第2話:【事件・季節外れのサクラ・パニック】
「……眠いな」
五月晴れの爽やかな朝。僕――姫宮蓮は、いつも通りの足取りで私立高校の校門をくぐっていた。
目の下にうっすらとくまを作りながらも表情を変えない僕の姿は、ただでさえ「何を考えているか分からない」と言われるクラスでの評価をさらに確かなものにしている。
原因は言うまでもない。昨晩、我が家の薄い壁を突き破る勢いで往復ビンタ(ハリセン)を食らわせた銀髪妖狐・タマさんのせいだ。
そもそも、なぜ僕の周りにはあんな怪異ばかりが集まるのか。
それには、我が家に伝わる少々オカルトな血筋が関係している。
僕の家系は、古来より人知れず怪異と対話し、時にその悪性を抑え込んできた『調伏の一族』の末裔なのだ。
一族の人間は多かれ少なかれ霊力を持ち、普通の人には見えない妖の姿を見たり、会話を交わしたりすることができる。僕も幼い頃から、迷子の座敷童子の相談に乗ったり、行き倒れた河童にきゅうりを分け与えたりして生きてきた。
だが、僕には一族の誰よりも強力で、そして決定的に「異常な力」が備わっていた。
それが、一族の歴史の中でも突出して霊力が強く、同時に数多の美少女怪異たちを文字通りどつき回していたという伝説の統治者――『千鶴姫』の生まれ変わり、という不名誉な事実だ。
千鶴姫は、その圧倒的な慈愛の力で怪異を救う聖女であったと同時に、彼女を愛するあまり一線を超えようと迫り来る変態過保護な妖怪たちを、「ダメつってんだろ!」と日常的にドスの利いた関西弁で調伏(ツッコミ粉砕)していたという、あまりにも過激な武闘派の姫だったらしい。
その魂を色濃く引き継いでしまった結果が、これだ。
現世の僕は、女の子に免疫がないわけじゃない。美少女怪異に迫られれば心が動くこともあるし、「優しくして」と言われて惹かれないわけでもない。
しかし、いざ衣服がはだけそうになったり、肌と肌が密着して『一線を超えそう』になった瞬間、僕の防衛システム――すなわち『千鶴姫の人格と魂の条件反射』が肉体をジャックし、相手を神速のハリセンで爆破してしまうのである。
(前世の僕が『貞操を守る防衛システム』として魂に刻み込んだ呪いみたいなものなんだろうけど……。まあ、僕自身、いつも本気で抗っているわけでもないから、お互い様か)
そんなことを考えながら中庭を歩いていると、ふっと鼻腔をくすぐる香りに、僕は足を止めた。
(……桜?)
今は五月中旬。とっくに葉桜に変わっているはずの季節だ。
しかし、学校の旧校舎へと続く裏庭の境界から、濃密な、それでいてどこか鼻の奥がツンとするような、寂しい桜の香りが漂ってくる。
「おい、聞いたか? また特進クラスの奴が、裏庭のサクラの前で倒れてたらしいぞ」
「これで今週三人目だろ? みんな『急に生きてるのが嫌になった』とか言って、虚ろな目でさ……。あそこ、マジで呪われてるって」
すれ違う生徒たちの不穏な噂話が、僕の耳に届く。
調伏の一族としての直感が、ピリピリと肌を刺した。
僕は吸い寄せられるように、生徒の立ち入りが禁止されている旧校舎の裏庭へと足を進める。
生い茂る雑木林を抜けた先。そこには、周囲の緑から完全に孤立するように、狂い咲いた満開の巨木が鎮座していた。
淡いピンク色の花びらが、不気味なほど静かに舞い散っている。
「う……うう……っ、さびしい……。だれか、わたしを、みつけて……」
風の音に混じって、僕の耳に直接、女の人の泣き声のようなものが響いてきた。
それは、スピーカーから流れる音ではない。この狂い咲く桜の木そのものから発せられている、悲しい「孤独の泣き声」だった。
(やっぱり、怪異だ……。しかも、かなり強い未練を抱え込んで暴走しかけてる……)
足はかすかに重かったけれど、引き返そうとは思わなかった。怪異と対話できる一族として、この悲痛な声を無視することはできない。
「……よし。今夜、みんながいなくなったら、もう一度ここに来よう」
僕は小さく拳を握り、夜の学校への潜入を決意する。
この時、この桜の木の裏で、僕の人生をさらにゴチャゴチャにかき乱す「もう一人の闖入者」が、すでに僕を見つめていたことには、まだ気づいていなかった。




