは一寸の価値もない」
「え……?」
暁はゆっくりと両腕を広げ、無防備に、その無駄に整った肉体を黒い霧の前に晒した。
「怪異よ。お前が魂を腐らせてまで求めた未練、そのすべてを俺が受け止めてやる。……だから、蓮の前で泣くのをやめろ」
いつもなら「何勝手にカッコつけてんねん!」とツッコミを入れるところだった。けれど、彼の横顔から伝わってくる霊圧は、ギャグを挟む余地が一切ないほど、静かで、そしてどこまでも狂気に満ちた純愛の重さを孕んでいた。




