083 :// 公衆浴場 -1-
「……………………腹……いってー……」
何か変なモノ食べたっけ。
と寝起きのぼんやりした頭で昨日何をしていたか考えて、笑い過ぎで腹筋が筋肉痛になっていることに気が付いたのは、10分以上経過したあとだった。
昨日は無事に南魔王ソルマン、そして使者であるファグロの歓待という大ミッションを完了した。
食事の後はアクシデントもなく、泊まりたいと駄々をこねるソルマンをほぼ無理矢理魔扉で返却し、評議会メンバーは疲労のままに解散。
家について落ち着いたあと。
ここまでのストレスがどっと決壊した結果、料理人がクロアだったと知って驚愕するソルマンの顔を思い出して、その場で出来なかった分まで大爆笑した。
あの顔。
突然ヘソでも指でつつかれたような。
いい歳のカッコつけたオッサンによるきょとん顔は、反則級に痛快だった。
あの場で爆笑を耐えられた自分には何か賞でもあげたい。
地面をたたき、笑い転げた。
愉快過ぎて盛り上がったのでオルウェンと酒を飲み、さらに大爆笑。
日頃の恨みを果たせた感覚がたまらなくて、つい調子に乗った。
その結果がこれ、腹筋の筋肉痛。
笑い過ぎて筋肉痛になるなんて、人生初めての経験である。
(私も筋トレ会行きか……?)
早朝、広場でラジオ体操よろしくバーチィール主催の筋トレ会がある。
もともとアストルを鍛える会だったものが、いつの間にかメンバーも増えて恒例行事になったらしい。
そこのメンツから虎視眈々と参加を狙われていることは、うすうす気付いている。
確かにこの異世界に来て、体力と筋力のなさは再確認したけれど。
(いやいや、筋トレ絶対ヤダ)
出来れば一生やりたくない。
面倒だし、そんなことをしている時間があれば仕事を1つでも終わらせて寝たい。
(腹筋だけならアリか……?いやでもバーチィールが全身やらなきゃ意味ないとか言ってたな……やめやめ)
筋トレと睡眠の狭間で苦悩する、朝の食堂からの帰り道。
「あっ。クロア議長様」
「ギチョウサマ」
初めてのワードに、思わず反芻する。
ファグロの侍従としてやってきた女性魔族が、クロアに気付いて押しているカートごとちょっと足早に寄ってくる。
このカートは今回このために作ってもらったもので、おそらくファグロ一行のための食堂の食事が入っているはずだ。
「あー。ファグロさんの」
「ジーシャと申します。ファグロ様の専属メイドとして参りました! よろしくお願いしまーす」
「よろしくお願いしますー」
「え?」
なんで?とでも言いたげな顔で見つめてくるジーシャ。
成人したかしていないかくらい、まだあどけなさの残る面立ちで、感情が素直に顔に出るタイプのようだ。
こんなところまで連れて来られるくらいだから、肝は座っているだろうに。
なぜそんな顔をするのか考え、一つの答えに思い至った。
「……あー。よろしくお願いしますって言われたら、同じように返しちゃう育ちなの。気にしないで」
「そんな感じ……なんですか?」
「あとギチョウサマもピンと来ないから、やめていいよ。別にえらいヒトってわけじゃないからさ」
「そんな恐れ多いです……!」
「まぁそんなことより、何か用事があるんじゃなかった?」
言うと、ハッとして口ごもるジーシャ。
「えっと。ファグロ様はクロア様の業務に随行することを要望してまして、それでえっと……」
「んー。評議会の建物にオルウェンって人がいるから、そこで書類にサインしたら私のところに来てもらうように伝えてくれる? 場所はオルウェンがわかるから」
「はい! お伝えします!」
どこか嬉しそうに礼を言うと、ぴゃーっと逃げていくジーシャ。
もう一人の女性魔族はキリっといて強そうな雰囲気だった記憶だが、ジーシャは見た目通りまだまだ若い娘のようだ。
とりあえずソルマンは帰ったので、当面の問題は使者ファグロである。
身分や種族上の問題が起こらないように、誓約書へサインしてもらったらIDを交換する手配にしている。
誓約書がどれほどの効力を持つか謎だが、住民への明らかな悪意は防ぎたい。
誓約書には全てを我慢しろとは書けないが、文化の違いによる不敬を許すこと、貴族として特権的扱いは出来ないことなどを記している。
まずはこれにサインして貰わなければ始まらない。
逆にサインされたら、ファグロは思うままに動き始めることだろう。
(しばらく休みが休みにならなさそーだな……)
クロアは痛みに震える腹筋で、悲しみの溜息を吐いた。
少なくとも筋トレに執行猶予がついたが、嬉しいのか悲しいのかわからない。
「誓約書にはきちんとサインして参りました。本日より何卒よろしくお願い申し上げます」
キラキラと謎の輝きを発しながらシロネ執務室にやってきたファグロ。
侍従は連れず、一人で来たらしい。
(貴族なのに護衛一人連れずにやってくるのは、信頼されているのか舐められているのか……)
南魔国との仲も理解も浅いせいで、妙に邪推してしまう。
クロアは考えを振り払い、営業スマイルで迎え入れた。
「ようこそシロネへ。どーぞおかけください」
出来立ての株式会社シロネの建物。
ここに常駐するのはクロアと手伝いのシグだけで、さほど重要度がない。
ゆえに新しいのに家具も少なく、貧相な作りになっている。
執務室にある申し訳程度の来客対応用ソファーとテーブルで、ファグロにお茶を出した。
「ここはルミナディア最初の会社……私の商会です。
まず使者としてのファグロさんの今後の動向について確認させてもらっても?」
「ええ、もちろんでございます」
お茶を飲む姿すら優雅だ。
南魔国で仕入れてきた高くないお茶であることに気付いているだろうに、文句ひとつ言う素振りもない。
ずっとこのままならいいのにと思うクロアだが、もちろんその思いは顔に出さない。
「まず南魔王様からの私への言いつけを話しておきましょう。
私は使者として、南魔国からルミナディア自治区への商売の間口を広げることを目的にしています。
我々南魔国が、独自の文化と生活圏を作るルミナディア自治区への理解を深めること……それが最大の目的です」
(あれっ? 話が長くないぞ)
思ったより、会話がスムーズに進む。
いい意味で面食らって、反応が少し遅れた。
「……確かに私たちは独自の文化圏にあるので、相互理解は助かります……が、具体的にはどのようになさるご予定で考えてますか?」
「はい、まずはクロア嬢についてまわろうかと。聞けばルミナディアは、海の向こうからいらしたクロア嬢が故郷の文化に近づけているのでしょう?
どのような生活をされているのか、足りないものか何か。
クロア嬢を知ることが、それを知ることとなりましょう」
わかっていた。
結局それがあちらにとってもこちらにとってもベストなのだということは。
使者も住民も御せて、かつルミナディアのあらゆることに精通している人間。
そんなの、クロアしかいない。
(めんどくせー)
うっかり顔に出そうになるのを、ぐっとこらえる。
「……そうですね。それでは私の休日は事前に伝えますので、毎朝9時にこちらへ来るようにお願いします。
日によって評議会の仕事や会社の仕事で、場所も業務もマチマチですが……」
「ええ、想定しておりますとも。適宜対応致しますのでご心配なく」
「わかりました。まだまだ国にも至らぬ『自治区』ですので、危険なこともあります。
誓約書にも書いてあったと思いますが、身の危険には重々気を付けてくださいね」
「こう見えて他魔国へ行く折など、魔獣のいる森で野営も慣れているのです。あまり気に留めずとも問題ありませんよ」
「そうですか」
それってフラグじゃないのか、と気持ちが沈む。
大体こういうこと言うやつがその通りのアクシデントにあってめちゃくちゃ文句言うイメージがある。
アニメの見過ぎだと信じたい。
「ではこれから自治区の公共設備の建設に向かいますけど、来ます?」
「ええ、もちろんです」
ファグロは立ち上がり、恭しく膝を折るとクロアの手を取った。
「貴女にどこまでもお供させてください」
手の甲に触れる柔らかく温かなファグロの唇。
変な声が出そうになるのをぐっと耐えた。
これはドキッとかトゥンクではない。
ヒィとかうわぁのソレである。
喉元までせりあがったものを、なんとか耐えきった。
「……行きましょう。ちなみにそーゆーの、私の故郷にはない文化なのでしなくて大丈夫ですよ」
「フフフ。私がしたいのです。……いけませんか?」
まだ手を取ったまま、じっとクロアを見つめるファグロ。
その視線は妙に熱っぽい。
嫌な予感しかしないので、クロアはさっと目をそらした。
「……お好きにどーぞ。ただし貴方が望む反応はできませんよ。貴族的なモノも知りませんし」
「ええ、構いませんよ」
にこやかに笑うその顔に、先行き不安しか感じない。
■□
「やぁ、クロア。工事は順ちょ……あっ」
「バーチャーム、ありがとう。気は遣わないで大丈夫」
目的地では、バーチャームの指揮のもと何人もの半獣族がせっせと建築作業を行っている。
「クロア! 見て」
「んー?」
クロアを見つけるや否や、駆け寄ってきたのはシグ。
手に持っていた紙を広げて見せてくれる。
これは建築現場の間取り図だ。
「工事完了は、ここからここまで。ここは仕上げが残ってるのみ。あと1時間あれば終わる。
今、工事中、こことここ。仕上げも含めて完了まで5時間程度の見込みって聞いた。魔導具仕込むとこは、もう作業出来るよ」
「シグ……」
今日は内容的に授業免除とのことで、朝からシロネに来たシグ。
ファグロを迎える前に、来る予定だったここに行って見ておくように言ったけれど、見学の意味であって別に進捗報告を課した覚えはない。
だが、実際にクロアが来て確認しようとしていたこと、全てを言われてしまった。
「成長してるなー。偉いぞ! ありがと、知りたかった情報だよ」
「これくらい普通だよ」
わしゃわしゃとシグの頭をなでると、恥ずかしそうにシグはうつむいてしまった。
自分で何をしたら役に立つか、必死に考えたのだろう。
故郷の新卒でも言われなければ出来ないことだろうに、本当に賢い子である。
「クロア嬢、こちらは……?」
「公衆浴場です」
ここは、公衆浴場。
今まで住民は川で水を浴びたり、汲んできた水を使って布で体を拭くだけだった。
ここ最近は温暖な季節なのでいいが、この先を考えると問題だ。
一応、この近辺でも冬が来るらしい。
半獣族にとっては日常のことらしいが、クロアは冬に川で水浴びなんて修行みたいなことはしたくない。
窮めて一般人でしかないクロアは普通に風邪をひくし、なんなら心臓麻痺くらい有りえる。
そこで浴槽を賃貸の家につけるのも大変なので、公衆浴場にすることで住宅建設のコストを減らし、管理も楽にした。
それがここである。
「湯あみ場……ですか? それにしては、随分広くないでしょうか?」
「公衆ですから。住民がたくさん同時に入れるように設計してます」
「公共施設と言っていませんでしたか?」
「そうですよ?」
ファグロは信じられない、という顔をしている。
湯舟は貴族の特権だと評議会でバリランとオルウェンに聞いた記憶があるので、理解しがたい光景なのかもしれない。
「……体の汚れ、不衛生な状態は疫病のもとです。
温かい湯舟は衛生を保ち、かつ精神も豊かにします。必要な設備ですよ」
「左様で……」
説明しても、まだ理解できない雰囲気だ。
(嫌悪感がないだけ、まだマシか)
非常に扱いづらいが、表立って文句を言う訳ではなさそうなので考え直す。
折角なのでこの際、彼の許容範囲を見ておこう。
「私がこれから魔導具設置すれば今日中に出来上がりですよ。
迎賓館に個人用のものがありますが……気になるなら、入ってみたらどーです?」
「私が……ですか……?」
「新しい世界を教えてあげますよ」
戸惑った顔をしているが、拒絶はしない。
意外と思っていたより、面倒事は起こらないかもしれない。




