093 :// 超えられない壁 -2-
「お待ちしておりました。そちらがお食事ですか? お持ちしましょう」
「あ、いや」
「遠慮なさらず」
夜の迎賓館を訪ねると、ファグロが直々にお出迎えしに出てきた。
大きめのトレーに載せたおつまみたちは、クロアが返答しきる前に取り上げられてメインルームに通される。
メインルームはテーブルセッティングがされていて、そこには用意した覚えのない燭台に火が灯されていた。
おそらくファグロの趣味なのだろう。
(半分は自分でやったんだけどアレだな……この空間キモいな)
特筆すべきは、この空間の異様さである。
魔導具で作られた色変更可能な間接照明は紫色に、花蜜の燭台が橙に柔らかく周囲を照らす。
故郷で言うラから始まる種類のホテル感が漂って気持ち悪いのだが、半分は自分の悪ふざけで用意した手前、何も文句は言えない。
「誰もいないんですね?」
「どうか罪なる私をお許しください……。折角なので、二人きりで楽しみたいと思いまして」
「そーですか」
わかっていたけれど。
想像以上に想定通りなので、もう何も言うことはない。
合わせるために、クロアはいつも周囲を漂うニャスタたちを少し離れた位置に置いた。
ニャスタたちも察したようで、ころころと転がって眠りだす。
クロアはファグロからトレーを受け取り、皿をテーブルに並べた。
「またお手製ですか?」
「そーですよ。私以上に酒のつまみに造詣の深い者はいませんので」
「さすがですね。もう給仕も料理も、するなとは言えません」
日本酒に合うであろうおつまみ各種。
刺し身、野菜の浅漬け、低温加熱のロースト肉、米粉の天ぷら盛り合わせ、フルーツ。
当社比ではあるが、自分一人の酒盛りでは絶対に作らない豪華さである。
「それでは例のものを開けましょう」
ファグロがおもむろに戸棚を開け、大きめの瓶を取り出した。
栓をあけ、グラスにその無色透明な液体を注ぐ。
(【認識魔術】起動)
今日は何も酒のためだけに来た訳では無い。
ここは血の流れない戦場になるため、魔術システムを起動した。
(ニャスタ。有害な成分は?)
『有害成分、感知。
有意な有害成分:アルコール含有15%。それに伴う人体影響成分のみ』
そこらに転がったまま分析したニャスタが結果を角膜に表示してくれる。
特に問題のない、ただの酒のようだ。
魔術を起動させたままだと瞳が青く光ってしまうので、見られないように目をこすったり髪で誤魔化していたが、そろそろ限界だ。
認識魔術を半停止状態にしておく。
「それでは運命の出会いと、クロア嬢の仕事の仕上がりに。
『8柱に感謝を』」
「『8柱に感謝を』」
不慣れな魔国の乾杯の音頭に出遅れつつ、グラスを掲げてから口をつける。
(———日本酒だぁ……)
ずっと、アルコール度数の低い酒ばかりだった異世界生活。
久々の舌と喉にくるアルコールが、疲れた体にぎゅっと勢いよく染み込み、爽快感が頭から抜けていく。
クロアはふわり、と自分の心に花が咲いていくのを感じていた。
「ホントに強めのお酒ですねー。久しぶりです」
「強すぎませんか? 割り物もありますよ」
「いえ、ちょうどいいです」
ファグロは少し驚いた顔をする。
この世界ではアルコールの強い酒があまり出回っていないので、平然と飲むクロアに違和感があるのだろう。
(とはいえ、飲みすぎるとやばいな)
クロアは日本酒が好きだ。
しかし酒豪と言うほどではないので、大体飲みすぎると翌日二日酔いになる。
睡眠不足と疲労と、この後に起こるかもしれないことを考えると気を抜けない。
「気に入って頂けて何よりです。
ライスワインと言いまして、生産は西魔国のみになっている珍しいワインなのです」
「米は魔国中で生産しているのに、お酒は西だけなんですか?」
「製法が秘されてまして。他魔国でも製造しようと研究されていますが、なかなかまだ実現していないようです」
「西かぁ……」
まだ南魔国との関係性が安定していないので検討してこなかったが、日本酒のためには新たな国交も考えなければならない。
と、酒を煽りつつ深刻に思った。
思えばバリランからは南魔国の話を聞いてばかりで、他の魔国についてあまり聞いていない。
「他の魔国はどういったところですか?」
折角なので聞いてみる。
「そうですねぇ……北は絢爛なる神々の宝石箱。西は豊穣の神が住まう水の土地。
東は熱き血潮の滾る戦士。といったところでしょうか」
ファグロは言うと、そのまま食事を口へと運ぶ。
実に美味、と満足そうな顔をして頷くが、話の続きが全く出てこない。
「……まさか終わりです?」
「ええ」
ファグロは酒を小さく一口飲むと、キラキラと眩しい笑顔を放つ。
「……もう少し具体的なところを聞いてもいいですかね? まず北は……宝石箱? 宝石業が盛んとかですか?」
「ええ。昔から高品質な宝石の産地ですので、高位貴族なら誰もが北の宝石を身に着けています。
北の宝石を持たぬ貴族は、貧乏人扱いされることもしばしばあるくらいですよ。
私の今宵のブローチも、北産のサファイアなのです」
「へえ」
言われてみれば、大きな宝石があしらわれたブローチがファグロの胸元を飾っている。
サイズが大きいのに透明度が高く星のように瞬いているので、きっと金額を耳にするのも恐ろしいような高級品なのだろう。
「それだけの宝石産地なら、北はやっぱり潤っているんですか?」
「いえ、そうとも限りませんよ。大量の鉱山に貴族との太いパイプ……輝かしい才をその手に持っているのに、近年はその歩みを止めているようで」
「経済停滞してるってことですか?」
「噂では北魔王は病にかかっているなどと聞き及んでおります。
次期魔王候補すら滅多に姿を見せないので、高位貴族たちがこぞって政治の代理戦争をなし、愛憎渦巻く社交界になっているのだとか」
「ぐえー、こわ。ウチじゃ北魔国とはあまり仲良くなれそうにないですね」
「南魔国の者としては言ってはならない禁断の話ではございますが……ルミナディアが次に国交を開くのであれば、西がいいかと」
「西ですか」
思えばかつて、バリランも魔国とやりとりするなら南か西がいいだろうと言っていた。
ファグロに対して話の長い面倒な男という評価をしていたが、意外とまともな話をしてくれそうだ、とクロアは耳を傾けた。
「西とは食に関する貿易をされるのがよろしいでしょう。
豊穣の神が住まう地では、乙女の如く清らかな水が流れていると聞きます。
その清らかな水が、他にはない作物や水産物を生み出しているようです」
「じゃあ酒だけじゃなくて、香辛料なんかも……?」
「南魔国より遥かに多くの種類があることでしょう」
「なんと……!」
異世界に来てから始まった、クロアの香辛料研究はまだ趣味として行っている。
南魔国のお陰で塩や砂糖などの基本的な調味料が揃ってきたが、異世界香辛料という未知の味に興味がそそられる。
「西は料理人も一級ですよ。
料理人なら西へ行け、と言うくらいでして」
「そんなにですか。それは……一度行ってみたいものですね」
「是非ご案内差し上げたい気持ちですが、困ってしまいますね」
「え?」
「あまりの美食に、クロア嬢が帰らなくなってしまったなら……私はどちらへ行けばいいのでしょう」
それは南魔国へ行けばいいだろうに。
「どんなとこだろうと、家には帰りますよ。
それで、東はどんなところって言ってましたっけ?」
例のファグロ劇場が始まる予感がして、さっと話を切り替えた。
「地位ある者は皆すべからく武力ある者。そういう国です」
ファグロは劇場が始められなかったからか、少し不服そうな顔をしている。
始まる直前に話を振る作戦、成功だ。
クロアは何事もなかったように、営業スマイルを保った。
「南魔王サマは武力って感じじゃないですが、東は力こそ全て! みたいなヤツなんですか?」
「ええ。人族との国境防衛線であり、魔国の矛にして盾。戦闘系血統術を持つ者が強い権力を持つ国です。
権力の序列はそのまま武力に繋がると言っても過言ではありません」
「ガチの魔王だ……」
「何かおっしゃられましたか?」
「あーいえ、なんでも。このお刺身、よく合いますよ。どーぞ召し上がってください」
「いただきます」
クロアの中の、四天王を従えるザ・魔王のイメージそのもので、うっかり本音がポロリと出てしまった。
幸いにも聞き取れなかったようで安堵する。
そろそろアルコールが回ってきたのかもしれない。
「結構個性あるんですね。魔国って」
最初に国交を開いたところが南魔国でよかった気がした。
ソルマンやファグロも厄介な存在だが、面倒なだけで意外と悪くなかったのかもしれない。
「ええ、さながら8柱の神々の如く、豊かな面々かと。持ち味があるということは素晴らしいことです」
(お前の持ち味はいらんかったがな)
内心で突っ込むクロア。
絶対に同じ職場にはいて欲しくないタイプだ。
もし上司がこれだったらと一瞬想像して身震いした。
「少々顔色が悪いようですが……?」
「あーお気になさらず。少し酒が回ってきただけです」
嫌な想像をしていたとは口が避けても言えない。
咳払いして誤魔化した。
それから他愛ない雑談をいくつか交え、おつまみも半分以上が片付き。
ほどよく酒も回った頃、クロアはついに気にかかっていたことをぶつけることにした。
「———使者としてルミナディアに滞在して、随分経ちましたがいかがです?」
「そうですね。なかなか複雑で……清廉なる神の讃美歌を形にするような晦渋な仕事でしたが、輪郭程度は理解出来てきたかと」
「ん? ではもしかして、そろそろ……?」
「ええ、帰国も検討しています」
「けひッ!?」
意外な返答に面食らい、むせた。
(ってことは、つまり)
先程とは別の嫌な予感に、背筋が凍るような気分だ。
咳が収まる頃には、立ち上がったファグロがクロアのすぐ隣にいた。
「!」
頬に触れた、急激な温かさ。
それがファグロの手であることに気付いた時には、吐息すら感じるほど距離を詰められていた。
「帰国の前に一つだけ、私の願いを聞いて頂けないでしょうか?」
クロアは身を強張らせた。
ここまで近いと、さすがに営業スマイルも引きつる。
「……ものに……よりますかねぇ……」
つい目線をそらしたが、ファグロはねっとりと距離を詰めてくる。
「……ちょっと近すぎません?」
身じろぎしようとするが、椅子に座っているのでこれ以上体を引くことも出来ず、逃げ場がない。
(ぐええ……)
擦れたメンタルを持つクロアとはいえ、一応は女である。
かつては人並みに少女漫画も読んだし、顔のいい男が近過ぎるとささやかに緊張する。
酒ではない原因で、顔がボッと熱くなるのを感じた。
「ご心配なさらないでください。私の願いは、たった一つだけです———」
囁くような声に、目がぐるぐるするような感覚に陥る。
10秒程度が何分にも感じる中で、さらにファグロがクロアの耳に唇を寄せた。
「『今宵は、私に身を委ねてくれませんか?』」
キン、と思考に氷が走ったような感覚。
ファグロが身を離す。
潤んだ橙色の瞳と目が合った時、クロアの中の何かが“溶けた”。
(ぐるぐる……する……)
そこまで酒は飲んでいないが、完全に酩酊した時のような世界が周る感覚。
あるいは寝起きの、自意識が浮かんでこない曖昧な感覚。
そこにファグロの言葉がぬるりと浸透してきて。
何を当然のことを聞いているのだ、という疑問が湧いた。
体の感覚すら見失い始める。
この男に、身を委ねる。
なんという当たり前の話。
「……は、……」
い。
その言葉が口から出そうになった時、何かが聞こえてきた。
テレテンテテテーテレテンテテテー
あまりに聞き慣れすぎたメロディーに。
「………………い、と……」
意識が戻ってきた。
「言う前に……」
溶けていった思考が、再び形を成す。
「私も……ひとつ…………聞きたい……ことが…………」
クロアがファグロの肩を押して立ち上がろうとすると、足に力が入らずよろめいた。
その背中をファグロが優しく抱きとめる。
「無理をしてはなりませんよ。どうやらお酒を飲みすぎたようですね?」
「…………私…………」
甘く囁くファグロを無視して、クロアは自分の頬に添えられた手を取った。
「とても……誰にも言えない…………秘密が、あって……」
自分より大きな手を体に沿って下へ下へと持っていく。
胸を過ぎ、腹、そして。
「これでも、大丈夫……ですか……?」
ファグロの手がクロアの下腹に触れた時。
本来あり得ない膨らみと硬さに触れ、ファグロの体が硬直した。
「…………ファグロ、さん……?」
ドクンドクンドクン。
破裂しそうな心臓。
そして何かを失ったような、羞恥心。
3秒。
返答はない。
あまりの恥ずかしさにずっと目を合わせられずにいたクロアが、ついに顔をあげた時。
———ボフン!
ファグロに霧のような煙が一瞬にして立ち、瞬きする間にその姿がゾルカスになっていた。
「……ゾルカス、さん?」
「これは……」
ゾルカスはたった今までファグロがいたところに、全く同じ姿勢で立っている。
当然クロアにも触れているわけで。
一瞬で状態を理解したらしいゾルカスが、すっと身を引いた。
「……失礼しました、クロア嬢。うっかり私の血統術が発動してしまったようですな」
「血統術……?」
「……さすがに説明なし……は、無礼が過ぎるでしょうな」
ゾルカスは言い淀んだが、諦めたように一礼した。
「この老骨の血統術、【位置転換】。
術を仕掛けた対象が危険を感じると、私めと位置を入れ替える血統術でしてな。
戦闘に長けていない坊っちゃんのための、防衛策のひとつにございます。
許可なくその……体に触れてしまった無礼を、どうか寛大な心でお許し頂ければ……」
またゾルカスは深々と頭を下げる。
(なるほど……)
これで常にゾルカスが迎賓館にいたことが理解出来た。
そして納得と同時に、クロアの頭はかつてないほどの高速で思考していた。
「つまり、そんなに嫌だったということなんですね」
「いえ、クロア……嬢……。そういった訳では……。少々予想外だっただけかと……」
嬢とつけるか悩んだあたり、ゾルカスもきちんと状況を理解していて、かつ見た目以上に動揺しているらしい。
これはまたとない、チャンスである。
クロアは悲しげに目を伏せた。
「私、フラれたみたいです。
ファグロさんの方から……だったのに、こうして逃げられてしまったわけですし」
「それは……」
あんなに見た目で表情がわからない老人だったのに、明らかに慌てふためいているのが見て取れる。
噴き出してしまわないようぐっとこらえて、クロアは出ていない涙をさも流れ出しそうと言わんばかりに指で拭ってみせた。
———ゴンゴン!
扉を叩く音がする。
「おい、クロア。緊急事態だ、ちょっと来い!」
迎賓館の玄関から聞こえる、バリランの声。
素晴らしいタイミングだ。
「呼び出しのようなので失礼しますね。ゾルカスさん、私の秘密は誰にも言わないでくださいね」
「いえ、その……!」
「そーだ」
去ろうとして、思い出した。
「この悲しみを忘れるには、お酒が必要そうです。
今晩の埋め合わせに、このお酒はいただいていきますね」
「どうぞお持ちください。しかし、どうか……坊っ……ファグロ様が戻って来るまで……」
「緊急事態の呼び出しですから。
それにあんなに恥ずかしい思いをしたのに、どんな顔をしてお会いすればいいのかわかりませんので」
クロアの極めて正しい言葉に、なんとかして引き留めようとするゾルカスも言葉を見失ったようだ。
「それでは」
何か言いたいが言葉が出ない様子のゾルカスに目礼して、クロアは迎賓館を後にした。




