潰れたガソリンスタンドで
中野光男は今も同じマンションに住んでいた。夜の十時を過ぎた頃、携帯電話を耳にあてながらマンションから出てきた。
「今、出たから。ロープかかってんだろ、知ってるよ。その前で待ってろよ」
中野はそう言って電話を切ると、手に持っていたビデオカメラをいじりながら、急ぎ足で通りを渡った。
数分歩いて、着いた先が潰れたガソリンスタンドだ。構内に入れないようにロープが張ってあって、その手前に黒いクルマが止まっている。
中野は手際良くロープを外して、黒のクルマを構内に招き入れると、ロープを戻した。
クルマから三十くらいの女性が降りてきた。その間に中野はポケットから鍵を取り出して、事務所のドアを開けた。中野が中に入ると、女性もそのあとに付いていった。向かいのスーパーマーケットの灯りが事務所の中まで届いていて、ほんのりと薄暗いところが淫靡な密会には適している。
「ダンナには上手く言ってきたんか?」
中野はそう話しかけながら、ビデオカメラを設置した。カメラの先には長ソファーがある。
「ねえ中野君、そろそろ終わりにしない?イケメンでいい身体してて、あっちも立派で。こんなオバサンといつまでも遊んでちゃ駄目よ」
「でも若い子は小遣いくれねえしさ。いくら恥ずかしいビデオ撮って強請っても、無いものは無いって言われるだけ。近頃の女は度胸があるんだよな」
「中野君。そんなことは私だけにしておきね。せっかくのいい男が台無しよ。でも私もそろそろお金無くなりそうなの。だからこのへんで」
「駄目だよ。あんたはダンナがいる。無いものは無い、じゃ済まないだろ?」
「あなた、本気?」
「ほれ、ビデオ回ってるぞ。この間のビデオを娘に見られたくないなら、さっさと脱げよ」
女性はふうっとため息を漏らした。
「中野君。大人を強請るのなら、相手見てやらなきゃ駄目よ。あんた、私をただのパートのオバチャンだと思ってるの?」
中野は探るような目で女性を見た。駆け引きなのか?それとも?
女性はバッグから携帯電話を取り出すと、どこかに掛けた。
「あ、河内さん。やっぱり頼むことになりました。イケメンのいい子なんだけど、世の中舐めてるからね。少しお仕置きしてやって」
「おいババア、どこに電話してんだよ!」
中野が携帯電話を奪おうと女性に近づこうとすると、構内に三人の身体のでかい男が入ってきたのが目に入った。
「おい、あいつら何者だ?」
「あの先頭にいるのが私のセフレよ。中野君だけじゃないよ、私の男って」
「ちょっ、ちょっと待った!わかったよ、終わりにする。終わりにするから、帰ってもらってくれよ」
「どーだろ。あの人らもずうっと待ってたからね。もういいよ、はもう遅いかも」
怒り顔の三人の男が事務所に乗り込んできた。
「ごめんねー。あきらめの悪い子なのよ。もう一本ビデオテープ作ろうとしてるみたいだし」
との女性の声に、
「いいんだ、時間はたっぷりある。そいでさ、ここは誰の店なんだよ」と男が返した。
「知らないわよ。その子に聞いて」
「前にどこかのカップルがここでヤッてたのを見ただけなんです。鍵を隠すのを見てたもんだから」と中野は言った。すると男たちは無言で睨んだ目を向けた。
「いや、もう止めますから。俺が悪かったですって」
中野は両手を開いて抵抗しませんよというポーズを取った。
「兄ちゃん、遅いんだよ」
男が中野の胸ぐらを掴もうとすると、中野はあわてて後方に下がり、バランスを崩して尻もちをついてしまった。
「兄ちゃん、何してんだよ。お?!」
男が人影に気づいた。尻もちをついた中野の背後に着物姿の大男が立っているのだ。
悪霊、目玉孫左衛門だ。しかし現場の人間たちは誰もそのことを知らない。
「あんた、誰?」と男が聞いた。
男の目線を見て、中野が振り向くと、彼の目にも侍の姿が見えた。
目玉孫左衛門はチロチロと蛇の舌を出して、目を剥いて笑った。それから粘っこい声を出した。
「これから楽しいことするんだからさあ、邪魔しちゃいけないんだよねえ」
男たちは顔を見合わせた。
「なんだこいつ?」それから女性に、
「知ってる?」と聞いた。
「知らないわよ。隠れて見てたのかも。デバガメってゆーの?」
ふうん、と顔を戻した男の頭に大刀が飛んできた。
ガツン!
刀は頭を切断することなく、男の体全体を吹き飛ばした。壁に叩きつけられた男は微動だにしない。
その一撃に恐れをなした他の二人はジリジリと壁をつたって、外に逃げ出そうとした。
「ちょっと、置いてかないで!」と女性が叫んだが、二人の男は構わず外へ。
男が逃げる先、給油機の影から新たな悪霊侍が姿をあらわした。
「うわッ、また出た!」
悪霊侍がチャリーンと刀を抜くと、二人の男はヘナヘナと腰砕けになって、その場に座り込んでしまった。そこにじわりじわりと刀を手にした悪霊侍がにじり寄ってきた。
「おぬし等、どこの家の者か?」
「どこの家?ええっと、俺は杉本って家です」
「お、俺は津田!津田の次男坊です。でも跡継ぎじゃないですから!」
「杉本?津田?聞いたことないな。田舎者が永見家に刃を向けるとどうなるか、思い知るが良い」
悪霊侍は刀を両手に持って振り上げた。
「や、刃を向けてるのはそっちじゃん!」
「兄さんたち、全然、会話繋がってないから!」
サムライの背中の向こうから少年の声がした。
悪霊侍と二人の男が顔を向けると、ガソリンスタンドの入口付近にひとりの少年が立っていた。そこにバタバタと人の足音がして、ゆかりたち三人組と前田和彦さんが少年に駆け寄ってきた。
前田さん、ガソリンスタンドの暗い構内で上段に刀を振り上げている悪霊侍を見て、
「お侍さんだ!」と目を丸くして言った。
少年は前田さんを一瞥してから、ゆかりに言う。「 もうこいつの役目は終わったんじゃない?なんで連れてきたんだよ。こうやっていちいち驚かれたんじゃ、調子外れちゃうじゃん」
「私の友だちなのよ」とゆかり。
「友だち?恋人じゃない?」と信子さん。
「お店によく来てくれるお客さんなのよ」
「それだけじゃないでしょ、付き合ってるんじゃないの?私に黙って二人で永平寺行ったのよね」と、これは晴美さんだ。
「あの日は晴美も信子も講義があったから」
「講義のない日にすればよかったじゃないの」
「いや、あの子が早く行かないと!なんて言うから」ゆかりは少年を指差して言った。
「あー、もういいから!せっかく二体も悪霊が出てるんだからよ、逃げられちゃうぜ!」と少年は怒って言った。
「誰が逃げる?」悪霊侍は少年に言った。
「わしは永見家与力、坪川秀介と申す。逃げも隠れもせんぞ。わしと太刀合わせがしたいのなら、さっさと来るがよい」
「よし。いでよ!雨森伝右衛門!粕屋彦左衛門!」
少年が叫ぶと、信子さんと晴美さんの身体からサムライが飛び出してきて、悪霊の前に立ちはだかった。
二人はびっくり仰天!でも前田さんは二人以上に驚いた!驚きのあまり失神してしまった。崩れる身体をゆかりが抱きしめて、そっと地面に寝かせた。
「前田さん、失神しちゃった」
雨森伝右衛門はゆらりと悪霊侍に向かって歩いている。
「太田、三弥か?」
「いや、わしは永見家与力、坪川秀介だと申したではないか」呆れ顔でサムライは答えた。
「太田!ここであったが四百年。今こそ恨みを果たす時がきたようじゃ」
「だから、わしは坪川秀介だって!面倒くさい爺いだな、全く」
雨森伝右衛門はそっと刀を抜いて、間合いを縮めていく。
「目玉孫左衛門はあの建物の中か」
粕屋彦左衛門は坪川秀介を雨森に任せ、事務所に向かって歩き出した。
「あ、彦さん!まずは手前の坪川なんたらいう悪霊を倒してよ」と少年は呼びかけた。
すると粕屋彦左衛門は振り向いて、
「一人に二人掛かりなんてことは出来んですぞ!」なんて言い返して、そのまま歩いて行ってしまった。




