100 :// 激嵐の日 -3-
浴場から出た瞬間に、違和感があった。
「暗っ」
先程まで晴れていたのに、空が分厚い雲に覆われて日暮れのように暗くなっていた。
たった一時間満たずの時間における空模様の変化としては、異常だ。
ヴラウが一人で服を着られないので、無駄に時間が掛かってしまった。
クロアは急ぎ足で不服そうなヴラウを連れて、バーチェークの待つシロネへと足早に向かう。
「クロア!」
シロネの前では、バーチェークとオルウェンが待っていた。
「遅くなってごめん。緊急事態って……まさかこの空?」
「ああ。待ってる間に色んなヤツに聞いてみたんだが、誰もこんな暗い空見たことねえって」
「これはヤバイわよォ!」
「見たこともねえ、でっけー嵐が来るかもしれねえ」
クロアの故郷でも所謂ゲリラ豪雨という集中豪雨のタイミングには空が急激に暗くなることがあったが、今のルミナディアはそれ以上だ。
(異世界だからってわけじゃないのか)
よく似ているが、地球とは異なる自然を持つ世界。
それ故のものかと思っていたが、皆の落ち着かない顔色を見るに本当に異常なことのようだ。
「———わかった。非常時に備えよう」
事が起きてからでは遅い。
クロアは悩むことなく判断した。
「まずはオルウェン。ニャスタを貸すから、ルミナディア外に出てる人たちに帰還命令を伝えて。
帰れない人には川付近、背の高い木には近寄らないように、入念に言って。
ルミナディア内には緊急避難先は評議会、貴重品は手元に持っておくようにアナウンスを。
そのあとは評議会でみんなを誘導して」
「任せてッ」
「バーチェークは建築部と補強チームを作って。個人宅とか、初期の建築あたりがやばいかも。
窓も割れる可能性があるから、危険そうなところの補強を。どこが脆いかはバーチャームに判断任せてもいいよ」
「わかったぜ」
オルウェンとバーチェークが一斉に動き出す。
ついに稲妻の光と、遠くの雷らしき音がかんじられるようになってきた。
これは忙しくなりそうだ。
「ヴラウ公爵。お聞きだったかと思いますが、お散歩の時間は終わりです。
そろそろ魔扉が解錠出来ますので、安全のためにお帰りを」
「……仕方ないわね」
ずっと不服そうにむくれ顔のままだが、さすがに見知らぬ場所で大嵐に遭いたくはないのか素直に了承したヴラウ。
クロアはシロネの入口から顔だけ覗き込んだ。
「シグー! シグいる!?」
「———はーい———な、何この天気!?」
シロネの倉庫にでもいたのであろうシグが、呼ばれて外に出てくると辺りを見てびっくりする。
「迎賓館にベノアさんがいるから、急ぎで呼んできてくれる? お客様がお帰りって伝えればわかるから!」
「わかった!」
異様な空気を感じ取ったのか、すぐに頷いて見せたシグはまっすぐ迎賓館へ駆けだした。
「———あの子供———」
「クロア! 何が起きてるの!?」
ヴラウが何か言いかけた時、シルフェアナがシロネ前に飛び出してきた。
「ちょうどよかった、シルフェアナ!
こちら南魔国のお客様。迎賓館からベノアさんが来たら、一緒に魔扉からお送りして。
私ちょっと離れるけど、お客様に危険がないように近くにいて差し上げて」
シルフェアナがちらりとヴラウを見る。
「……わかったわ。しっかりお守りしておく」
おそらくシルフェアナは、これが『こいつがウロつかないように牽制してくれ』の意味であることを理解してくれている。
クロアはシルフェアナに魔扉の鍵を渡すと、目的地へと駆け出した。
(氷室と畑だけは、私じゃないと補強できない)
目的地は二箇所だ。
大雨になって確実に被害が出る2個所、まずは氷室へと向かう。
住民たちみんなの食料を保管しているが、まだ冷凍の魔導具を製作していないので、剥き出しの氷の壁である。
酷い雨なら破壊されてしまい、なかの食料もダメになってしまうだろう。
「ニャスタ! 3日ほど、住民の非常食になりそうなもの何かあるかな!?」
氷室に到着して食料保管を担当してくれているニャスタに尋ねると、干し肉と乾燥野菜の入った箱を光で示されたので外に出しておく。
急激に来る嵐が何日も影響を及ぼすとは思えないが、何が起こるかわからないので念の為。
氷室担当ニャスタたちも脱出したところで、休止モードにしていた魔術を起動する。
「【建設魔術環境】有効化———入力完了。【固定】。【土壁】実行」
氷室丸ごと、土の壁で覆ってやった。
これで雨風にも耐えられるだろう。
ピリリリ~
通信の音がするが、いつも表示される発信者の名前を記した魔導ディスプレイが出てこない。
「?」
勝手に通信が開く。
『にゃすすすすすすすすすすすす』
「何コレ……」
映る映像は、地面に横たわったような視点。
おそらく外にいるニャスタの視界の転送で、壊れた人形のようなニャスタの悲鳴が断続的に聞こえてくる。
眼の前にいる別のニャスタ2匹も、地面に食い込むように落ちているようだ。
その小さな体を叩きつけ続ける、滝のような豪雨。
それはニャスタたちが雨に打たれて地面にめり込んでいる映像だった。
「これが嵐……!?」
故郷のゲリラ豪雨よりも遥かに激しい。
ニャスタは確かに体重も力も大して持っていないので、継続的な力が上から加われば飛ぶことが出来なくなるだろう。
だが普通の雨程度なら問題ない。
地面に押し付けられたようになっているこの雨は、異常だ。
「見に行ってくれてたんだね、ありがとう」
「にゃす」
「……このニャスタたち、ダイジョブ?」
「にゃす~」
聞くと、映像の中のニャスタたちが消え、映像も消えた。
どうやら動けなくなってしまった投影体そのものを消去したようだ。
クロアは土壁で覆ったばかりの、目の前の氷室を眺めた。
「……コレ、氷室だけじゃなくてルミナディア全部覆わないとダメじゃない?」
■□
「———やっぱりおかしくない? おかしくない?」
「クッソやべえ嵐が来そうだな」
「帰った方がよくないですか?」
朝から快晴だったのに、30分もしないうちに急変した空模様に、狩猟組も異様さを感じ取っていた。
吹き抜ける妙に生温い風にすら不安を覚える。
「でも今日、コボルト3体だけだぜ?」
「このあたりに洞窟がないか探してみる? みる?」
アストルは、ヒィースにもトゥルエルにも同意出来なかった。
妙な胸騒ぎがする。
嵐にしても何かが違うような気がするのだが、それが何かは言葉に出来ない。
ピリリリ~
突然の音に、3人とも肩を震わせた。
『緊急通信よォ!』
聞き覚えのある上擦った太い声とともに、ニャスタの1匹が両手を広げて魔導ディスプレイが開かれた。
そこにはオルウェンの顔が大きく写っている。
『ルミナディアの外にいるメンバーへ通信してるわ。
見たこともないような、巨大な嵐が来るかもしれないのォ!
危険だから、ルミナディアへ帰還して!
もし遠くて戻れないなら、川と高い木には絶対近づかないようにってクロアが言ってるわ!
川は氾濫するし、高い木は……なんでかは知らないけどォ!』
映像の向こうで、ニャスタが飛んできてオルウェンの頭に蹴りを入れた。
『イタタ……えッ? なにィ? 雷ィ??
ええっとォ……高い木には雷が落ちやすいから危険なんですって!』
オルウェンが通信画面外を見ては言葉を発する。
見えないところでニャスタが説明しているのだと、通信を見ている全員が確信した。
『ルミナディアでは評議会の建物が一番安全みたい。戻ってきたら、評議会に避難してッ! 以上よッ』
通信が消え、アストルたちは3人で顔を見合わせた。
「……大袈裟……じゃねーか?」
「クロアが言うんだから、帰ろ帰ろ~」
「帰りましょう」
意見は2対1となり、ヒィースも渋々頷いた。
これまでコボルト3体は持って歩いていたが、さほど珍しい魔獣でもなければ高い値もつかないので、置いていくことにした。
ふと上空で大きく風がうねる音がして、アストルは空を見上げた。
この鳥とも魔獣とも違う特殊な音には聞き覚えがある。
「この音……ルジィさんだ」
アストルの呟きで全員が空を仰ぎ、東から羽ばたいてくる見慣れた姿を見つけた。
「おっ、マジだ。折角だから乗っけてってもらおうぜ~。おーいルジィ!」
「ルジィルジィ~!」
ヒィースとトゥルエルが両手を振って合図すると、ルジィは大きくぐるりぐるりと旋回し、少し離れた場所に降下していくのが見えた。
アストルたちのいるこの付近は木が集まっているので、開けた場所に降りたのだろう。
3人は置いていくつもりだったコボルトを抱えて、ルジィの着地地点へと急いだ。
「いたいた~。ルジィだ」
腹袋を開いたままのドラゴンが、こちらを見つめて待っていた。
「ルミナディア行くんだろ? 乗せ」
『いいから早く乗って!! 飛んでから話すから!!』
ヒィースの言葉を遮るルジィ。
あまりに切羽詰まった声色は、何かあったのだろう。
3人は言われれるままにルジィの腹袋に飛び乗るが、腹袋が閉じきらないままに動き出したために、よろけて3人はぶつかり合った。
「イッテ~! 舌噛んぢまったぁ」
「飛ぶなら言ってよね、もうもう~」
『ゴメン、超急いでるから!』
実は初めてルジィに乗るアストルは、尻もちをついて触れた手が腹袋のふわふわした毛に触れていてほんのり和んでしまっていたが、ルジィの声色を聞いてすぐに思考を切り替える。
『クロアって今日、ルミナディアにいる? いなかったらヤバイよぉ!』
「いますよ。何があったんですか?」
この異常な天気にまつわることかもしれない、とアストルは乱れたモノクルを掛け直したが、その後の言葉は想像もしていなかったことだった。
『スタンピードが来るよ!!』




