コンビニ #4
ウィーン。
「いらっしゃいませ〜」
ある日。
野尾はタバコと水道光熱費の支払いのため、コンビニに寄った。
いつもの帰り道にあるのは赤いコンビニだが、今日は青いコンビニのほうだった。少し遠回りになるものの、たまに大容量キャンペーンをやっている。時間に余裕がある日はこちらに寄ることもあるし、どちらかといえば品揃えもこっちのほうが好みだった。
そして、入ってすぐ後悔した。
「あ、――いらっしゃいませ〜!」
レジに立っていたのは、三井だった。
コンビニの制服を着て、見知らぬおばあちゃんに支払いのやり方を説明している。ついでのように世間話までしていた。相変わらず馴れ馴れしい。なのに妙に手慣れている。
野尾は何も見なかったことにして、隣のレジへ向かった。三井のほうではなかったのは、単純に列が短かったからだ。早く会計を済ませて帰る。それでいい。
そう思ったが、遅かった。
会計の途中、視界の端で三井がこちらを見た。
次の瞬間、隣のレジから小声で外を指さされる。
「待ってて……!」
普通に聞こえている。少なくとも野尾には聞こえたし、たぶん他の客にも聞こえていた。
帰ったところで別に用事はない。
だが、待つのも面倒なら、ここで無視してあとで面倒になるのも面倒だった。
数分後。
「やっほ、野尾さん。待っててくれてありがと」
店から出てきた三井が、いつもの調子で距離を詰めてくる。肩が触れそうなところまで来たので、野尾は一歩だけ引いた。
「別に。用事なかったので」
「やさし〜」
「で、何ですか」
「え、何って。……あ、今日は家までついてかないから安心してよ?」
自覚はあるらしい。
「じゃあ何ですか」
「まあまあ、とりあえずあそこの自販機まで」
半ば強引に促され、野尾は小さく息をついて、渋々ついていく。
ガコン。
「これ、あげる」
差し出されたのは、男性の顔が描かれたブラックの缶コーヒーだった。
「野尾さん、ブラック飲めたよね。家にブラックしかなくてさ。俺、ブラック無理なんだよね。苦いし、胃がキュッてなるし」
「……ありがとうございます」
三井は自分用にペットボトルのカフェオレを買って、すぐに一口飲んだ。よほど喉が渇いていたのか、妙にうまそうだった。
「気になったっしょ?」
「何がですか」
「何で俺があそこで働いてんのか。顔に書いてあった」
「書いてません」
「いや、書いてたって。わりとでかめに」
そんなつもりはなかったが、この男にはそう見えたらしい。
野尾は缶コーヒーを見下ろしたまま言った。
「……昼はコンビニなんですか」
「んー、気になるとこそこ?」
三井は少しだけ目を丸くして、それからあっさり頷いた。
「まあ、今はね」
「今は」
「ホストやってたのはほんとだよ? こう見えて」
「そうですか」
「でも三か月で飽きた」
「でしょうね」
三井が笑う。否定しないあたり、たぶん本当にそうなのだろう。
「で、今はコンビニ店員を?」
「店員っていうか、手伝い? みたいな。ほら、若いうちはいろいろやっとけって言うじゃん」
「便利な言葉ですね」
「でしょ」
三井はそう言って、自販機の脇の電柱のそばにしゃがみ込んだ。行儀が悪い、と思ったが、口には出さなかった。
「言うつもりなかったんだよね、ここで働いてんの」
「じゃあ何で言ったんですか」
「見つかったから」
「……」
「いや、だってもう見つかってんのに隠すの変じゃん」
それはそうかもしれない。
「渋い顔されそ〜とは思ってたし。おれの家、ここからちょっと離れてるし」
「なら、なおさら何でですか」
「え?」
三井はカフェオレを持ったまま、野尾を見上げた。
「だってここ、野尾さん家の近くじゃん」
「…………」
「あ、いや、今の言い方ちょっと違うな」
違わないだろう、と思った。
「そのへん最近うろうろしてたのはほんと。そしたらさ、ここの店長が知り合いで。人手足りないから入ってくれって言われて、まあ今ちょうど金ないしいいかって」
「それだけですか」
「それだけっていうか、それが全部っていうか」
「ふうん」
三井は少しだけ笑って、ペットボトルを振った。
「どう? ちょっとはスッキリした?」
「別に」
野尾はそう返したが、理由自体は腑に落ちた。
最近、電車以外でもやたら三井に遭遇するのは、その説明で一応つく。
もっとも、ついたところで何だという話ではあるが。
「……そうですか」
ただ、ひとつ。
言うつもりはなかった、という言い方だけは少し引っかかった。
ずけずけ言うようで、言わないこともあるらしい。
線引きが雑なのか、あるのか。
やはりよく分からない男だと思う。
野尾は財布を出した。
「じゃあ、これ」
「ん?」
「缶コーヒー代です」
三井が目を瞬かせる。
「え、いいのに」
「よくないです」
「そういうとこ律儀だよね、野尾さん」
「貸し借りは面倒なので」
「えー。ん〜、じゃあもらっとく。今回は」
百円玉を受け取りながら、三井は少しだけ笑った。
からかっているようでいて、押し返してはこなかった。
「じゃあ」
「うん。またね、野尾さん」
「……はい」
三井が手を振る気配が背中にあった。
野尾は振り返らなかった。気づいてはいたが、振り返らない。毎回そうだった。
缶コーヒーの冷たさが掌に残っていたので、そのまま鞄の端に立てて入れる。
気づけば日はだいぶ傾いていて、街の色もゆっくり夜に寄りかかり始めていた。
少しだけ、いつもの帰り道の時間がずれている。
あの男に会うと、大体そうなる。
理由は分かった。
分かったはずなのに、やはり三井という男はよく分からなかった。
鞄の中に入れた缶コーヒーの冷たさだけが、まだ、残っていた。




