行雲流水
「永平寺がいいんですか?松平家の墓所は大安寺にもありますが」
橘曙覧記念文学館のスタッフ、前田和彦さんはやはり歴史通だ、とゆかりは満足してうなずいた。
「人から聞いたんです。大安寺にもお墓があるけれど、忠昌さんが眠っているのは永平寺のほうなんですって。大安寺を建てたのは松平忠昌の息子さんで四代藩主の光通って人で、永平寺に廟所を置いたのも光通さん。でも忠昌さんは永平寺におられるのだって」
目玉孫左衛門を成仏させるために松平忠昌に会いに行けというのは継体天皇のアイデアだ。大安寺にも墓所があるけど、という話もそこで聞いていた。
「先生から聞いたんですか。さすが福大生だ、この前まで橘曙覧のことを何も知らないって言ってたのに、勉強したんですね。忠昌さんが永平寺の廟所に眠っているというのは、初めて聞きましたけど」
「橘曙覧のことはまだ知らないんです」
ゆかりはそう言うと、あらためて施設のロビーをぐるりと眺めた。記念文学館の建物は毎日眺めているけれど、中に入ったのは初めてだ。もちろん前田さんに永平寺に連れていってもらうお願いをするためで、橘曙覧に興味をもったからではない。
「でも福井の歴史に興味を持たれたのは嬉しいです。いいですよ、水曜日が講義のない日なんですね、明後日水曜日に休めるようシフト変更してもらいますから」
ということで、スムーズに話がまとまった。晴美さんも信子さんもその日は講義があり、前田さんと出かけるのはゆかり一人だ。
その日は前田さんのために駄菓子をたくさんバッグに詰め、携帯電話の鳴るのを待って石段を降りると、前田さんがクルマに乗ってやってきた。
前田さんは紳士だ。わざわざクルマを降りて、ぐるりと回ってやってきては助手席のドアを開けた。
「さ、どうぞ」
「今日は本当にすいません、せっかくの休みなのに。ところで今日はいつもと雰囲気が違いますね」
前田さんは照れながら、
「今日は休みだし、美しい女子大生とデートですから」というわりにはジーンズにトレーナーという日常のファッションなんだけど。
車内にはFMラジオがかかっていた。
「ここから三十分くらいですから、すぐに着きますよ。実は僕は永平寺は仕事でよく行ってたんです」
「役所の仕事でですか?」
「いえ、むかしリネンサプライの会社で集配の仕事をやってたんです。永平寺にはふとん丸洗いの業務もありましてね」
「ふーん、永平寺は宿坊でもあるんですね」
「宿坊として一般客用に五百床、東海大学用に五百床、それと雲水さんのふとんが六百枚。一年をかけて持ち帰り、洗濯するんです」
「凄い量ですね。でも東海大学用って?」
「あそこは曹洞宗系の学校で、一年生は入学してすぐ体験宿泊するんですよ。他に合宿で泊まったりとか」
「へえ。それと雲水さんというのは小僧さんのことですか?」
「ええ、禅宗の修行僧のことです。行雲流水。行く雲のように、流れる水のように、一か所にとどまることなく柔軟に、現在の生活に執着してはならず、いつでもその生活を捨てられるという心の準備をしなさいっていう意味だそうです」




