094 :// 超えられない壁 -3-
「もうお嫁に行けない……」
まさかこの定型文を、この自分が口にする日が来るなんて。
ちゃっかりいただいてきた日本酒はニャスタに持ってもらい、クロアは顔を両手で覆った。
「別に結局、何もされてねーんだろ? いーじゃねーか、面白かったぞ」
「そーゆーことじゃないんだよ! 汚れてしまったってか、何かを失った感があるんだよ!!」
「失ったどころか、生えてたんじゃねーか」
半笑いのバリランの後頭部を、思い切り殴った。
「痛ってえ! 何も殴るこたぁねーだろ。
オレが徘徊老人って不名誉を背負ってまで手伝ってやった、功労者だって忘れてねーか」
「こんな下品な策を思いつくのは、バリランだけだろーね」
「下品だの下世話だの言うけどよ。間違いなく一番平和的な解決だっただろが。
見てろよ? 明日にはアイツ、泣いて南魔国に帰るぜ?」
「そんなに上手くいくかねー」
「ああ、間違いねーな。家柄も見た目も恵まれたヤローは、大概打たれ弱いもんだ」
カカカッ、と悪役よろしく笑うバリラン。
確かにファグロはどこにいても顔だけで優遇されて人生ヌルゲーで生きていけそうな印象には同意する。
バリランの予想通りになると、クロア自身も思うけれど。
はぁ、と大きく溜息を吐いた。
自分一人が犠牲になって済むのならば、それで構わないと思っていたが。
脳裏を過ぎる、ファグロの瞳。自分の下腹部に触れる手。
ボッと顔が噴火する気持ちだ。
穴があったら入りたいどころか、穴を今すぐにでも掘りたい。
全裸で街中を練り歩く方が恥ずかしくと思う。
クロアはどうしてこんなことになったのか、もやもやとあの日のことを思い返した。
■□
「こんな夜中に呼び出しやがって。何してんだ、おめーら」
「バリラン……!? このマシュマロはあげませんよ……!?」
「マシュマロはベルガの報酬だよ。奪ったりしないからダイジョーブ。威嚇しない威嚇しない」
フーッと毛を逆立てた猫状態のベルガミュアをなだめつつ、クロアは持ってきていた酒瓶を開けた。
ベルがミュアとクロアのマシュマロパーティーも終わる頃。
ちょうどいいと思ったクロアは、ニャスタに依頼して食堂にバリランを呼びつけた。
もうルミナディアは多くの住民が眠りについた頃で、静かな食堂にクロアとベルガミュア、そしてバリランが集まる珍しい空間となった。
「おいおい、このメンバーで飲もうってか?」
「そういう建前でね。ちょっと話がしたくてさー」
「話……?」
もきゅもきゅと最後のマシュマロを食べ終えたベルガミュアが、怪訝そうな顔をする。
あまりに珍しい人選なので、酒をグラスに入れるバリランも似たように怪訝な顔をしていた。
「使者殿の話なんだけど、アイツの目的がわかった」
「おお、やっとか」
「目的は私の籠絡みたい」
「ブボッ!!」
酒を煽ったバリランが噴き出した。
ベルガミュアが実に不快そうに避ける。
「籠絡って……おまえさんに、ハニートラップってことか!? このちんちくりんに!?」
「私だって信じがたいけどさー。ああも口説かれまくったらね」
華麗にとは言えないが、今までずっとスルーしてきたものの、流石に数が多い。
最初は自意識過剰かと考えていたが、もう間違いないだろう。
ハニートラップ。
つまりルミナディア自治区の核であるクロアを恋に落としてしまえば、ルミナディアの情報も技術も簡単に南魔国に流せるだろうということだ。
だからあの妙に顔のいい男が使者となったのだろう。
甘く見られたものだが、女っ気もないクロアのことだから、逆に簡単に堕ちると思われたのかもしれない。
ソルマンのことだ。
クロアが異性と手を繋いだこともない非モテ女と思っていても何ら不思議ではない。
世界観的にも、種族問わずいいとこの御息女は皆そういうものらしいので、余計にだ。
「その話、私要ります?」
「要るともさ。ハニトラってさ、普通に考えて私がしっかりしてれば別に問題ないでしょ?
でも、もし問題になるとすれば———」
「血統術だな」
「そーゆーこと。血統術で私の意思とは関係なく籠絡されてしまう、ってのが一番の問題。
それを対策するために呼んだのが、血統術を知ってるバリランと、魔術的観点から考えられるベルガ。ってことなのだよ」
なるほど、とバリランとベルガミュアが納得する。
「ちなみに一応聞いておくけど、堂々と無理ですって断るのはアリ?」
バリランが即座に首を振る。
「あまり得策じゃねーな。貴族ってのはプライドが高ぇし……ファグロ・ドーラスト男爵。
やっと思い出したんだが、ありゃあ男爵って言っても元は侯爵家だ」
「え? そーなの?」
「南の忠臣、ドーラスト侯爵家から一代貴族として独立したヤツがいるって聞いたことがある。
たぶんあのファグロがそれだ。
男爵くらいなら問題ねーだろうが、もし本家の侯爵家が息子を侮辱されただの因縁つけて来たら面倒くせーことになるぞ」
「ぐええ……思ってたよりもずっと厄介なヤツだったのか」
男爵は貴族の中で最も低い身分。
侯爵は公爵に次ぐ上から2つ目、かなり高い身分と言える。
ベノアも侯爵であるから、味方につけたとしても同格では強く出られないだろうし、南魔王は面白がるばかりで当てにならないことが見える。
出来れば揉めたくない相手であることは間違いない。
「そもそも貴族の求婚の話をするとよ。女側から断ることは基本ないんだぜ。
令嬢の家の家督が断るのが通例だ。どんなに本人が嫌がっても、家督が結婚を拒否しなければ結婚しなきゃならん」
「つまり貴族の男って、女から直接フラれることがないってこと?」
「そういうこった! 女のおまえさんが断ったら、どーなるか」
「貴族のよくある話ですね」
ベルガミュアですら呆れたような溜息を漏らした。
クロアも嫌気がさして唸る。
「じゃあ理想的なのは、私が断ることなく、あっちが諦めざるをえない状況に陥れる?」
「婚約者でも作っちまえばいいんじゃねーか? 事が済んだら白紙に戻す前提でよ」
「うーん」
ルミナディアの年頃の男たちを思い浮かべる。
おそらくバーチェークを筆頭とする半獣族は無理だろう。
素直過ぎて、嘘が下手だ。
半獣族以外で考えてみても、シグでは若すぎるし、アストルは手を握っただけで耳まで真っ赤になってしまうウブ。
「イマイチ、適任がいないな……」
「オレはやらんからな。乳もねぇちんちくりんと恋仲のフリはきっついぜ」
「私だって加齢臭漂うジジイ相手はムリだけど?」
「……先に血統術対策の話にしませんか」
バチバチと火花を散らすクロアとバリランを見かねて、ベルガミュアが口を挟んだ。
あまりに冷たい視線を向けてくるので、2人して目を反らした。
「私の時代にはなかったので、血統術のことはわかりませんが……。
人の意思に反して命令を聞かせるような、精神に作用する血統術があり得る、ということですね?」
「ああ、それくらいならあり得るだろうな」
「催眠、暗示、洗脳、マインドコントロール。それらに準ずる血統術だとして、対策出来ることないかな?」
各々が自分の記憶をたどり、考え込む。
「血統術ってことなら“初動”が必ずあるはずだ。何かしらの特殊な動き、発言をするんだ。
それを阻めれば、発動出来ないって聞いたことがあるな」
「原魔法と同じですね。人族の魔法は、詠唱を阻めば、発動出来ません」
「スイッチってことか。その“初動”が何かわかれば対策が出来そう……だね」
「ただ当然、術者はそれを隠す。わかった頃にゃあ、おまえさんは血統術に掛かっちまってるかもしれんな」
うーむ、と3人で唸る。
この方向で対策は難しいかもしれない。
長らく沈黙が続いた。
「……ラズワルドの裁判所……」
「え?」
ふとベルガミュアが聞いたことのない言葉を呟く。
「超大型魔導AIによる裁判所……行ったことはないんですが、法廷は青い光で照らされていて、その青い光があるところでは絶対に嘘をつくことが出来なかったらしいです……魔術的に」
ベルガミュアは忘れかけた遠い記憶を引き出すように、目を閉じたまま喋り続ける。
「青い光で嘘がつけなくなるってことか?」
「えっと……そう……青い光が複雑な魔術式によるもの……。
ですが確か……変な話、外に出るだけで勝手に“嘘をつけない”状態が解除される……」
「解除的な魔術式がない? じゃあどーやって解けて……?」
青い光が照らしている間だけは、嘘をつくことが出来ない。
あるいは、外に出れば元に戻る。
そういう強い暗示による魔術なのだろうか。
「暗示……?
先に解くための暗示をしておけば、青い光から出るだけで解ける……?」
「ややこしい」
「言ってて私も何言ってるのかわからなくなってきた」
「いえ、それはいい考えかもしれません……暗示に暗示で対抗する?」
混乱しつつある全員の頭が、ベルガミュアの最後の言葉でクリアになった。
「そっか、それだ!」
「おまえさんらの魔術で、先に魔術を掛けちまえばいいんじゃないか?」
「暗示や洗脳状態になったらアクションを起こすような魔術式が組めれば?」
理想は異常な状態から元に戻る魔術。
それが無理でも、異常を誰かに知らせる魔術や、クロアが眠ってしまう魔術など、何かしら出来ればなんとかなりそうだ。
喋りながらそれが可能かどうかを、顔でベルガミュアに訊ねる。
「精神系の魔術は専門分野ではないので、すぐには出来ませんが」
「時間との戦いってか。クロア、どれくらい時間の余裕がありそうなんだ?」
「わかんないけど、数日程度じゃないかな」
「努力はしてみますが、現実的じゃないですね。精神系は式のアウトラインからかなり異なりますし」
あと一歩で、手が届きそうだ。
そこでクロアの頭にピンと電球がついた。
「……待てよ。魔術じゃないけど、確実に“覚醒”を自己暗示出来るものがあるかも」
「そんな都合のいいもんがあんのか?」
クロアは強く確信してニヤリと笑う。
「私の“スマホ”。2人には見せたことある、私の故郷の四角いヤツなんだけど」
「アレが暗示に使えるのですか?」
「本来関係のない経験を繰り返すことで、生き物は強力な学習をして反射レベルで反応するって知ってる?
私の故郷にこんな話があってさ。
例えば、飼っているペットの食事の度に同じベルを鳴らすとペットが学習して、ベルの音だけでヨダレを出すようになる」
「ロージー理論ですね。私も聞いたことあります」
ベルガミュアが頷く。
おそらく固有名詞なので上手く翻訳されなかったが、クロアの故郷ではこの現象を“パブロフの犬”と言う。
「私、その“スマホ”から鳴る同じ音で10年ほど、ずっと朝起きてたんだ」
「ほお? なるほどな、つまりそいつの音が起きろっていう強力な暗示になるってか」
「覚醒の暗示自体がアナログで作れるなら、それを強める魔術式くらいならすぐに組めるかもしれません」
「ベルガ、その魔術式お願い出来る?」
「わかりました。やってみます」
早々にベルガミュアが魔導ディスプレイを開き、確認を始める。
「オレも一つ、いい作戦をひらめいたぜ」
「なに?」
聞くと、バリランが下卑た嫌な笑いを見せる。
「クロア、おまえさんが男になりゃあいい」
「男になる?」
突拍子もない言葉に疑問符だらけになっていると、バリランはテーブルで転がるニャスタを指さした。
「魔国に入る時、ニャスタで角やら尻尾やら作るんだろ?」
「そーだけど」
「ファグロに迫られたら、ニャスタで服の中に男のナニを作れ。熱くなったり固くなったら、尚よし」
「!?」
話を理解した。
だが気持ち的に納得しづらく、クロアは中途半端に口を開けたまま頭を殴られたような気分になる。
「アイツ、初日にベルガが女じゃないって聞いてショック受けてたろ?
男はイケないってわけだ。こいつぁ上手くいくぜ、きっと」
「えーーーーー」
「下品な……」
さりげなく話を聞いていたベルガミュアすら、ゲロを見るような引いた顔をしている。
「おまえさんが男だってなったら、ハニートラップどころじゃなくなる。超えられない壁にぁ、尻尾巻いて逃げだすだろうよ」
「えーーーーーーーーー」
「下世話……」
理屈としてわからなくないが、個人的な感情として嫌すぎる。
「文句を言うのはいいが、一番簡単で平和的な解決法じゃねーか?
おまえさんの暗示が血統術に抗えるかは、やってみねーとわからんしな」
「ぐ……ぬぬ……」
背に腹は代えられない。
クロアはその晩、覚悟を決めたのだった。
■□
そしてファグロが勝負に出た日、全ての計画が実行された。
まず事前にクロアのスマホのアラーム音をニャスタに記憶させた。
そしてニャスタの投影体を耳のフックタイプのアクセサリーにして、毎日つけておく。
ニャスタにそもそも備わった機能である、人体スキャンと健康管理機能で、クロアの脳波に異常を感知したら、仕込んでおいた魔術式を耳元に展開し、クロアの耳にアラーム音が届くようにしてあった。
この魔術式は精神浸透率なる謎の数値を強めた魔術式が組まれており、簡単に言えば覚醒の暗示が強まったものである。
おそらくファグロの目線、あるいは言葉によって洗脳のような血統術が発動したあの時。
しっかりニャスタが脳波の異常を感知し、魔術式を展開した。
お陰で洗脳にかかりかけたクロアは、見事に覚醒することができた。
おまけに服の中に仕込んでいたニャスタ投影体を、仕方なくソレに変形させて、ファグロに触らせてやった。
クロアはどちらかと言えば自分の股間に異物があることを恥じていただけだったが、その羞恥がいい具合に『私、恥ずかしい秘密があって、実は男ですが大丈夫ですか?』の雰囲気を作ることになった。
その後上手くファグロが勘違いしてくれたので、最後にバリランに回収してもらい追及を免れるところまでが計画だった。
オルウェンが心配していたバリランの徘徊は、この計画のため。
事が起こりそうな時にだけクロアの近くで待機して貰っていたことが、残念ながら老人のボケみたいな疑いを齎してしまったので、こればかりは申し訳ない。
あとはゾルカスの登場は予定外だったが、むしろ上手く“フラれたのはクロア”を印象付けられたので結果的によかったと言える。
迎賓館での事件の翌日。
クロアは休日だったので、オルウェンが受け取った知らせによると、3日後にファグロが帰国することが決定した。




