第2部 目玉孫左衛門
福井藩松平家三代忠昌公の長刀持に、江戸にも並びなき大男と称された某孫左衛門という男がいた。逆さまに裂け上がった恐ろしい顔から、人は目玉孫左衛門という名でしか彼を覚えなかった。忠昌公はこの孫左衛門を秘蔵の者として召し使われた。
あるとき公登城のあと、下馬にて公儀の同心頭と口論して力任せに暴力を振るうという事件が起こった。公は非常に残念に思い召されたが、幕府に対して申し訳けなき事柄であるため、扶持召し放ちのうえ奉公構いを申し渡された。
この奉公構いというのは他家に召抱えられることを禁じたもので、主を取ってはならぬという、武士にとってはとても重い掟であった。
それなのに目玉孫左衛門は松平家を出て一年経たないうちに、伊達政宗に召抱えられた。この報を聞いた忠昌公は激怒した。よりにもよって伊達政宗に仕えるとは!実は忠昌公は伊達政宗とは非常に仲が悪い、犬猿の仲だったのである。目玉孫左衛門はそのことを知ったうえで伊達家の門を叩いたのであった。
伊達政宗はこれは面白いと孫左衛門を即刻召抱えた。政宗の求めに応じ、孫左衛門は福井藩、忠昌公のあることないことを面白おかしく話して伊達家一同を笑わせた。
忠昌公は直ちに伊達家に孫左衛門を引き渡すよう付け届けをした。政宗としては大嫌いな忠昌ではあったが相手は徳川一門、さすれば御付届けの如く、当方に於いて放逐するので、存分に御成敗あれかしと返事があった。
しかしあの政宗のこと、簡単には引き渡すまいと忠昌公は考えた。そこで引取りの役目を強力者の粕屋彦左衛門に命じ、別に警護として足軽二十人を附けた。
伊達家の門より目玉孫左衛門が出てきたが、彼は政宗より四尺斗の大刀と三尺斗の脇差を与えられ、先方を殺して逃げよと内意を受けていた。それで孫左衛門は腰縄を巻こうと近づいた足軽に大刀を抜きざま軽々と切り捨て、逃げ出した。
しかしそこに粕屋彦左衛門が立ちふさがり、孫左衛門の振り下ろした大刀を間一髪よけると、その腕をとって地面に叩きつけた。そのとき伊達家の門が再び開くと、そこから馬のような唐犬が飛び出してきた。政宗の第二の計画だった。
唐犬は一声高く吠え、孫左衛門を取り押さえている粕屋彦左衛門の股より尻へがぶりと喰らいついた。
しかし粕屋は騒がず、うん!と力を込めると、犬の歯は粕屋の尻から抜けなくなり、ジタバタとはじめたが粕屋はそれを無視して孫左衛門の身体に縄を巻いて縛り終えると、そのまま持ち上げて伊達家の門塀に叩きつけた。
次に尻に噛み付いたままの唐犬の首を掴んで引き上げ、頭上に高く上げると、えい!と孫左衛門の身体に投げつけた。その凄まじい衝撃に唐犬も孫左衛門も死んでしまった。
政宗は隠れて一部始終を見ていたが、孫左衛門が死んだのを見ると、つまらなさそうに屋敷に帰っていったという。




