それ、誰のこと?
谷本信子が福井大学のキャンパスを歩いてると、ガラス越しに食堂にいる喜多慶一を見つけた。
おーい、とガラス窓を叩くと喜多君と、同じテーブルに女の子がひとり。笑ってた顔を引き攣らせてさ。誰なの?まさか私から乗り換える気?
信子はぐるりとまわって食堂に入った。
「喜多君。この間はどうも」
「え、この間って?」
「夜のドライブじゃない。東尋坊よ」
「ああ、あれね」と喜多君は嫌なことを思い出したような顔で吐き捨てた。
「何よ。喜多君が行ってみたいなんて言うから、じゃあって」
「待った!」と喜多君、信子の言葉を手で制して、
「誰が行きたいって言ったって?」
「あ、いえ。行きたいって言ったのは私だけど、友だちからクルマ借りてきてくれたのは・・・」
「真っ暗な東尋坊なんか歩きたくなかったからだよ。君の言葉を借りれば、身を投げた者の霊が誰かにすがりつこうと彷徨ってるってんでしょ。君が行きたいところってそんなところばっかり!越前町のトンネルに女の幽霊が出るみたいだから行きたいだの、芦原温泉の火災で死んだ人の霊を慰めにお墓参りしたいだの、怖いところばっかじゃん!」
信子は返す言葉がなく、ただ喜多君の顔を見つめた。嫌いだったの?超常現象、嫌いだったの?
「悪いけど、僕らは恋人関係じゃない。友だちとして付き合ってただけだから、こちらの女性を悪く思わないでよ。変な呪いなんか、絶対にかけないでくれよ」
「そんなことしないわよ〜。でも恋人関係じゃなかったって、本当なの〜?」
「だってキスひとつしてないでしょ。誕生日だって知らないし。そーゆーことだから、じゃあね。さよなら」
そう言うと喜多君は女の子の手を引いて、食堂を出ていってしまった。
「私は知ってるわよ、喜多君の誕生日」
信子はそうつぶやきながら椅子に座ると、ぐったりとうつ伏せに崩れた。
「ちょっと、信子」
信子は女の呼びかけに、
「うーん、誰よ」顔も上げずに応えた。
「あんた、今の、何だったの?終わったの?彼と」
テーブルの向かいにどかっと座り込んだのは晴美さんだ。
信子がようやく顔を上げる。
「見てたの?晴美」
「すぐそこで喜多君を偵察してたのよ。信子という恋人がありながらさ。あの人、信子と一緒にいる時よか楽しそうな顔してんだよ。どー思う?」
「どーもなーもないわよ。私の勘違いだったみたい。超常現象が好きそうな顔してたんだけどなあ」
「好きじゃなかったんだ。だったら辛かったでしょうね。気持ちの悪いところばかりデートコースにされて」
「とにかく、私の恋は終わったってことね。いいわ、また超常現象好きでクルマを持ってる男の子を探すから」
「男子なんかみんな同じよ。エッチしたくて好きだなんて言うんだから、気をつけないと」
そんなことを話しているところに、とある男子学生が恐る恐るといった感じでやってきて、
「あのう、ゆかり、いえ桃園さんはどうされてますか?」と話しかけてきた。
二人は男の顔を見て、それから顔を見合わせた。
「それ、私たちに聞いてるんですか?」
「はい。ほら、ガソリンスタンドで。潰れたところですけど」
「それ、誰のこと?」と晴美さん。
「え?桃園ゆかりさんですよ。君たち、いつも一緒じゃなかったっけ?この間はガソリンスタンドで俺を助けてくれたでしょ?ゆかり、いえ桃園さんとみんなで」
二人は首を振った。誰のことやら、まるでわからないのだ。
返事がないので、中野光男は首を傾げながら、黙ってその場から離れていった。
「何よあれ。誰と間違えてるのやら。ちょっとカッコいい人だったけどね」
晴美さんがにこりと信子に笑いかける。
その時、信子は混乱していた。
桃園ゆかり?聞いたことがあるぞ。誰だ?誰だ?富山の友人?不思議クラブの会員にそんな名前の人がいたかしら。
いや違う。でも桃園ゆかりの名前を聞いてから、不安な気持ちがぶくぶくと膨らんでいる。
「晴美、本当に知らない?私、何か大事なこと忘れてるような気がするの」
「うーん、ない。いないよ、桃園なんて名前、知ってたら覚えてるよ」
「そうよねえ」
信子はふと晴美さんの目を見た。
あれ?どことなく虚ろな目。信子はバッグからコンパクトを出して、自分の目を見る。
「どうかした?何も付いてないわよ」
信子は晴美を無視して鏡の中の目を見つめる。
あッ、目玉の中に怪しげな光が宿っているのを見つけた!
何者かにまじないをかけられてるのでは?
調べてみなくちゃ。信子はメモ帳を出して桃園ゆかり、と書き記す。
「気になるの?その名前」
「わからない。わからないけど、喜多君のことより大変なことかも」




