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狂気 意 置くて 逸る・其の五

別のお話の、続き。

************************************************


 二人は、いつも通りだった。


 父上は机に向かい、帳簿を眺めている。

 母上は、その横で果実酒を飲んでいた。


 何も変わらない。

 昔から、本当に、何も。


 拙者が何人殺そうと。どれだけ金を持ち帰ろうと。

 この家は、変わらない。


 だが今の拙者には、それが酷く異様に見えた。

 

 拙者の手元にまで金を渡す余裕があるということは。借金など、とうに返し終えているはずだ。

 それでも父上は当然のように金を要求し続ける。母上も当然のように受け取る。


 感謝はない。

 終わりもない。

 ただ、搾り取るだけだ。


『命は我らが与えたものだ。返すのが道理だろう』


 本当に、当然だと思っていた。

 この関係も——


「父上」

 呼びかける。


 彼は顔も上げなかった。


「何だ」

 短い返事。それだけだった。


 拙者は少しだけ考える。

 昔なら、この一言だけでも嬉しかった。自分を見てくれた気がしたから。


 だが今は違う。

 ——何も、感じない。


「拙者はいつまで返し続ければよいのでしょう」


 初めて口にした疑問だった。

 父上の指が止まる。


「返す?」

「あの日からの……借金のことです」

「……」

「もう十分ではありませんか」


 静寂。


 そして。父上はゆっくりと笑った。

 侮蔑の笑みだった。


「馬鹿め。再教育が必要か?」

 その一言で十分分かった。

「——恩に終わりなどあるものか」


 ああ。そういうことか。


 胸の奥で何かが冷えた。

 最初から終わらせる気などなかったのだ。


「お前の命は我らが与えた」

 父上が立ち上がる。

「ならば生涯をかけて返すのが当然であろう」



「あの日と……同じ言葉、ですね」



 静寂。

 母上がこちらを見る。だが、誰も否定しない。


 ——やはりそうか。

 拙者は、何故か少しだけ安心した。


「そうよぉ。家族なんだから」

 母上が微笑む。


 ——家族。

 その言葉が妙に耳に残る。


 家族。家族。家族。

 その言葉がやけに耳障りだった。


 家族とは何だ?


 金を運ぶ道具のことか。

 都合よく愛を語るための言葉か。


 私が病に倒れた時、心配したか?


 ——違う。収入を心配した。


 拙者が傷を負った時、手当てをしたか?


 ——違う。仕事に出られるか確認した。


 ウィルが消えた時。

 私が泣いた時。

 ▓▓が苦しんだ時。

 拙者が壊れた時。


 この二人は何をした?


 考える。考える。考える。


 そして——

 答えが出た。出てしまった。



『金のために、全てを捨て去る』



「……父上」

「何だ」

「拙者は、ずっと考えておりました」


 腰の刀に手を添える。父上の眉が僅かに動く。


「家族とは何か——」


 鞘が鳴る。金属の擦れる音。


「そして答えが出ました」


「貴様……いつの間に……」

 初めて父上が警戒を見せた。


 遅い。あまりにも遅い。

 貴方が、私に武術を教えたのは失敗でしたね。


 ——尤も、人殺しの術は与えないようにしていたようですが。


「金に目が眩んでいるから、気付かないのですよ」


「「五月蝿い、黙れ、来るな! 化け物!!」」


 彼は最後に、醜く喚くだけだった。


「命を与えた恩も忘れたか、この恩知らずが!!」

 顔は恐怖に歪んでいた。

 それでも、口だけは止まらない。

「お前が今まで生きてこられたのは誰のおかげだ!? 飯を食わせてやった。住む場所を与えてやった。仕事も与えてやった!」

 後退りながら叫ぶ。

「お前は私がいなければ何一つ出来ぬ糞だ、ただの出来損ないだ! それなのに何だ。金を稼げるようになった途端、親を捨てるのか!?」

 醜い。余りにも。


「失敗だった……!」

 父上は頭を掻き毟る。

「お前を連れ戻したのが間違いだった! あのまま死なせておけば良かったのだ!」

 その言葉に、胸の奥で何かが軋んだ。

「いや……違うな」

 父はぶつぶつと呟く。

「事故に見せかけて殺しておけば良かったのだ。保険金でも受け取った方が余程得だった……」

 笑う。引き攣った笑みだった。


「そうだ。そうすべきだった。そうすべきだったのだ」

 そして唐突に、こちらを睨み付ける。


「所詮お前は欠陥品だ!」

 指を突き付ける。

「人の情も分からん、恩も分からん。常識も分からん!」

「そも科学者などに育てられた時点で、信用すべきでなかった!! 同類に育てられおって!」

 話が飛ぶ。そこに論理などない。

 恐怖が言葉を引きずり回している。

「あの男もそうだ! 金にもならん研究に人生を浪費する愚か者! 碌な人間ではない!」


 そこで初めて、“男”は何かに気付いたように目を見開いた。

「そうだ……!」

 声が震える。

「最近の金……お前、人を殺したな?」


 沈黙。

 そして、“男”の顔色が変わる。


「結局は人殺しなどで得た金だったか。万が一にでも私に歯向かう選択肢を持たぬよう、潰しておいた選択肢だったのに、許可もなく勝手に踏み込みおって……!」


「人殺しめ……! 汚い。汚▓。▓▓。▓▓。▓▓」


 一歩後退る。

「▓▓▓▓!!!!」

 また一歩。

「来るな……!」

 また一歩。

「来るな……!」

 そして、壁に追い込まれる。

「来るなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」



「命を与えたのだから返せ、ですか」


 昔から何度も聞いた言葉。

 だから、その理屈を返そう。


「——返してやるよ」


 抜刀……そして。一閃。

 毎日の業務と何ら変わらない動作。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 父上の胴が大きく裂けた。

 血が飛ぶ。赤い。驚くほど赤い。


 ——まるで、肥えた豚のように。


「な……」

 父上が崩れる。理解できていない顔だった。

 最期まで。

「なぜ……だ……」


 ——なぜ?

 それはこちらの台詞だ。


 何ゆえ、こんな人間に縋っていたのだろう。

 なぜ“私”は認められたかったのだろう。

 何故、無意識に“拙者”などと謙っていたのだろう。


 何故。

 何故。

 何故。


「あ、ああ……」

 母が震えている。腰を抜かしていた。

「や、やめて……」

 涙を流している。

 怖いのだろう。……死ぬのが。

「助けて……」


 助けて?

 その言葉に、一瞬だけ、胸が痛んだ。


 思い出した。初めて会った日のことを。

 ——抱きしめられた感触を。


 温かかった。

 男一人に育てられ……母を知らなかった私には、特段。


 少なくとも、あの瞬間は……

 嘘ではなかったのかもしれないな。


 本当に一瞬だけ……刀が止まる。

 

 だが。その次に思い出したのは……


『役に立たない子なんて、私いらないのよ』


 あの日の言葉だった。


「なら——あの時、“助けて”くれよ」


 刀を振るう。


「ぁ——」

 母上の悲鳴は途中で途切れた。



「…………」



 静かになった。

 あまりにも静かだった。



 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎



 夜になっていた。

 拙者は一人、家に残っていた。


 逃げることもできた。


 だが動けなかった。


 父上の死体。母上の死体。

 大量に付着した血。

 六年間過ごした家。


 そして。


 手元には、大量の金。


 当然だ。父上は、借金を払い終えた後も、私に働かせ続けて、ずっと蓄えていたんだ。


 自分の意思で。誰に命じられたわけでもなく。

 初めて、自分で選んだ殺生。


 これも全て、金のため……か。

 これだけあれば、生活費に困ることはない。


「……これで良かった」


 口にする。

 だが返事はない。


「……これで自由だ」


 返事はない。

 当然だ。誰もいない。


 誰も……いない。


 妙な静けさだった。

 ——疎ましかった声が消えたのに。


 これだけの金がある。


 もう誰にも縋らなくていい。

 もう誰にも命令されない。

 もう金を要求されることもない。

 もう自由……だ。


 ならばこそ——何故だ。


 何故、心は満たされぬ。

 自由。確かに自由なのに。


 少しも嬉しくなかった。



 ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎ ◻︎




 金は、十二分に得た。

 だが、父はあれでも社会的地位を高めていたようで。殺したのは……色々と、まずかったようだ。


 故に、家にはすぐ政府の手が回ってきた。

 殺害事件として捜査されることが決定した。この世には拙者以上の手練がゴロゴロといるらしい。いずれ、拙者は処刑されてしまうだろう。

 だが、それを見兼ねた『組織』は拙者に“隠蔽”を提案してきた。


 父の財産は全て『組織』へ渡した。隠蔽の代価として。


 惜しいとは思わなかった。

 金などまた稼げば良い。だが、死ねば稼げない。



 それから数日間の記憶は曖昧だ。

 食事をとった覚えもない。眠った覚えもない。


 ただ。

 気付けば組織が用意した家の中にいた。


「何故……だろう」


 翌日も。その翌日も。

 拙者は仕事へ向かった。


 人を殺し。金を受け取り。帰宅する。

 いつもと同じ、何も変わらない日常。


 変わったのは……住居だけ。


 そう思っていた。


 組織に与えられた家は静かだ。

 誰もいない。金を要求する声もない。命令する声もない。


 なのに。

 扉を開けた瞬間。


 拙者は無意識に口を開いていた。


「只今戻りました」


 返事はなかった。当然だ。


 なのに……ふと。

 忘れていた記憶が蘇る。


『ウィル。いいか、お前は——』


 名前を呼ぶ声。

 “あの男”……いや。


「カール……博士」


 胸の奥が妙にざわつく。


 何故、今になって?

 何故。

 何故。

 何故。


「……っ」

 拙者は首を振る。


 こんな幻聴に意味はない。


 終わった話だ。

 あの男は金と引き換えに拙者を手放した。


 それだけだ。


 今更会う理由など——ない、はずだった。


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