第四章 運命の流れ ~『規格外者』たち~
彼は時折振り返り、あたしが追い付いているのを確認しながら、どんどん歩いて行った。あたしは置いて行かれないように小走りで彼の後を追った。日ごろ滅多に歩いたり走ったりしないので、すぐに呼吸は乱れうっすらと汗までかいた。
どのくらいの距離を進んだのか、前を行く彼が止まった。
あたしが息を切らせ追い付いて後ろに立つと、彼は振り返った。
「あそこが我々の『居住地』ですよ」
彼が指差した方を見ると、低い樹木がかたまっているところがあり、そこに妙なものが見えた。
台形を組み合わせた形のものがいくつか並んでいた。どこかで見た事がある。
少し考えて思い当った。以前地上史で習った昔の人たちの簡易住居の一つで、たしか……。
「地上で使われていた『テント』というものを真似て作った我々の『家』です」
彼は言いながらゆっくりとそちらへ歩き出した。あたしも後に続いた。
「ここは雨が降る訳でではないし、風が吹くわけでもないし、気温も管理されているから本来は『家』なんて無くてもいいんですが、女性には羞恥心が勝る事ってあるでしょう?」
「女性……って、女性の方がいらっしゃるんですか!」
「ええ。今僕たちは二十人いますけど、そのうち六人は女性ですよ」
「二十人……」
意外と多い人数にびっくりした。
「以前地上史で見た時は大した構造でもないし、簡単に考えていたんですが結構苦労しました。当然ですよね、専門家が誰もいないんですから。しかも材料が手に入らなくて……苦労しました。市民は優遇されていたんだと実感しました」
彼は苦笑しながら言った。
近づいてみて、彼が「材料集めに苦労した」と言った意味が分かった。
テントの外側はいろんな材質で出来ていた。布やビ二―ル、ゴムみたいなものや紙っぽいものまである。大きさも実に様々。一目見ただけで「元」が何だったかわかるほどの物や、原形を留めていない物までいろいろあった。それらをどうやったのか、何枚も繋ぎ合せて作ってあった。
中の支柱も長さや太さはいろいろで、錆びた鉄筋や曲がった鉄パイプから木の枝の様なものまであった。
そんな手作りのテントが円を描くように二十四個並び、それらの中心に火が燃えていた。そして火を取り囲むように人影があった。
「やあ、新しい仲間を連れて来たよ」
あたしの隣の彼が言い、人影が一斉にこちらを振り向いた。あたしは思わず一歩後ずさって、唾を飲み込んだ。
炎に照らされて、その人達のうち数人の顔が見えた。若い――といつてもあたしよりは年上に見えた――人もいた。初老と言ってもいいような人も。男性も女性もいた。彼らは全員市民とは違う雰囲気を持っていた。
「ご苦労様。……待っていましたよ。こちらへどうぞ」
初老の男性があたしの隣の彼に声をかけ、それからあたしに視線を移すと柔らかい笑みを浮かべ、手で招いた。
戸惑っているあたしの背を隣の彼がぽん、と叩いた。見上げると、人懐こい笑顔で頷いた。
おずおずとあたしが歩いて行くと、彼等は少しづつ移動して場所を開けてくれた。
彼はすとんと腰をおろしたが、あたしはどうしたものかと惑い、焚火のまわりの人々の顔を見回した。
「首が疲れるから、ここに座って」
いきなり右隣から声がかかった。見下ろすと、柔らかそうな髪をしたなかなかの美人が見上げていた。
言われるままに座ると、彼女はにっこり笑った。つられて笑い返してしまう笑顔だった。
「今まで私が一番の新参者だったけど、これで先輩になれたわ」
彼女はにこにこと笑った。
「さて、と」
あたしの左隣の彼が口を開いた。
「新しい仲間も無事着いた事だし、自己紹介でもしたらどうかな?」
「ああ、そうだな」
「それじゃわたしが一番最初に――」
「ちょっと待って」
あたしの一人置いて左の、手招きをしてくれた初老の人が立ち上がりかけたのをあたしの右隣の彼女が遮った。皆の――なぜだか期待のこもった――視線が集まった。
「その前に、あの事、説明しておいた方が良いんじゃない?」
「あの事? ……ああ、『名前』の事か」
思いもかけない単語を耳にして、あたしの心臓がどきんと跳ねた。
「『名前』?」
あたしが訊ねると、彼女は頷いた。
「そう、『名前』よ。昔々人類が地上で生活していた頃には、皆がそれぞれに市民ナンバーじゃない自分の呼び名を持っていたの。歴史で習った偉人みたいにいろいろな呼び方があったそうよ。大抵は親からつけてもらったらしいけど、その人の本質はその名前に表されたみたいね」
彼女の言葉は以前〝獏〟から聞いた事と同じだった。
「それで、私たちは昔のやり方を復活させたの」
と、胸を反らした。
「何のことはない、《中央》から弾き出された時点で市民ナンバーなんて役に立たなくなったんだ。代わりのものが必要になっただけだよ」
炎の向こうの方から男性の笑いを含んだ声がした。
「本当はそう言う事なの」
彼女は首をすくめ、ちらりと舌を出して笑った。以外に子供っぽい表情になる。あたしはつられて少し微笑んだ。
「それで、あなたも『名前』を持ったらどうかなと思って。昔の名付け方はいろいろあったみたいだけど……。取り敢えず、好きな言葉なんかどうかしら? 因みに、私は〝夢〟と言うの」
あたしは彼女を見た。……〝夢〟……ああ、彼女に合う。
「僕は〝大地〟」
反対隣りにいた、あたしを案内してくれた彼が名乗った。……〝大地〟……彼らしい。
「〝希望〟」
「おれは〝光〟」
その隣にいた大地と同じくらいの年頃の男性が二人、名乗った。
「私は〝花〟よ。よろしく」
「わたしは〝愛〟と言うの」
夢の隣に座っていた白髪に見える女性と、あたしの母親くらいの女性が名乗った。
順々に彼等は名前を名乗った。二十人皆違った『名前』が付いていて、あたしは少し意外に思った。人間の好みや思考は似通っているのだと思っていたのに、彼等は皆違った感性を持っているのだ。
「ところで、あなたはどんな言葉が好き? 思いつかなければ仮と言う事で私達が――」
「あたし、持ってる」
夢の言葉を遮るようにしてあたしは呟いた。そう、あたしは『名前』を持っているのだ。
「え?」
「付けてもらった。あたしだけの『名前』……」
――そうですねぇ、それじゃあ……。
あの時の〝獏〟の声と表情が蘇ってくる。
「付けてもらった? 誰に?」
「何ていうの?」
彼等が口ぐちに訊ねてくるのをぼんやりと聞きながら、あたしは夢見るように〝獏〟に付けてもらった『名前』を呟いた。
「〝未来〟」
――あなたが過去を振り返るのではなく、未来を見詰めていつでも前進できるように。未来にある希望や夢を掴めるように――
「……〝未来〟」
しばらくの沈黙の後、誰かが呟くように言った。
「いい名前じゃない。いろんなものを含んでいるわ」
夢が言った。
「でも、付けてもらったって、誰に?」
「……〝獏〟に……」
「ばく?」
素っ頓狂な声が上がった。彼等は互いに顔を見合わせ、それからあたしを見詰めた。単なる夢想家なのか、それとも既に狂っているのか、一瞬見極めるような視線が彼等の眼の中に宿った。
だけど、あたしはそんな事を気にしてなかった。
〝獏〟……口にした途端、今まで忘れていた事を思い出した。
涙があふれた。視界が滲んで、流れ落ちていくのがわかる。止まらなかった。止める気もなかった。
〝獏〟……会いたい、〝獏〟。でも、もう会えない……胸の中の穴に風が吹き込んでくる。
いきなり泣き出したあたしに、彼等が息をのむ気配がした。しかし、それはすぐに消え、痛ましそうな感情へと変わった。
隣にいた夢があたしを抱きしめた。
「かわいそうに……大切なものを失くしたのね」
あたしはびっくりして、彼女の顔を見上げた。瞳が潤んでいた。
「あなたの痛みはよくわかるわ。私も《センター》にとても大切なものを取り上げられたから……」
彼女の瞳から、涙が一つ落ちた。
痛みの共有――彼等はあたしと同じ痛みを持ち、自分以外の痛みに共感する事が出来る。あたしと同じ感覚を持っている――自分一人が周りと違うという疎外感から解放された気がした。
あたしは泣いた。
声を上げて泣いた。
声を上げて泣いたのは初めてだった。人の胸にすがって泣いたのも。
あたしの泣き声は周りに流れず、皆の中に吸い込まれていった。誰も何も言わず、あたしが泣き止むのを待っていてくれた。




