第六章 地球の見る夢 ~再会~
あたしは振り向くと同時に声の主を呼んだ。
「〝獏〟!」
皆がつられて振り向く。
風にそよぐ青草の中に前足を揃えてちょこんと座り、少し首を傾けてこちらを見ている、紫色の半透明の――〝獏〟。
「遅かったですね」
いつもの、あの笑っているような顔で〝獏〟は言った。あたしはつられて笑いながら、駆け出していた。
「〝獏〟!」
駈け寄りながら呼ぶと、〝獏〟はぽーんと弾んであたしの腕の中へ飛び込んできた。ぎゅっと抱きしめると、夢で見たように青草と太陽の匂いがした。
視界が滲む。滲んだ視界に太陽の光が乱反射する。
笑いながら少し皮肉っぽい口調で〝獏〟が言った。
「あんまり遅いので待ちくたびれてしまいました。足に根でも生えたのじゃないかと思いましたよ」
「ごめんね。メッセージがやっと理解できたの」
思わず笑ってしまった。笑った拍子に涙がポロリと零れた。〝獏〟はそれをぺろりと舐めた。
「くすぐったい……」
あたしは笑いながら涙をぽろぽろ零した。
「……ところで」
〝獏〟があたしをじっと見つめて言った。
「後ろの方達を紹介してくれませんか?」
「あ、そうだった」
あたしは慌てて涙を拭うと、〝獏〟を抱えたまま体の向きを変えた。
「あたしの仲間。以前話した事のある『規格外者』の人達よ。本当はもっといるんだけど、今は半分くらいね。向かって左から、大地、炎、夢、光、愛、緑、香、生命、月灯」
あたしは順に彼等を〝獏〟に紹介した。彼等を全部紹介し終えてから、〝獏〟を抱えていた腕を前に差し出した。
「これが本物の、あたしの〝獏〟」
彼等は戸惑っていた。どうしたらいいのか……そんな顔をして、視線を交わしている。
やがて決心した様に緑が近付いてきた。恐る恐る手をのばして、〝獏〟に触れる。中指が少し触ったところでびくりと硬直したが、すぐに彼の掌は〝獏〟の頭の上へ納まった。
しばらく感触を確かめるように頭を撫ぜていたが、手を止めると、
「初めまして、〝獏〟。僕は緑」
と、挨拶をした。
〝獏〟はじっと緑を見ていたが、にやりと笑って、
「よろしく。でも、私はあなたを知ってますよ、緑。未来ほどじゃないけれど、あなたのテレパシーもかなり強いですから……。私の姿を何度か見たでしょう?」
緑は眼を見開いた。
「じゃあ……あれが、やっぱり……?」
問い返す緑に〝獏〟は頷いた。それからあたしを見上げて、
「彼女からあなた方の事を聞いて、探したんですよ。ようやく見つけて……」
「ちょっと! 〝獏〟ってば、いつの間にそんなことしてたの?」
あたしが慌てて訊くと、
「あなたが学校へ行ってる間に、です。日中はヒマだったもので」
「市民に見つかったらどうするつもりだったのっ?」
驚いたあたしが詰るように言うと、〝獏〟は平然と言い返した。
「大丈夫です。他の人には見えません。仮に見えていたとしても、手出しは出来ません」
「どうして?」
いやに自信を持って言い切るので、不思議に思って訊ねたあたしは、次に〝獏〟の発した言葉に唖然とした。
「姿を消せばいいですから。他の人が気付く前に目の前から消えてしまえば、気のせいで済むでしょう?」
「……す、姿を消すって……〝獏〟……」
――そんな器用な事が出来るの? そう訊ねようとしたあたしの言葉が出る前に、また〝獏〟がとんでもない事を言った。
「それでもダメな時は記憶を操作すればいいんです。なかった事にすれば、万事丸く収まります」
……絶句、した。
何も言えなかった。
呆けたように〝獏〟を見詰め、しばらく身動きも出来なかった。
気がつくと、緑も彫刻になっている。視線を動かすと、他の人達も固まっていた。風だけが俄か彫刻の間を走りぬけて行った。
足から力が抜けた。
へなへなと、〝獏〟を抱いたまま座り込んだ。それが合図だったように、他の人達も身動きした。緑は脱力したように肩を落とした。そう、脱力した。それじゃあいったい、今まであたしがしてきた事って……なに?
「どうしたんですか?」
のほほんと――きっとあたしの考えなど見透かしているのだろう――〝獏〟が言った。
「…………」
あたしは恨みがましい目で〝獏〟を見た。くるりと瞳を開いて〝獏〟が見つめ返してくる。
「…………あんたねぇ」
あたしはようやく声を出した。
「あたしがあんたの事でどれだけ……」
それだけ言うのが精一杯だった。もう、声を出すのも疲れてくる。
そんなあたしの気持ちを知ってか知らずか、〝獏〟が問い掛けて来た。
「気付いてなかったんですか?」
「なにを?」
幾分ふてくされ気味に訊き返すと、〝獏〟はため息をひとつついた。それがカチンときた。
「何よ? なんなのよ、それはっ! あたしがどれだけ心配したと思ってるの? 毎日毎日、それこそ胸が潰れるほど心配して、哀しくて……! それをこれっぽっちもわかってないくせしてっ! 自分は何でも知ってるって顔して、こっちがわからないのがそんなに不満なの? 何ひとつ説明もしないでわかる訳ないじゃない! あたしは神様じゃないんですからねっ! ちゃんと口に出して言ってくれなくちゃわかんないのよ! なのにどうして知ってて当たり前みたいな顔するのっ? だいだい、あんたなんなのよ! 最初っから正体不明で全然わかんないわよ! ちゃんとわかるように説明してよ!」
一気にそれだけ捲し立てた。息が切れて、涙まで滲んできた。
〝獏〟は呆気にとられてそんなあたしを見詰めていたが、やがて視線を下げ、溜息をつきかけてやめた。それからしばらく考え込んでいたが、
「……わかりました。あなたが何も気付いていないという事がよくわかりました」
ややこしい事を呟いた後で、決心した様にあたしを見詰めた。
「夜の散歩をしていた時に、中央公園で騒いだことがあったでしょう? あの時あなたが叫んで、その後何も訊いてこなかったので全て気付いて、理解したのだと思っていたんですよ」
「中央公園?」
「そうです、最初に地上の話をした時です。すごい拒絶反応を示したでしょう? あの後が何も言ってこなかった理由を訊いてこなかったので、私が何かしたのだろうという事くらいはわかったと、思ったんですが……」
「ああ、そう言えば……」
そう言われればそうだ。『箱』の中ならいざ知らず、野外で、しかも深夜、大声出して騒いで、揚げ句泣き出して……。普通なら《局員》が来る、と思う。でもあの時は単純に、市民は他人の事に興味を持たないから誰も通報しなかったんだな――と思った。
「本当に気付いてなかったんですね」
〝獏〟は呆れたようにあたしを見て、
「仕方ありません。あなたが、いえ、あなた方がわかるように、私の知りうる限りの事を全部説明します」
きっぱりと言った。




