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きょうき 意 置くて そる・其の三

別のお話の、続き。

************************************************


「父上。本日の分です」


 硬貨の重みを受け取ると、父は一度だけ頷いた。


 いつもそれだけだ。

 褒められることもなければ、労われることもない。


 だが、怒鳴られも、殴られもしない。


 それで、十分。


 そんな日々が、繰り返された。

 その内に、三年が過ぎた。▓▓は半成人となる。


 だが、それでもやる事は変わらない。

 働く。金を渡す。命令を待つ。


 その中で、余計なものは削ぎ落とされていく。


 例えば、迷い。疑問。……感情。

 必要のないものは、すべて。




 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎




 作業場は、いつも通り騒がしかった。


 金属の擦れる音。機械の唸り。怒鳴り声。

 その全てが混ざり合い、ひとつの“日常”になっている。


 その中で、私は黙々と手を動かしていた。


 与えられた作業は単純だ。

 だが、単純であるほど誤差は許されない。


 部品を組み、形を整える。

 ズレはないか、歪みはないか。指先で確かめる。


 もっと早く。もっと正確に。




「いつまでボケっとしてんだ!」


 そんな時——

 視線の端で、名も知らぬ上司が、別の作業員を怒鳴りつけていた。


 彼は、高校生くらいだろうか。可哀想に。


「この程度のことも指示しなきゃ分かんねぇのか⁉︎ これだから最近の若者は……」

「す、すみませんっ!」


 私は、その光景を一瞬だけ見た。

 そのお兄さんが頭を下げている横で、上司さんは段ボールを開封していた。


 

 ——ああ、なるほど。


 あの作業を、私もやれば良いのか。


 そうすれば、私は怒られずに済む。

 本来働けない年齢でも……このまま、この場に居させて頂ける。


「よし、やろう」


 判断は早かった。

 頼まれていないことでも、必要ならばやる。


 それが“役に立つ”ということだからだ。


 手元のカッターを取り、目の前の……

 顧客向けのソファが入った、段ボールに差し込む。


 まずは上部の真ん中を開いて……端のテープを切断。


 そして、側面の四隅も少しずつ、上から下へと切り込みを入れる。


 ——これで、中身のソファは露わになる。

 上司さんの、指示を出すという手間を省くことができた。


 これで、すべてが上手くいく……


 ……はずだった。


 ピッ。

 音は、ほとんどしなかった。

 “何か”の手応えが、指先に残った。


「あ……」


 刃が滑った。


 わずかに。ほんのわずかに。


「ああああ⁉︎」


 その結果は、致命的だった。


 ソファの表面に、細い線が走っている。

 光の角度で、少しだけ分かる傷。


 これ、雑布でコーティングされてなかったのか……。


「……ああ」


 息が、止まった。

 

 どうしよう。正直に頭を下げる?

 それとも——


 バレないように、黙っておく?

 ——知られなければ、“失敗”ではない。


 顧客さんの元も、このくらいの傷は気にしないだろう。

 この部分を、見られないように上手く……!




 だが……

 事は、そう上手くは運ばない。


「何やってんだ? 坊主」


「ひっ……」


 上司が、いつの間にか隣に立っていた。

 そして、感心したように私を見る。


「お、言われなくても開けてたんだな!」


 本来なら……嬉しいお言葉だ。

 だが、私の顔色は青冷め続けていた。


 それに気付いたのだろうか。

 上司は、私をどかして、ソファをまじまじと見る。


「ん〜? これは……」


 そして、次の瞬間。

 ——何も言わずに、私を見た。


 その目に、感情はなかった。

 ただ、計算だけがあった。


「このソファなぁ……二十万の高級品なんだよ」


「へ……へぇ。そうなんですね?」


「ああ、桁を間違えてた。()()()二百万だった」


「へ……へぇ??」


 我ながら、苦しい反応。

 流れ出る冷や汗が、何も隠せていない。


「ここの傷。お前だろ? ……弁償な」


 短い一言。

 告げられた金額は、理解するまでもなかった。


「は、ぇ……」


 今月の給料。別の会社の給料。

 父上から私の手元に渡されている、少しの額。


 それらをすべて足しても、届かない。


「……払えません」


 正直に答えた。

 嘘をつく意味はない。もう頭を下げるしかない。


「親御さんは?」

「聞いてみます。が……ち、父上は、私などのために、出してはくれないでしょう……」


 すると、上司は肩をすくめた。

 ああ……終わりだ。


「じゃあ働け。逃げるなよ、クソガキ。……払えるまでだ」



 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎



 打ち明けた瞬間、空気が変わった。


 父上は話を最後まで聞かなかった。

 ……当然だ。

 金稼ぎの道具である私が、逆に金を奪おうとしているのだから。


「お前のために——」


 最後まで、聞こえなかった。


 視界が、唐突に弾けた。

 何が起きたのか理解するより先に、体が床へ叩きつけられる。


 肺の空気が一気に抜け、音にならない息が漏れた。


 遅れて、頬の奥が熱を持つ。鈍い痛みが、じわじわと広がっていく。


 ——殴られた。

 そう理解したときには、もう次の言葉が落ちてきていた。


「……いくら使ったと思っている!?」


 低い声だった。


 その言葉の直後、またもや視界が揺れた。


 口に流れ込んだのが自分の血だと理解するまで、少し時間がかかった。


 息が詰まる。

 肺が空気を求めて、無様に動く。


「あの男からお前を連れ戻すため、相場を調べ……()()()()()のだぞ!!」


「“あの男”って……?」

 もしかして、カール博士?


 だが、父上は私の言葉など耳に入っていなかった。


「『先行投資』という言葉を信じ、優秀に育っていると聞いたお前を買ったのは……とんだ失敗だったようだな!?」


「申し訳……御座いません」


「責任を返すまでは当然のこと! だがその間の収益はどうする!?」

 

「どんな手を使ってでも、稼いで参ります……!」


「フン、口だけの塵が。本当にやれるんだろうな!?」


 淡々とした口調のまま、続ける。


「過酷な環境を生き延びた幼子……。金を生んでも、それを超える損失を出す、か」


 視線が、床に落ちた。

 自分の手が、微かに震えているのが見える。


「なぁ。お前は“失敗作”か……?」





 父上は、そう吐き捨てて自室に戻られました。

 私は、自分が今どんな感情なのか……何も分かりません。


「これから先、どうすれば……」


 そんな時、母上が戸の隙間から覗いている姿が見えました。


 私は、咄嗟に声をかけてしまいます。


「あの……母上?」


 母は、私のことを可愛がってくれると言っていた。

 何か、優しい言葉をかけてくれるはず……だと思いました。


「ああ、▓▓」


「今の、聞かれていましたか?」


「ええ……。一つだけ、言っておくわ」


 ……何だろう。

 新しい仕事先でも紹介してくれるのかな?



「役に立たない子なんて、私いらないのよ」



 母上の声が、静かに響いた。


「え……?」


 優しい声色のまま、切り捨てる。

 声は低く、一定だった。


 ——怒鳴り声ではない。


 だからこそ、逃げ場がない。



 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎



「どうしよう。どうしよう。どうする。どうするどうするどうすれば!!!」


 痛みの中で、ワタシは考える。


 何が間違っていたのか。


 指示がなかったからか?

 判断が早すぎたからか?


 それとも——


 “役に立とうとしたこと”自体が、間違いだったのか?



 ……違う。


 違う、違う。私、私は……ワタシ、ああ。


 そうではない。

 僕……ボク、俺……当方?


 うるさい。黙れ。なんだ、これ。

 オレ……俺、俺、ワタクシ、小生。


 捨てる。捨てる。全部、違う。違う。

 なにがし……ソレガシ、某……セッシャ、▓▓?




 足りなかったのである。

 …………金が。



 金があれば、弁償できた。

 金があれば、殴られなかった。

 金があれば、必要とされた。


 ……博士も、納得しなかった?


 “あの男”は金で拙者を手放した???


 ——ああ、そうか。

 あの男も、金の前では“納得した”のか。


 ならば。

 ならば、ならば、ならば。


 答えは、一つしかない。



 その瞬間、何かが静かに切り替わった。



 心の痛みは消えない。

 だが、”意味”ならば変わる。


 これは“失敗の罰”ではない。


 “覚悟が足りぬ咎”で候。


 金のために……全てを捨て去る覚悟が。



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