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紫色の獏  作者: 丸虫52
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第四章 運命の流れ ~遭遇~

 結局、あたしは《センター》の中へ入らなかった。絶望を後回しにすることにした。

 根を下ろしたように硬くなった足を引き剥がすように動かして体の向きを変えると、あたしは《センター》を後にした。

 絶望感が強くなってくる。

 情けなくて涙が出てくる。流れた涙が胸の中に空いた穴に溜まっていくようだ。胸が重くなってくる。

 泣きじゃくりながらロードウエイの上を流れた。どこでもいい、そんな気持だった。当てなんか無かった。ただ、〝獏〟のいない『箱』には帰りたくなかった。あそこは心に寒い……。

 どのくらい経ったのだろう。ふと気がつくと、周りは見た事の無い風景だった。

 高い建物ははるか彼方にしか見えない。近くにある建物はみな、古臭い感じのする低いものばかりだった。

 ロードウエイの両サイドは驚いた事にむき出しの土で、所々に半分に切ったボールを伏せたように細い草が生えている。視線を上げると、遠くの方にぽつんぽつんと樹らしきものの影が見える。ライトが少ないのか、薄暗い感じがする。

 突然足元が止まった。

 あたしの体は慣性の法則に従って前に投げ出された。咄嗟に手で支えようとしたが、勢いが勝って掌が擦れた。痛い……。見ると薄く血が滲んでいる。

「痛……」

 声に出して呟くと、自分の涙声でまた涙が出てきた。

 あたしはその場に座り込むと、膝の上で手を握りしめた。

 唇を噛みしめ、涙を堪えようとするが、止まらない。ぽたぽたと握り拳の上に落ちる。嗚咽が漏れてくる。それが一層涙を誘う。

 涙はいつまでたっても止まろうとしなかった。もう、自分が何で泣いているのか解らなくなってきていた。

 どのくらい座り込んでいたのだろう、ぐずぐずと泣いているあたしの頭の上から声が降ってきた。

「どうしたの?」

 低く落ち着いた男性の声だった。

 驚いて涙でぐしゃぐしゃの顔を上げると、見知らぬ男の人が膝に手を置いて屈み込むようにしてあたしを見ていた。

 あたしは茫然とその人を見上げた。

 その人はにっこりと人懐こい笑顔を浮かべると、自分の視線を下げてくれた。

「泣いてたの?」

 その人はポケットに手を突っ込んでハンカチを取り出すと、あたしに差し出した。

「涙を拭いて。こんな所に座ってると体が冷えちゃうよ。立てる?」

 あたしはこくりと頷いて、ハンカチを受け取った。その人はあたしの腕を取って引っ張り上げてくれた。

 不思議な感じがした。この人は、いったい何だろう……。

 穏やかで優しい雰囲気を持っている。包み込まれる感じがする。――どこか〝獏〟に通じるところがある。

 ハンカチを握りしめて立ち尽くしているあたしに、その人は甲斐甲斐しく世話をしてくれた。あたしの前に跪くと膝についた土を払い、ハンカチを取り戻すと涙と洟でぐしゃぐしゃの顔を拭いた。それからあたしにまたハンカチを渡すと、自分の掌であたしの掌の土を拭った。

 立ち上がった彼はあたしより頭一つ半くらい背が高い。あたしはその人を見上げた。

 その人は無遠慮なあたしの視線を気にもしないように受け止めて、にっこりと笑った。

「ようこそ『保護区』へ」

 あたしはぽかんと彼を見上げていた。

 今の時代にこんな風に無防備に自然に笑顔を作れる人がいるなんて……。信られない思いとその笑顔の温かさに、あたしは茫然として彼を見詰めていた。

「どうしたの?」

 少し怪訝そうな顔で彼は瞬きした。

「……ここ……?」

 頭はまだ白紙状態だったが、彼の表情につられるように声が出た。彼は再びにこりと笑った。

「ここは『保護区』ですよ」

「『保護区』?」

「そう、『動植物保存区』の中です」

 『動植物』……? どこかで聞いた事が、ある。どこで……?

 !

 いきなり頭が働いた。

「『流刑地』!」

 『動植物保存区』――別名『冷凍動植物園』

 地上で生息していた動植物を、実物から細胞・遺伝子レベルで冷凍保存しているところで、さらに別の呼び名で『流刑地』――つまり、『規格外』と判断された人々がいるところ。……じゃあこの人は、『規格外者』?

 あたしの『流刑地』という言葉に男は少し眉を寄せ、表情を曇らせたが、すぐに笑顔に戻った。

「そうです。一般市民の言う『流刑地』ですが、我々の前ではなるべく言わないようにね。馬鹿な人に馬鹿と言うと、本当の事でも怒るでしょう? だから我々の前では『保護区』と言ってください」

 男は微笑しながら、さらにあたしを驚かせる事を言った。

「ここへ来たところを見ると、君は新しい仲間ですね」

「仲間?」

「そう。君も『規格外者』でしょう?」

「『規格外』?……!ええっっ!」

 それは……確かに『要注意人物』ではあるけれど……。まだ『規格外』のレッテルを貼られた訳では……。確かに先日の『監査』では不合格だったろうけど、それはあたしが思っているだけで……。いや、百歩譲ってそうだとしても、まだ正式発表されてないし……。でも、もしかすると本人には知らされない……? いやいや、そんな人権を無視するような……。でも、この人が知ってるってことは……。

 あたしはパニックに陥った。

 頭の中はいろんな言葉と思いがぐるぐると回るだけで、何ひとつ結論には至らなかった。

 彼はそんなあたしを痛ましそうに見ながら、

「『規格外』の発表は通常、外部は勿論本人にもされないんですよ、他の市民への影響を考えて。……ただ、そういう人たちは気付かないうちにここへ誘導されるんです。つまり、ここへ来る人はみんな、中央から『規格外』と判断された人たちです。逆に言えば、市民は決してここへは来られないんです」

 あたしの心を読み取ったかのように言った。

「ここへ来た人は最初、誰でもあなたのようにパニックになって、取り乱したりしますが、ちゃんと自分の立場を理解して受け入れます。あなたにもそれが出来るだけの強さと柔軟性を持った精神があるのでしょう? 大丈夫。我々が、あなたの先輩達がいます。あなたはもう一人ではありませんよ。いらっしゃい、皆に紹介しましょう」

 彼はそう言うと、先に立って歩き出した。あたしはしばらくその場に突っ立って、遠ざかって行く背中を見つめてながら彼の言う事理解しようとしていた。

 どうやらあたしは『要注者』から『規格外者』になったらしい。

 ある意味レベルアップした事になるのかな――こんな時なのにあたしは頭の隅でそんな事を考えていた。

 そして彼は『規格外者』を代表してあたしを迎えに来てくれた、と言う事らしい。彼について行けば、あたしは自分を受け入れてくれる人達と出逢えるという事だろうか? もう孤独を感じなくていいということだろうか?

 前を行く彼が、こちらを振り向いた。

「どうしました? 心配はいりません。皆、あなたを待ってますよ」

 彼が手を差し伸べた。あの手を取ればあたしは『規格外者』としての一歩を踏み出すことになる。そして同じ立場の人達と会う事が出来るのだ。

 そうだ、あたしは彼らに憧れて、彼等のようになりたいと思っていたのだ!

 あたしは手の甲で涙を拭い、ハンカチをポケットに突っこんで、慌てて彼の後を追った。

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