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紫色の獏  作者: 丸虫52
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第五章 『保護区』 ~地上へ!~

第五章、ラストです。

 彼は走りながら叫んでいた。

「未来! 〝獏〟だ!」

 何を言われたのか、わからなかった。あたしより早く四季が反応した。

「行こう、未来!」

 あたしの手を引っ張って走り出した。

「どこっ? どこにいるのっ!」

 四季が走りながら光に訊いた。光は並んで走りながら、

「向こうの木のそば! 緑がついてるっ!」

 あたしは腕を引っ張られながら、それでもまだ何が起こっているのか理解できていなかった。

「緑!」

 『保護区』で一番大きな木の傍で、緑は足下を凝視する格好で立っていた。名前を呼ばれて、ちらりとこっちを見て、右手を大きく上下に動かした。

 あたし達は立ち止ると、顔を見合せてからそろそろと近づいて行った。

 足が止まる。

 緑の足下に、何かいる? あれが〝獏〟?

 輪郭ははっきりしない。大きさは一抱えほど……どう見ても〝獏〟とは似ても似つかない不定形だ。なんだか影たいな……でも、色が……! 

 赤紫の半透明――「それ」は〝獏〟以外のものではありえない。

 恐る恐る近づいて、そっと声をかけた。

「……〝獏〟……?」

 途端にそれはぶるんと震えると、ボールが弾むように動き出した。

 一瞬ぽかんとして見ていたあたし達は、次の瞬間に弾かれたように「それ」の後を追って走り出した。

「待って……! 待って、お願い!」

 止めようと声をかけるけれど、聞こえていないのか「それ」は弾んでいく。

 どのくらい走ったのか、「それ」が大きく弾んだ。みるみる上へ上がっていく。あたし達はそれを見送った。

 待った。

 じっと待った。

 でも「それ」が落ちてくる気配は無い。

 首が疲れて来た。

 あたしは徐々に視線を下げた。

 真っ直ぐ前を見る。いつの間にか『保護区』と都市の境界近くに来ていた。確か、ここの左手を少し行くと――。

 視線を落として、足下を見る。そして考えた。

「あれ、〝獏〟だった?」

 緑が訊いてきた。あたしはどういうべきか考えた。

「……たぶん、影、だと思う」

「影?」

「……じゃなきゃ、思念の塊――想いの塊みたいなもの、だと思う」

 あれは確かに〝獏〟だった。あたしの呼び掛けに僅かに返ってきた反応があった。

 元々あたしと〝獏〟の意思の疎通は、あたしの「言葉」と〝獏〟の「テレパシー」だった。あたしは〝獏〟から来る「テレパシー」は感覚として理解していた。だからそれを説明するのは難しい。

 ただ、あの〝獏〟から帰ってきた反応は、あたしの知ってる〝獏〟の「テレパシー」と同じ感覚だった。だからあれは〝獏〟の一部だとわかったのだ。

 でもあれはあたしの知ってる〝獏〟じゃない。もっと純粋な、よりエネルギーに近いモノだ。でもだからこそ、一瞬の接触でも強く伝わってきた想いがある。

(上へ!)

 ゴムボールの様な〝獏〟から、ほんの一瞬だけあたしに届いた想い――思念は、それだった。

 漠然とした思いが決定的になった。

 〝獏〟は生きている!

 あの夢は、ここ数日見る夢は偶然じゃない!

 〝獏〟が人の夢を食べるのなら、その夢に介入する事も出来るだろう。あれは〝獏〟からのメッセージだったんだ!

「…………地上へ」

 思わず知らず声が出ていた。そして自分の声が決心させた。

 地上へ行く! 〝獏〟がきっと待っている!

 居ても立ってもいられなくなった。

 光が知らせたのだろう、いつの間にかあたしの周りに『保護区』の『規格外者』がすべて集まっていた。でも今のあたしに彼等の姿は目に入っていない。

 拳を握って顔を上げた。体の向きを変えて前方を睨みつけると、一歩歩き出した。

「どこへ行く気だ?」

 誰かが言った。声のした方を振り向くと、戸惑った様な大地の顔があった。

 あたしは真っ直ぐに腕を伸ばした。そして一言。

「前へ」

「前へ?」

 皆の不思議そうな顔が見えた。

「そう、前へ。ずっとずっと前へ、そして――」

 あたしは伸ばした腕を上へあげた。

「地上へ!」

 沈黙があった。そしてそれが緊張へと変わっていくのがわかった。

「地上?」

 ごくり、と唾を呑み込む音が聞こえた。

「どうやって?」

「ここを真っ直ぐ行って、そこから扉を通って行く」

「ここを進んでも、都市の中には入れない。その前に《センター》の局員に捕まって連れ戻される」

「都市の中に入る必要はない。入らなくても地上へ行く扉はある」

 そう、地上への扉は一つじゃない。〝獏〟と調べた時にいくつもあったという事を、あたしはすっかり忘れていた。あたし達は最後の調査隊が使ったからという理由で、あそこを使ったのだ。

 あたし達が使った以外にも、都市の居住区の外れにいくつもあった。もしかしたら、地下都市で災害が起こった時の避難通路の意味合いもあったのかもしれない。

 そう言えばすっかり忘れていたけれど、依然大量の疑問符を抱えていた時に、『地獄の門』に鍵が掛かっていない理由や防護のための障壁が鉄の扉二枚だけなのはなぜかという疑問もあったけど、もしかしたらこれが正解かもしれない。

「どこに? そんな話は訊いた事が無い!」

 大地の声が甲高くなった。パニくっているのだろう。

「ダクトの側の扉がそうよ。通称『地獄への門』」

 皆が息を呑んだ。

「そんな、馬鹿な……いや、待て。そこは長く使っていないんだろう? だったら錆びて開かなんじゃないか? もしくは鍵が掛かっているとか……」

「開く。別の所だけれど、あたしは何度も開けた。ここがダメならそこへ行く」

 自信を持って言い切ったあたしの言葉に大地が絶句した。まじまじとあたしを見る。あたしは眼をそらさずに見返した。

「あたしは〝獏〟と一緒に何度も地上へ行って帰ってきた。地上は生物が充分生活していけるくらい浄化されている。『中央』の発表は昔のデータを公表しているにすぎない」

 皆が動揺しているのがわかる。あまりにあたしが自信たっぷりなので、妄想で片付けられないと思っているのだ。

「今までありがとう。短い間だったけど、受け入れてもらえて嬉しかった」

「一人で行く気なの?」

 夢が叫んだ。悲鳴のようだった。

「うん。本当はもっと時間をかけて、皆に理解してもらって、一緒に行きたい……なんて思ってたんだけど、地上へ行くのが精神的にどんなに大変か、あたしは経験上知ってるから無理は言えない。でも、あたしは今すぐにでも〝獏〟に会いたい。だから一人で行きます。皆、本当にありがとう」

 あたしは深々と頭を下げた。

 頭を上げると、もう一度みんなを見回して、踵を返し歩き出した。

「行くなっ!」

 背後から制止する声が掛かる。でもあたしは止まらなかった。

 ダクトの位置は分かる。生活必需品(?)を求めて『保護区』の中を歩き回ったから、どこに何があるか頭の中に入っている。問題があるとすれば《センター》の局員だが、ここまで騒いで来ないのであれば、『保護区』から出るまでアクションはないと思っていいだろう。

 と、背後から足音がする。振り向くと、皆が追いかけてくる。あたしは駆け出した。

「未来! 止めろ!」

「止まって!」

 やがて、目の前に壁とそこにひっそりと張り付いている鉄の扉が見えて来た。『保護区』の端に来たようだ。

 後ろからは足音が迫ってくる。あたしは扉に体当たりするようにして止まった。取っ手をつかむと自分の体重をかけて引いた。

 それを阻止するように大きな手が扉を抑えた。振り向くとその手の持ち主、大地が荒い息使いであたしを睨みつけていた。初めてあった時の柔和な顔からは想像できないほど怖い顔だ。

「何をするつもりだ」

 まだ整っていない呼吸の下から、押し殺した声で言った。あたしは何も言わず、彼の目をまっすぐに見返す。彼の眼の中には、戸惑いと恐れがあった。

 彼はあたしが何の反省も示そうとしないので、苛立って声を荒げた。

「こんなもの開けてどうしようって言うんだ? これの先に何があるかわかってるんだろう、本当の地獄だ!」

「違う」

 あたしは即座に答えた。大地の後ろにようやく追いついて来た皆が、呼吸も荒く並んだ。ぱっと見て、半数ほどだ。

「この先あるのは未来よ」

 あたしは扉を拳で叩いた。

「これは『希望の門』よ!」

 剣幕に押されたように大地が息を呑む。

「退いて」

 あたしは大地を押した。抵抗なく、彼が離れた。皆のところへと後ずさって行く。

「みんな死ぬんだぞ」

 大地が喚いた。あたしは顔だけ向けるときっぱりと言い切った。

「別にあなた達に来いとは言わない。あたしが一人で行くの」

「死んじゃうわ!」

 誰かが悲鳴を上げた。

「死ぬんじゃない、生まれるのよ」

 言ってからあたしは納得した。――そうだ地球の地下(たいない)から地上(そと)へ。あたしは新しく生まれるのだ。地下通路(さんどう)を通って――。

「〝獏〟が待ってるの」

 きっとあたしは微笑しながら言ったのだろう。『規格外者』と言われる人達がぽかんとした顔であたしを見ていた。

 あたしは視線を戻すと、目の前の扉を見た。上から下まで視線を這わす。地上と地下を隔てる、たった二枚の栓。180年――ここはもっと長い期間開かれていないだろう――開かれた事の無かった、栓。

 あたしは腕に力を込めた。

 扉は大きな軋み音を立て、それでもあたし一人の力でもゆっくりと動いた。小さな悲鳴が聞こえた。

 以前のように人一人が入れるほど開けると、そこから滑りこんだ。

 すぐに扉を閉めようとしのに、誰かがそれを遮った。逆光でシルエットしかわからなかったけれど……夢?

「本当に生まれる事が出来るのね?」

 夢の声は微かに震えていた。

「だったら、私も一緒に行く!」

 それが合図だったように扉が大きく開け放たれ、その場にいたすべての人を呑みこんでから閉じられた。

残りは、あと一章とエピローグの予定ですが、どうなる事やら……?

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