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第5話:【結・社会的死の更地と、オアシスの胃薬】


「あふぅん……っ! 脳髄の最深部を揺さぶる、あまりにも鮮烈な右ストレート(ハリセン)……! 私の歪んだ独占欲エゴが、完璧な正論によって粉々にブレイクされましたわ……っ」

海面にプカプカと浮き上がってきた人魚のお姉様は、頭から盛大に霊力の火花を散らしながらも、その表情はこれ以上ないほど晴れやかに、ぽっと薔薇色に染まっていた。

僕の本質を突くツッコミ(除霊)によって、暁の涙から吸い上げてしまった千年の絶望が完全に浄化されたのだ。

「さようなら、気高きツッコミの姫君……。どうかあのお方と、現世でお幸せにねぇ……(ぽっ)」

人魚のお姉様は最後にそう言い残すと、美しい光の粒子となって真夏の夜空へとサラサラ溶けるように成仏していった。

これで事件は美しく解決した。めでたしめでたし、である。

問題は、僕のすぐ隣に浮かんでいる『もう一人のボケ(本命)』のほうだった。

「はぁ……千鶴……。お前のハリセンの風圧で、俺の血流が千年前の全盛期バトルモードに戻るようだ……。さあ、夜の海のカーテンの裏で、今度こそ二人の既成事実を――」

海面を漂いながら、鼻血を流してなお顔面国宝級の笑みを浮かべる暁が、水着の隙間から滑らかな手付きで僕の腰をホールドしてくる。

「何が全盛期じゃワレェ! 海水浴場の治安維持のために一瞬で成仏した人魚を見習って、お前もその年中無休のサクラ満開パニックな性欲を今すぐ強制シャットダウンせえ!!」

僕の魂から『千鶴姫』の残滓が抜け、完全に現世の僕に戻った時には、すでに手遅れだった。

僕たちがドタバタと夜の海で押し問答をしていると、上空から「あらあらぁ」とおっとりした聖母の声が響き渡った。

ハヤテさんである。

押し入れの封印(お札)を力業で剥がして飛んできたらしい大天狗は、僕と暁を巨大な漆黒の羽で優しく、かつ神速で両脇にかっさらった。

「お姉様、お迎えに上がりましたよぉ。夜の海は冷えますから、クラスの皆さんのところへお送りしますねぇ」

「待ってハヤテさん。直送はまずい。今の僕たち、暁の霊圧で水着の繊維が半分溶けてて、しかも男同士で謎の濃厚ホールド状態だから、このまま一般人の前に出たら僕の社会的なライフラインが――」

僕の懇願など、時速数百キロで動く『超高速・空中聖母タクシー』には届かなかった。

パサリ、と。

ハヤテさんによって僕たちが優しく砂浜にドロップされたのは、クラスメイト全員が「夜の花火大会&バーベキュー」を最高潮に楽しんでいる、まさにその中心地のど真ん中だった。

「……あれ」

誰かの手から、火花を散らす線香花火がポロリと砂の上に落ちた。

シン、と静まり返る砂浜。響くのは波の音だけ。

クラス全員の視線が、砂浜のど真ん中に着地した僕たちへと集中する。

そこには、大雨に打たれたかのようにズブ濡れで、暁の愛の霊圧によって水着の繊維が一部怪しく溶けかかっており、しかも世界一顔が良い天才陰陽師(暁)に、お姫様抱っこの一歩手前の姿勢でガッチリと抱き締められている僕(男子高校生)の姿があった。

「…………」

「…………」

男子たちの目が、一瞬で「見てはいけないものを見た」とでも言いたげな絶句の表情に変わる。一方、女子たちの目はみるみる輝きを増し、「尊い……っ!」「夜の海でこんな尊死案件が発生するなんて……!」という歓喜の悲鳴にも似たどよめきが、波の音をかき消す勢いで巻き起こった。

言い訳の余地すら残されていない、完璧なまでの『社会的死の更地おわり』。

(……これは、色々終わったな)

騒ぎになるだろうな、と思いながら、僕は静かに状況を受け止めていた。

ザッ、ザッ、と砂を踏む足音がして、人混みを割って一人の男が歩み寄ってきた。

唯一の現世アンカー、陣内陸くんだ。

陣内は、衣服がボロボロで抱き合っている僕と暁を、一ミリも目の笑っていない、すべてを悟ったような能面のような顔で見つめた。

そして、無言のまま、僕の手に一本の冷たい缶お茶を握らせた。

さらに、もう片方の手で、そっと四角い小箱を僕のポケットに滑り込ませる。

「……これ、よく効くタイプの胃薬。あと、神代。お前が姫宮を離さないなら、俺は今から先生を呼んでくる。校則第15条『夜間の不純異性交遊』に引っかかるかは知らねえが、不純同性心中未遂なら一発でアウトだろ」

「……チッ、また害虫(一般人)が邪魔を」

暁が、実用性を天秤にかけた二度目の舌打ちをして、名残惜しそうに僕を解放した。

「ありがとう、陣内くん。助かるよ」

僕はポケットの胃薬を握り締め、現世のオアシスの温かさにそっと感謝した。

こうして、僕の性自認と純潔、そして高校生としての社会的人格がトリプルで限界突破を迎えた真夏の臨海学校編は、大爆笑とガチの涙、そして安定の胃薬オチと共に幕を閉じた。

人魚の記憶で知ってしまった、暁の千年の愛の重さ。

男の身体のまま、確かに彼の魂に恋をしてしまったという切ない事実は、僕の胸の奥に消えない火を灯していたけれど――。

「さあお姉様! 宿舎のお布団で、今度こそ私のバブみの中でオギャりましょうねぇ!」

「千鶴、ハヤテの布団に結界(爆破用)を仕掛けておいたぞ。今夜は俺の胸で眠れ」

「お前らは一晩中押し入れの段ボールの中で素振りしてろボケ共ォォォ!!」

*  *  *

 宿舎の布団に潜り込んで、天井を見つめた。

 人魚のお姉様は、最後に「お幸せに」と言って消えた。

 暁の千年を、他の誰でもなく彼女が知っていた。暁が泣いた夜の海を、ずっと見ていた。それほどの孤独を、あの男はずっと一人で抱えていたのかと思うと、胸の奥が静かに痛んだ。

 でも、僕には何も返せない。前世の記憶も、共に過ごした温度も、何一つ持っていない。

 それでも今夜、深海の底で彼の背中に腕を回した時、確かに温かかった。

廊下に、静かな足音がした。

 一歩、二歩。迷いのない、聞き慣れた靴音。

 やがてそれは僕の部屋の前で止まり、代わりに、低く抑えた声が襖の向こうから落ちてきた。

「千鶴。眠っていないだろう」

 返事をしなかった。

 だけど暁は、それを肯定と受け取ったらしかった。

「……一つだけ、言っておくことがある」

 廊下から動く気配はない。部屋には入ってこない。ただ、薄い板一枚を挟んで、静かに立っている。

「今世で俺がお前を探し当てた時、奴の気配がした。千年前、お前の命を奪った大妖怪――常闇の主だ。まだ完全には顕現していない。だが、消えてもいない」

 布団の中で、僕の手が止まった。

「奴は必ずまた来る。お前の魂を狙って。千年前と、同じように」

 一拍の沈黙。

「だから言っておく」

 暁の声が、一段、静かになった。

「次は、渡さない。お前が男であろうと、俺を拒もうと、どこへ逃げようと。今度だけは、俺が必ず間に合う」

 それだけ言って、足音は廊下の奥へと遠ざかっていった。

 僕は布団を頭から被ったまま、しばらく動けなかった。

 目の奥が、また熱くなっていた。

(……ありがとう、暁)

 声には出さなかった。目の奥が熱くなる前に、布団を頭から被った。

僕の不条理な怪異ラブコメ人生は、夏の夜風よりも激しく、さらにカオスな次なる舞台へと突き進んでいくのだった。


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