第3話:【ロマンス・男の僕が、魂で泣いた日】
「だからね、お可愛いお姉様。あなたをこの深海の檻に閉じ込めてあげる」
人魚のお姉様は、まるで子供に絵本を読み聞かせるような、どこまでも穏やかで澄んだ声で囁いた。彼女の長く美しい指先が、僕の鎖骨を優しくなぞる。
「あのお方が流した千年の涙はね、この海を凍らせるほどに冷たくて、そして世界の何よりも綺麗だったわ。あのお方はもう、十分すぎるほど傷ついた。だから、あなたがまたいなくなってあのお方が狂ってしまわないように、私がここで、あなたを永远に変わらない『標本』にしてあげるの」
彼女の放つ魔力が、水流となって僕の四肢を縛り付ける。
現世の、男としての僕の理性は、確かに「死」の恐怖を感じていた。呼吸は守られているはずなのに、喉の奥がヒリヒリと焼けるように熱い。一刻も早くここから逃げ出さなきゃいけないと、頭のどこかでアラートが鳴っている。
だけど。
それ以上に、胸の奥が痛くて、痛くて、仕方がなかった。
さっき脳裏に直接流れ込んできた、暁の千年の記憶。それが、僕の心臓を容赦なく雑巾のように絞り上げ、涙腺を完全に決壊させていた。
(ずっと……一人だったのか)
学校での、あの異常なまでの執着。ストーカー紛いの視線。他の男が近づくだけで周囲の気温を下げるほどの、狂気じみた嫉妬心。
失うのが、怖かったんだ。
(なのに、僕は……)
現世の僕は男だから。普通の男子高校生として生きたいから。
そんな自分勝手な理由で、僕は彼の愛を「重い」と突き放し、不審者扱いして、彼の差し伸べた手を拒絶し続けていた。
「ごめんね……暁……。ごめん、なさい……」
しゃくり上げる声が、空気の天蓋の中に虚しく響く。
男の身体だろうが、女子高生に興味があろうが、そんな現世の薄っぺらい属性なんて、彼の紡いできた千年の純愛の前には、何の意味も、何の言い訳にもならなかった。
現世の僕(宮宮蓮)の心が、前世から続く果てしない愛の重さに、初めて本気で救われ、そして完全に彼へと傾いていく。
「……あら、泣かないで。深海の底はとても静かで、寂しくなんてないわよ?」
人魚のお姉様が、僕の涙をそっと指先ですくい取る。
その瞬間、彼女の背後に、深海の巨大な氷の檻が姿を現した。触れれば魂まで凍結し、二度と目覚めることのない、永遠の眠りの揺り籠。
僕の身体が、ゆっくりと浮き上がり、その檻の中へと引き寄せられていく。
身体の芯が徐々に冷たくなり、意識の端が白く霞み始めた。
(ああ、僕、このまま眠っちゃうのかな……)
薄れゆく意識の中で、不思議と恐怖は消えていた。
ただ、最後にひと目だけでいいから、あの世界一顔が良い、不器用で、愛が重すぎる僕の騎士に会いたかった。
もし。もしも、もう一度だけ彼に会えるなら。
今度は「重い」なんて突き放したりしない。現世の僕が男だろうが何だろうが、その手を真っ直ぐに握り返して、千年の孤独を全部、よしよしして抱きしめてあげたい。
心の底からそう願った、その刹那だった。
――ゴォォォォォォッッッッ!!!
光の届かないはずの暗黒の海底に、文字通り『世界を焼き尽くすような青い熱波』が、濁流となって乱入してきた。




