第2話:【事件・真夏の境内に漂う、ひんやりとした霊気】
「いやぁ、暁くんは本当に優秀だねぇ! 祝詞の上げ方も完璧だし、参拝客への対応も品がある。なぁ蓮、もうあの子がうちの婿養子になって神社を継いでくれたら、お父さんいつでも引退できるよ」
「気の早い生前退位の打診はやめてくれ。あと初対面の男を秒速で婿養子候補にロックオンするな我が父親(宮司)よ」
昼下がり、社務所の裏手でスイカを齧りながら、僕は本日何度目かもわからない絶叫を上げていた。
神代暁は、恐ろしい男だった。
先回りして実家の神社に住み着いただけでなく、その圧倒的な天才陰陽師としてのスペックを発揮し、たった半日で我が両親の心を完全に掌握してしまったのだ。
今も境内で、白衣袴姿の暁が、お守りを買いに来た近所のお婆ちゃんたちに国宝級の微笑みを振りまいている。それだけで神社の好感度メーターがカンストし、賽銭箱に万札が吸い込まれていくのが見えた。
「おい姫宮。お前の親父さん、もう神代のこと『暁』って呼び捨てにしてるぞ。着々と外堀がセメントどころか高強度コンクリートで固められていってんだけど」
隣で同じくスイカを食べている陣内が、完全に諦めたような目で遠くを見ている。
「そうだね、陣内くん。僕はただ、普通の男子高校生として穏やかな夏休みを過ごしたかっただけなのに、なんで実家が一番落ち着かない空間になってるんだろうね」
背中に突き刺さる、暁からの「千鶴、実家の手伝いをする俺、かっこいいだろう?」という無言のどや顔霊圧に冷や汗を流しながら、僕は胃のあたりを摩るのだった。
その日の夜。
昼間のドタバタと、暁の放つ「俺の千鶴の実家=つまり俺の新居」という激重な霊圧に精神をゴリゴリに削られた僕は、すっかり疲れ果てていた。
陣内は「俺の現世のキャパシティはもう限界だ」と言い残し、僕の部屋で一番強い胃薬を飲んで早々に爆睡している。
僕はといえば、昼間の緊張のせいでどうにも寝付けず、涼みを求めて一人で夜の境内へと足を向けた。
ざざざ、と、夜風が鎮守の森の木々を揺らす。
昼間の猛暑が嘘のように、夜の境内は静まり返り、どこか厳かな空気に満ちていた。
「ふぅ……」
拝殿の階段に腰掛け、夜空に浮かぶ満月を見上げる。
アパートの押し入れにいるタマさんやハヤテさんの喧騒もない、本当に久しぶりの静寂。
だけど、その静けさを楽しめたのは、わずか数分だった。
(……あれ?)
不意に、肌を刺すような違和感を覚えた。
真夏の熱帯夜のはずなのに、足元から這い上がってくるような、不自然なほど『ひんやりとした霊気』。
それは、暁の放つ苛烈な青い炎とも、怪異お姉様方の妖艶な魔力とも違う、もっと儚くて、どこか懐かしい、冷たい風だった。
「……蓮くん?」
鈴が転がるような、掠れた女の子の声が、静寂の中に響いた。
「え――」
ハッと息を呑んで振り返る。
境内の古い桜の木の下。月光に照らされたその場所に、白いワンピースを着た、僕と同年代くらいの少女が佇んでいた。
その身体は、向こう側の景色が透けて見えるほどに淡く、朧気で。
「本当に……蓮くんだ。大きくなったね」
少女が愛おしそうに目を細めて微笑んだ瞬間、彼女の冷たい霊気が僕の肌に触れた。
と同時に、僕の脳裏に、前世の記憶ではない――『現世の姫宮蓮』としての、幼い頃の記憶が鮮烈に蘇ってきた。
「……さくら、ちゃん……?」
忘れるはずがなかった。
彼女は、僕が小学生の頃、この神社の近所に住んでいた女の子。
僕の初めての友達であり――そして、淡い恋心を抱いていた、僕の『初恋の女の子』だった。
彼女は生まれつき身体が弱く、僕が小学校を卒業する前に、病気で遠くの病院へ入院して、そのまま亡くなってしまったはずだ。
「どうして……ここに?」
「蓮くんに、会いたくて。ずっと、ここで待ってたの」
さくらちゃんは、寂しそうに、だけどとても嬉しそうに微笑む。
真夏の境内に漂う、ひんやりとした哀切な空気。
それは、僕の現世の平穏を揺るがす、あまりにも切なくて悲しい事件の始まりを告げていた。




