味噌ラーメン #3
ある日の日曜。野尾の家のインターホンが鳴った。
ピンポーン。
「野尾さーん、いる?」
野尾はのそのそと玄関へ向かい、扉を半分だけ開けた。
「……あまり大きな声を出さないでください」
「ごめんごめん。てかさ、駅前にラーメン屋できたの知ってる? 食いに行こうよ」
「ラーメンばっか……」
「いーじゃん。奢ってあげるからさ」
「……」
野尾は知っていた。
玄関の扉に足を挟ませてくるときの三井は、大体、諦めが悪い。
野尾は黙ってノブから手を離し、そのまま奥へ引っ込んだ。軽く身支度を整えて戻る。
「野尾さんってオシャレだよね!」
……見ずに言ったな、今。
「ここここ! おー、やっぱ並んでるね!」
……いや、待て。
注目すべきは混み具合ではない。
めちゃくちゃチェーン店じゃないか。しかも量が多くて、こってりマシマシで有名なやつだ。
「……三十路の胃袋を知ってますか」
「え? 大丈夫大丈夫、いけるっしょ。ほら、そうこう言ってる間にもうすぐだよ」
そう言われてメニューを覗くと、そこにあった。
塩とんこつ。
野尾は少しだけ気を取り直した。
自分の胃袋に問いかける。
まだやれるのか、と。
徐々にラーメン派からうどん派へ移行しつつある、やや頼りない三十路の胃袋に。
なんだ、案外乗り気じゃないかって?
理由は単純だ。塩とんこつが好きだからである。
「塩とんこつで」
カウンター席に二人で並んで座る。
やがて、店のロゴ入りTシャツを着た店員が、丼をそれぞれの前に置いた。
「おー、きたきた。俺が味噌で、こっちが塩とんこつっす」
ずず、と三井が景気よく麺をすする。
「……ん、うま。……それにしても通っすね、塩とんこつって。ひとくちもらっていい?」
「……」
野尾は無言ですする。
「……ま、また今度頼めばいいか」
三井も気にした様子はなく、またずず、と味噌ラーメンをすすった。
三井というこの男。
最近、ひとつ分かってきたことがある。
一定のラインは踏み越えてこない。
馴れ馴れしいくせに、最低限のところは弁えている。
……そこが厄介だった。
とはいえ、今日もうるささは絶好調だ。注文のときにはトッピングがどうだの、セットがどうだの、替え玉はワンチャンいけるだの。これまでの人生で関わってきた人間の中でも、指折りに多弁かもしれない。
「ん……野尾さんさ、からあげ追加でいらない?」
水を飲んでから、三井は続けた。
「……んん、俺、朝食ってないんだよね。いい?」
「……飲み込んでから喋れ」
そして会計。
「お会計は〜」
野尾はいつもの癖で財布を取り出し、そのまま払おうとした。ひとりで行動することが多い人間の、ほとんど反射みたいなものだった。
「いや待って。俺が奢るっつったっしょ? 俺、金はあるから!」
そう言って、三井は半ば強引に割り込み、電子決済の音を鳴らした。
「……ありがとうございます」
店を出て少し歩いたところで、野尾はふと思った。
この男は、そもそも何者なのか。
単純な興味ではない。
この飄々とした金髪男が、いつ働いて、いつ暇なのか。対策を立てる必要があるからだ。
「私も別にお金に困っているわけではないので、奢っていただかなくても結構ですよ」
「んー? そうなんだ?」
信号で二人は立ち止まった。
「でも俺、金あんのよ。金は。自称ナンバーワンホストね」
え。
ナンバーワン?
「……嘘をつくなら、もう少しマシな嘘をついたらどうです?」
「んー? どうだろね。本当かもしれないよ? 案外」
信号が変わる。
「じゃ、まあ次は奢られてあげてもいいよ、ってことで」
そう言って三井は、スタスタと分かれ道の先へ消えていった。人混みに紛れるのが妙に早い。
ナンバーワンホスト。
その言葉は、絶妙に真偽の判別がつかない。
あの饒舌さも、容姿の良さも、隙間に入り込んでくるような容赦のなさも、本業がホストだと言われれば納得できなくはない。
が、あの男が本当に夜の世界に染まっているのかと聞かれると、まだ判断はつかなかった。
……いや、案外そうなのかもしれない。
所詮、他人だ。
ただ、三井が妙にうまそうに食べていた味噌ラーメンのことが、少しだけ気になった。
……まあ、また行ってみてもいいのかもしれない。




