追憶傾聴
——白い世界だった。
空も地面もない。ただ無限の白だけが広がっている。
その中心に、椅子が二つ。内一つには、既に男が座っていた。だらしなく足を投げ出し、頬杖をついている。
「……暇だな」
ジャック。その魂が、具現化した姿。つまりは彼の前世であるサラリーマンの男。
男は、退屈そうに呟いた。
もう、どれだけ時間が経ったのか分からない。
俺は……あいつの過去も、記憶も。全部見終えた。
別に、同情したりはしない。過程自体は、ありふれたものだった。
でも、奴にも正しい心があるのなら。それに寄り添って、掬い取って、手荒な真似をせずに済むように、救ってあげたい。……それが俺の、性分だから。
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「よう」
軽い挨拶と共に、向かいの椅子が引かれる。
その音でジャックは顔を上げた。
そこには……ゴハート。ただし、全身に被っていた白い布はなく……若い男の姿だった。
そんな彼にいつもの軽薄な笑みはない。背筋を伸ばし、静かに腰掛ける。
「待たせたな」
「茶番はいい。とっとと失せろ」
沈黙。
先に口を開いたのはゴハートだった。
「『寺田恒一』」
「……あ? 急に何だよ?」
「俺の前世の名前だ」
ジャックは鼻で笑う。
「聞いてねぇよ」
「そうか……。で、お前は?」
「ボケたのか? 『ジャック』だって知ってんだろ!?」
「……違う」
静かな声。ゴハートは今、「カビ助の使い魔」ではなかった。
「俺が聞いてるのは、“人間だった頃の名前”だ」
ジャックは舌打ちした。
「〜っ……『佐伯』。これでいいか?」
「下の名前は?」
「忘れた」
「嘘だな。お前にも、親からもらった大事な名前があるはずだ」
「チッ……んなの、何年も呼ばれてねぇよ。だから忘れたっつってんだろ」
「そうか。まあ、俺は知ってるけどな」
再び沈黙。
ジャックが耐えきれず、苛立つ。
「何なんだよお前。てか、いつになったら出られんだよ……ここ」
「これは『追憶傾聴』だ」
「は?」
「俺の能力だ。説明は省くが……この力は、前世の俺の仕事に由来する」
ジャックの眉が動く。
「ああ……思い出した。お前、あの時のクソガキか」
「やっと気づいたのか」
「お前は、ずっと気付いてたのか?」
「何を?」
「チッ……分かって言ってんだろ!? お前が、俺の! 担当だったことだよ!!」
「……」
答えない。
「いつから、気付いてた?」
「確信したのはついさっき。疑念を抱いたのは、お前が『青春が羨ましい』とか言った時の声色と表情だな」
「あーあーやだやだ。気持ち悪りぃ。好かれるなら女が良かったぜ」
「いつ、誰が、そんなこと言った? 話が飛躍しすぎだろ」
「チッ……ああ、確かに納得だよ。あの時の偽善者野郎がお前なら……初対面で何となく、邪魔だと……ムカつく同族だと感じてた理由が分かったぜ」
「ハッ。俺はこれでも、変わったつもりだけどな」
少しだけ。二人の間に、かつての空気が流れた。
——ただ、そう感じているのは片方だけ。
ゴハートの能力、『追憶傾聴』で作り出されたこの空間は、どちらかが折れるまで抜け出せない。ジャック……もとい佐伯は、適当に受け流して、隙を見てゴハートを殺す……もしくは、精神をへし折ろうとしていた。
「なぁ、佐伯さんよぉ」
ゴハートが言う。
「当時の俺の言葉で、何か変わったか?」
「へいへい……変わった、変わったよ。おかげサマでな」
「そうか。それで、同僚皆殺しを?」
「へっ……そうだ。あん時のテメェの言葉で、全部変わったぜ」
即答だった。
「会社も、人間関係も、そして人生も。全部どうでもよくなった。サツに捕まるリスク? 知ったこっちゃねえ。全員ぶっ殺した後、俺も死ねばいいと思えたんだ」
「……そうか」
「ギャハ……なに、傍観者ヅラしてんだよ。『責任を感じなくていい』って、テメェに言われたからだぜ?」
ゴハートは目を閉じた。
「そうか」
「『そうか』……じゃねぇよ!!」
ジャックが吐き捨てる。
「最後のブレーキ、外したのはお前だろうが! 背中を押した。お前が殺したんだよ。俺は悪くねぇ。俺が、抑えてやってた欲望を、解放したのはお前だ。お前が悪い、お前が、お前が!!」
「ああ……そうだな」
「あぁん!? 否定しねぇのかよ!!?」
「……そう見えたなら、それは俺の責任だ」
沈黙。
ゴハートは逃げなかった。
「俺は失敗した」
「……?」
「お前を救えなかった。適当な言葉ばかり並べて」
「……自虐かよ、つまんねぇ」
「だからあの後、俺は死んだ」
ジャックが初めて顔を上げる。
「は?」
「自殺した。あんたを殺した、その罰だと思って」
「……」
「だから。次の人生では、正解を押し付けないと決めた」
静かな声だった。
言い訳もない。誤魔化しもない。煽りを全て、心で受ける。
「お前を救えなかった責任は俺にある」
「……結局、テメェも悲劇の主人公ヅラかよ」
「ああ」
「ハッ、いい考えなんじゃねぇの? ま、もう遅すぎるけどな」
「ああ……」
ジャックは苛立った。怒鳴りたかった。殴りたかった。
だが目の前の、自分より若い男は逃げない。その姿に、過去の自分と比べて劣等感を抱いてしまっていた。それと同時に——
「それで?」
ジャックが吐き捨てる。
「謝罪会見でもする気か? 責任でも取ってくれんのか? 俺に身体を開け渡してくれんのかぁ!?」
「いや……今の俺は、マスターの使い魔だからな。さっきは中立の立場から語ったが、お前みたいな奴に身体を渡す気なんて毛頭ない」
「チッ……、クソッタレの偽善者め。なら何だよ!?」
「聞きに来た」
「は?」
「あの時のお前は……何が欲しかったんだ」
沈黙。
ジャックは笑う。
「今さら?」
「ああ」
「今さら聞くのか? 馬鹿じゃねぇの?」
「そうかもな」
ジャックは椅子にもたれた。
「何もいらねぇよ」
「嘘だな。お前はそんな人間じゃない」
「うるせぇ」
「お前はずっと欲しがってた」
「……」
「ずっと、退屈だったんだろ」
「黙れ」
「愛されたかったんだろ」
「黙れ……」
「誰かに必要だと言われたかったんだろ?」
「黙れっつってんだろ!!」
白い世界に怒声が響く。
だがゴハートは動かない。
「俺は……被害者だ。だから、教えてやるんだよ。能力のないモブには、過酷な世界では生き残れねぇって。こき使われ、搾り取られ、挙げ句の果てには、何者からも嫌われる。だから……そうだな。強いて言うなら俺は、そんなことに気づかず、のうのうと希望なんて見てるゴミクズどもの血が欲しい!! ギャハハハハ!!!」




