王の器
今回はギザン視点の回想です。
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地下へ続く階段。
その闇を見つめながら……ギザンは、ふと昨夜のことを思い出していた。
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——夜十二時。
ホゲ・エールの背の上。潮風が静かに吹いていた。
周囲では、探検隊員たちがそれぞれ休息を取っている。
武器を抱いたまま眠る者。見張りを続ける者。明日に備え、仲間と小声で語り合う者。
その中で。
「……眠れませんか?」
背後から声がした。
振り返る。そこにいたのは——スライム博士だった。
青白い身体を揺らしながら、彼はゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「汝もであろう」
「ふふ、それはそうですねぇ」
博士は苦笑する。
だがその身体は、わずかに船縁へ寄りかかっている。
無理をして起きているのが、ギザンには分かった。シルヴァではなくても……物事は、本質を見ればわかる。今の言葉は嘘だ。
スライム博士は既に眠気に襲われている。それにも関わらず此処に来たということは——
しばし沈黙。
波の音だけが響いていた。
……妙な男だ、とギザンは思う。
(実際はライトモン族は無性なのだが。)
常に軽薄そうな笑みを浮かべ。
飄々としていて。自らを“マッドサイエンティスト”などと名乗る。
だが。
この男の目は、時折ひどく優しい。仲間を見る時だけは特に。
「隣、よろしいですか?」
「好きにするがよい」
博士はギザンの隣へ腰を下ろした。
ホゲの背は広い。
海の上とは思えぬほど安定している。
「……不思議ですねぇ」
博士が空を見上げながら呟く。
「何がである?」
「古代の英雄様と、こうして二人で話していることですよ」
ギザンは鼻を鳴らした。
「神格化しすぎである。所詮、我も一人の戦士に過ぎぬ」
そもそも、ギザンは一部の界隈でしか有名ではない。『トライアングル』という有名すぎる一族の陰に隠れた、田舎を巡る物好きな英雄。そして人知れず石化され、長い年月と共に薄れてしまった存在。
そんな彼のことを、ドドリ村の住人でもないのに……博士は知っていたのだ。やはり彼は“博士”。流石に知識量が伊達じゃない。
「“ただの戦士”だとしても、歴史書から出てきたような存在と話せてるだけで異常なんですがねぇ……」
博士は肩を竦める。
それから。少しだけ真面目な顔になった。
「……実は、貴方に聞きたいことがありまして」
「申してみよ」
博士は一瞬だけ口を閉ざす。
言葉を選んでいるようだった。
「明日の作戦で貴方が率いる部隊——」
「うむ」
「地上班には……私の班員も加わります」
ギザンは黙って聞いていた。
「隊長の判断です。ワタシが参謀の方が、合理的ではある……」
博士は続ける。
「それに地下監獄は広大ですから。四班の中で最も人数が多い……うちの班の戦力は必要でしょう」
だが。
「……正直に言えば、怖いんですよ」
「怖い、とな?」
「ええ。関わりの薄い貴方だからこそ、言うんですけどね?」
その声は小さかった。
いつもの軽い調子ではない。とてもカビ助やフウロウやモグドンには、見せられない姿だろう。
「ワタシは、自分を“マッドサイエンティスト”と呼んでますけどねぇ」
博士は苦笑した。
「——別に、仲間を実験材料だなんて思ったことは一度もありません」
潮風が吹く。
「むしろ逆であると、最近になって気づきました」
「…………」
「ワタシは、彼らに死んでほしくない」
その言葉に、嘘はない。初々しかった頃のカビ助らを危険な目に遭わせてしまった経験から、彼は班員への感情を学んだのだ。
だがギザンからすれば……だからこそ、どう返すべきか難しい。
「だから、悩むんです」
博士は海を見つめたまま言う。
「他人に、彼らの命を預けるということに」
ギザンは静かに目を閉じた。
——なるほど。試しているのか。
この男は今、地上班長として、我の“器”を見ている。
部下を任せる価値がある男かどうかを。
「……汝は」
ギザンが口を開く。
「部下を守ることこそ、長の役目だと思っておるのであろう」
「ええ、まあ」
「ならば当然の悩みである」
博士は少し驚いたように目を瞬かせた。
ギザンは続ける。
「我もかつて、多くの兵を率いた」
遠い昔。砂塵舞う古代の戦場。
仲間の叫び。倒れていく兵たち。
「当然、守れなかった者もいる」
低い声。
「我が判断一つで、死なせた命もあった」
博士は何も言わない。
「故に知っている」
ギザンは静かに言った。
「長とは、全てを“守る者”ではない」
「…………」
「守れぬと知りながら、それでも進まねばならぬ時がある」
波が揺れる。
振動が、ホゲの欠伸に聞こえた気がした。
「その時、必要なのは——」
ギザンは博士を見る。
「為すべきを“選ぶ”ことである」
博士の目が、僅かに細くなる。
ギザンは続けた。
「我は……状況次第で弱者を見捨てた。非道な“王”である」
「…………」
博士は、すぐには返事をしなかった。
波の音だけが流れる。
冗談ではない……? この男は、本当にそういう決断をしてきたのか。
どう返せばいいのか、彼も分からなかった。知識として残る『ギザン・トライアングル』は優しく、民間に寄り添ってしまう、王家の異端児。
だが実際に目の前にいるのは……優しき心を持ちながら、長としての苦悩を知ってしまった、歴とした“王”だった。
自分の、“モルモット”に対する価値観と同じだ……そう思ってしまった。
「だが、案ずるな。今の我は……自分への甘さを捨てた」
ギザンが再び口を開く。
「…………と、いうと?」
「背負うと決めた命ならば、最後まで戦い抜く」
それは誓いのようでもあった。
「例え己の誇りが折れようと、我はもう退かぬ」
「…………」
「汝の部下の命……必ず無碍にする事なく戦い抜いてみせようぞ」
博士は、そこで初めて言葉を失った。
“優しい王”ではない。この男は、“決断できる王”なのだ。
やがて。
「……なるほど」
小さく笑う。
「隊長も、カビ助くんも。信用するわけです」
ギザンは眉をひそめた。
「きっと我は、“現代の英雄”ほどではないがな……」
「いえいえ!」
博士は首を横に振る。
「少なくとも、“命を預ける価値があるか”は分かりました」
そう言って、ゆっくり立ち上がる。
「班員たちをよろしくお願いしますねぇ、古代の英雄さん」
「うむ」
そう言って。
彼は布団に包まる隊員たちの方へ戻っていった。
残されたギザンは、静かに海を見つめる。
「……応えねばならぬな」
古代の英雄は、誰にも聞こえぬ声でそう呟いた。
——命を預ける。
それがどれほど重いか、彼は知っている。だからこそ……博士に向けて軽々しく、ただ『任せろ』とは言えなかった。
だが——。
「へへっ」
不意に。後ろから笑い声。
「随分カッコつけるじゃねぇか、英雄殿」
「…………?」
ギザンが振り返る。
そこには数人の地上班員たちがいた。
壁の陰。樽の裏。毛布に包まったまま。
明らかに、隠れて、話を聞いていた顔だ。
「……汝ら」
「いや〜、聞くつもりはなかったんすけどね?」
「博士の姿見えたから、何話してんのかなって」
「全部聞こえてたっす」
ギザンの眉間に皺が寄る。
「盗み聞きとは感心せぬな」
「え〜!? 古代人、真面目なのかよォ」
「アッハッハ!」
陽気な笑い声。
だがその中に。不思議と不安はなかった。
さっきまで感じていた緊張が、少しだけ薄れている。
「でも安心しましたぜ」
一人の隊員が言った。
「正直、不安だったんだよな」
「…………」
「アンタ強ぇのは分かる。でも、“王様”って感じだったからよ」
別の隊員も頷く。
「ついていけるかっていうより、置いていかれそうだったんすよ」
「足手纏いを、切り捨てそうっていうか?」
「おい、それは言いすぎだろ!」
「ギザンさん、このバカがすみません!!」
ギザンは黙って聞いていた。
すると、一人の若い隊員が笑った。
「けどさっきので分かった」
「……何が、である?」
「ちゃんと、俺らも見てくれてんだなって」
ギザンの目が僅かに細まる。
「俺ら、班長みたいな天才じゃねェし」
「地中班みたいに前線ブチ抜けるわけでもない」
「空中班みたいに空飛べねぇし」
「隊長みたいに、何でも出来るわけでもないです」
だが。
「強敵が不意打ちでもしてきたら、アンタが守る間もなく……」
「俺たち、いの一番に死んじゃうと思うけど……」
「それでも、『無碍にしない』って言ってくれた」
静かな声だった。
「それだけで、十分っすよ」
その瞬間。
ギザンの胸の奥に、ほんの少しだけ懐かしい感覚がよぎった。
かつて。王として兵たちを率いていた頃。
戦場前夜に、こうして笑い合ったことがあった気がした。
「だからまぁ」
隊員の一人が槍を担ぐ。
「俺らはついていきますよ、臨時班長殿」
「奈落だろうが監獄だろうがな!」
「派手に暴れましょうや!!」
陽気な声だからって、恐怖が消えたわけじゃない。
それでも。
彼らは前を向いていた。
ギザンはしばらく黙った後——小さく笑った。
「……変わった者たちであるな」
「今さら!?」
「探検隊に常識人なんていねェっすよ!」
「ここにいるやつ、みんな——」
「隊長の“理想論”を信じ込んだ馬鹿ばっかですよ!笑」
どっと笑いが起こる。
その笑い声を聞きながら。
古代の英雄は、静かに目を閉じた。
——悪くない。
そう思ってしまった自分に、少しだけ驚きながら。




