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第2話:【事件・深海に沈む千年の記憶】


「……見つけた」

月光を浴びて 妖しくきらめく、美しい鱗を持った人魚のお姉様。彼女のくらく濡れた瞳が僕を射抜いた瞬間、身体の自由が完全に奪われた。

声も出ない。指一本動かせない。

ザバァァァン、と大きな波が僕の足元をさらい、引き潮の凄まじい力で、僕の身体は一瞬にして夜の海の中へと引きずり込まれた。

(あ、うそ……息が、できない……っ)

冷たい海水が鼻と口に侵入し、意識が遠のいていく。そのまま深海へ沈んでいくかと思ったその時、僕の周囲にドーム状の「空気の障壁」が形成された。気がつけば、僕は光すら届かない暗黒の海底――怪異が作り出した、外界から切り離された不気味な空中結界の底に膝を突いていた。

「ようやく、私のかいなに還ってきてくれたのね。あの日からずっと、あなたの香りが海を漂っていたわ……」

人魚のお姉様が、長い髪を水に揺らしながら僕の前に滑り込んでくる。

現世の僕なら、いつもなら警戒して身構えるところだった。

けれど、なぜか身体から力が抜けていった。

人魚の細い指先が、僕の頬に触れたその瞬間。

僕の『調伏の一族』としての対話能力が、彼女の皮膚を通じて、底知れない濁流のような「記憶」を一気に僕の脳裏へと流し込んできたからだ。

――それは、真夏の夜の海に似つかわしくない、燃え盛る戦火の記憶だった。

前世。大妖怪の襲撃により、血の海と化した王城。

僕――『千鶴姫』の魂が肉体を離れ、現世へ転生するために世界の境界線へと吸い上げられていく、まさにその瞬間の光景。

「千鶴ぅぅぅーーーーーっ!!」

喉を掻き切らんばかりの、絶望の叫び。

僕の前に跪き、血を流しながら、すでに冷たくなった僕のむくろを抱きしめて泣き叫んでいたのは、神代暁だった。

いつも冷徹で、誰よりも気高く美しかった近衛騎士の姿は、そこにはなかった。

髪を振り乱し、呪符を自分の血で染めながら、狂ったように僕の名前を呼び続けている。

『嘘だ、置いていかないでくれ……! あなたのいない世界など、俺には一寸の価値もない……っ!』

人魚の記憶は、そこから先の、暁の「地獄のような千年間」を容赦なく僕に見せつけてきた。

姫を失った暁は、魂の輪廻から自らを意図的に外した。

千鶴がいつ、どこに転生してもすぐに見つけ出せるように、陰陽術の秘奥によって肉体の老化を止め、死ぬことも許されないまま、ただひたすら現世を彷徨さまよい続ける道を選んだのだ。

何百年もの間。

彼はある時は孤独な旅人として、ある時は政府の闇に生きる陰陽師として、来る日も来る日も、千鶴の魂の残滓ざんしを探し続けた。

戦乱の時代、雨の日も雪の日も、彼はボロボロになりながら、ただ「千鶴に会いたい」という執着だけを胸に立ち続けていた。

『千鶴……どこにいる。どこへ行ってしまったんだ……。お願いだ、俺を一人にしないでくれ……』

闇の中で、一人きりで呪符を握りしめ、膝を折って嗚咽おえつを漏らす暁の姿。

人魚の怪異は、その暁が何百年か前にこの海辺で流した、あまりにも濃密で、あまりにも絶望的な「孤独の涙」を吸い上げてしまったがゆえに、暴走してしまったのだ。

「あのお方は、毎晩この海を見つめて泣いていたわ……。あんなに美しい絶望、私は見たことがない。だから私、決めたの。あのお方がこれ以上泣かないように、あのお方が愛したあなたを、私が代わりに、この深海の底で永遠に護ってあげる」

人魚の悲痛な声が、結界に響く。

記憶の濁流が途切れ、僕は海底の砂の上に、声もなく涙を流しながら座り込んでいた。

(……そんなに、僕を)

いつもはストーカー紛いに視線を送ってきて、嫉妬のたびに器物破損をやらかす、あの顔面国宝のヤバい奴。

「そんなに長い間……ずっと、僕を探してくれていたんだね、暁……」

現世の僕は男の子だ。

だけど、その千年の孤独の重さを知ってしまった瞬間、僕の魂は、彼への愛おしさと申し訳なさで、完全に決壊してしまっていた。


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