第三章 地上への誘い ~袋小路の想い~
第三章、終了。次回より、第四章へはいります。
地上はもう生物が充分生活していけるほどに浄化されている。人間が地上へ出ても大丈夫だ。しかし――――。
「しかしどうだって言うんです?」
〝獏〟が訊き返した。
ここのところあたし達は地上に出るといつもこの話をする。――つまり、人類が再び地上へ戻るという事について。
〝獏〟曰く、
「地上は元に戻った。なら、生き物は元からの棲み家であるところの地上へ戻るべきです。いつまでも地下にいるのは不自然ですよ」
あたし応えて曰く、
「理論上は、ね。でも理論が必ずしも正しいとは限らないわよ。あんたの意見には抜けてるものがある」
「抜けてるもの? なんです?」
「感情よ」
「感情?」
オウム返しに〝獏〟が訊く。
「そう! 昔は地上に住んでいただろうけど、今地下に住んでいる人たちは地上に出るっていうことに対して精神的に物凄い負荷が掛かるの。そういう風に教育されてるんだから仕方が無いけど。『要注者』のあたしでさえ、『地獄の入り口』の前に立った時は窒息するかと思ったくらいだもの。一般市民はもっと酷いと思うの」
「……なるほど……」
「それに地下は気候も含めてすべて管理されてるでしょ? それに慣れてる人々が、地上の気まぐれな気候についていけるかしら? ホラ、温室育ちの花は弱いって言うでしょ?」
「そうですね……」
あたしの指摘に考え込みながら〝獏〟は頷いた。
「でもさ、どうしてそんなに地上に戻したがるの?」
あたしが訊ねると、〝獏〟はびっくりした様にあたしを見た。
「だって、人間が地上を汚したんでしょう? だったらそんな汚染の元を戻す必要なんてないんじゃない?」
〝獏〟はしばらく黙っていたが、寂しそうに笑うと、
「それでも生物は地下で発生したんじゃありませんよ。地上で――正確には水の中ですけれど――発生したんです。地上が母親なんです。地下は胎内にしかすぎません。いつかは出ていかなくてはいけません。そうしなければ窒息してしまいます」
「窒息?」
「ええ。地下はスペースが限られてると以前言ったでしょう?」
「うん」
「それってよくありませんよ、文化の発達や人口の面でも………」
「人口って?」
「気付いてないんですか? 地下都市の出生率、下降線を描いてるはずです」
「出生率って……人口は管理されてるから増減はない――」
「人口じゃなくて、自然出産の出生率ですよ」
「自然出産……」
地下都市では人口は完全管理されている。限られたスペースしかないのだから野放図に人口を増やすわけにはいかないのだ。かといって少なければいいというものでもない。
死ぬ人間と生まれてくる人間の数が同じでないと、人類が滅んでしまう。それでは本末転倒も甚だしい。
そこで、人種民族それぞれの人口比率を出し、人口を決めた。地下へ下りて百年後くらいのことだ。
ただし、人口増加は自然出産が大原則。繁殖力退化を防ぐためらしい。それで足りない分は人工繁殖で補う事になっている、と歴史で習った。
その自然出産が減っている、と〝獏〟は言うのだ。
「あなたが言う通り、閉じた空間は収容能力に限界があります。だからこれ以上人口が増えないように、生物としての調整能力が働いて出生率が下がっているはずです。このまま行くと、人類は遠からず滅びてしまいますよ」
〝獏〟は平然とした顔で恐ろしい事を言った。
「それ、ほんとう……?」
「本当ですよ」
「でも、誰もそんなこと言わないよ? 学校の先生も政府の発表も」
「情報は公開されているでしょう? 知ってて当然だと思われてるか、わざと避けてるかのどちらかでしょう」
あたしは考え込んでしまった。
人間は結構しぶとい。前時代(地上で生活していた時代の事だ)にあった二度の大戦や、何度も予言されていた滅亡の日や世界規模の伝染病の流行、人類が地下へ下りる直接の原因ですら乗り越えてここにこうして生き続けている。
その人類が滅びてしまう――思ってもみなかった事実(〝獏〟はこういう事に嘘をつかないという事は、今まで付き合っていれば充分わかる)を突き付けられ、あたしは途方に暮れた。
問題が大きすぎる。
《中央政府》のお偉いさんが言い出したならいざ知らず、『要注者』の女の子の言う事など誰が真面目に耳を傾け、同意してくれるものか……!
かと言って、近い将来ではないにしても滅亡へ向かって進んでいると知ったものを黙ってみていられる訳がない――!
あたしは本当に頭を抱え込んでしまった。
頭を抱え込んだあたしをしばらく見ていた〝獏〟は、大きな溜息をついた。
「別にあなたを困らせるつもりはないんです。そんなに考え込まないでください」
「でも知らなかったんならともかく、知っちゃったんだし、何か警告みたいな――」
言いかけて、何かが引っ掛かった。
「《政府》のお偉いさん……?」
「何ですか?」
〝獏〟が声をかけてきたが、あたしは返事をしなかった。それほど自分の中に浮かんだ疑問に集中していた。
都市内のどんな小さなことでも把握管理している《中央政府》が、本当に現在の地上の様子を知らないのだろうか? それに打ち切る前の地上は、本当に変化が無かったのだろうか? 例え打ち切った後でも、普通はカメラや測定機器くらい設置して様子を見るものじゃないだろうか? 一つも設置してないなんてこと、あるんだろうか? もし本当に設置してないとしたら、それはなぜなんだろう?
無秩序に疑問が浮かんでくる。今まで《政府》の発表を疑う事なんて無かったけれど、ひとつ変だと思い始めると次から次へと湧き出してくる。
『規格外者』はなぜ市民から隔離しなけばならないのか? 犯罪者と同じように処置することだって可能なのに、なぜわざわざ隔離するのだろう? 彼らは本当に生きているのだろうか? 彼らが市民に与える悪影響ってどんなことだろう?
分からない事が多すぎる。
『地獄の入り口』に鍵が掛かっていなかったのは偶然だろうか? しかも危険なはずの地上との障壁が金属の扉たった二枚だったのはなぜか?
頭がおかしくなりそうだった。
答えの出ない疑問ばかり増えてくる。
あたしは頭を抱えたままかぶりを振った。疑問がどこかへ行ってほしいと思った。あまりに強く頭を振りすぎて、目眩がした。
「どうしたんですかっ!」
「キャッ!」
急に耳元で大きな声がして、びっくりして飛び上がった。〝獏〟があたしを睨みつけていた。その迫力に思わず腰が引けた。
「な、な、な、何? ど、どうかしたの?」
問い掛けたあたしに、〝獏〟は怖い顔のまま言った。
「それはこっちの台詞です! 呼んでいるのに頭を抱え込んだまま返事もしない! 揚げ句の果てに犬じゃないんですよ、頭を振ったからって返事になる訳ないでしょう!」
怒鳴っている〝獏〟を見ながら、そう言えば〝獏〟にもいくつかの疑問符がつくのだという事を思い出して、あたしは大きな溜息をついた。
「何なんですか、さっきから!」
かなり怒っているらしい〝獏〟は、語気も荒く言った。
「考え込むのもいいですけど、こっちの質問に返事くらいしてください」
「質問? 何?」
ようやくあたしの意識が自分の方へ向いて安心したのか、ほっとした表情になると〝獏〟はあたしを見詰めた。
「可能性として訊ねますが、『規格外者』と言われる人々、彼等は地上へ出る事が出来るでしょうか?」
真剣な目だった。
「彼等は他の人とは精神構造が違うのでしょう? だったら、あなたと同じ道を辿って地上へ出る事が出来るんじゃありませんか?」
「――期待は、しない方がいいと、思う……」
「え?」
あたしの答えが思っていたものと反対だったのだろう、〝獏〟は驚いたような声を上げた。
「確かにあたしは地上へ出る事が出来た。でもそれはあんたっていう存在があって、導いてくれたからよ。『規格外者』だって小さい頃は市民としての教育を受けているのよ。地上は怖いところだって骨の髄まで沁みこされてると思う。それを根底から引っくり返すのは物凄く大変だと思わない?」
酷い事を言っている自覚はあった。でも下手な希望を抱かせるのは、もっと酷い事だと思った。
「自覚があるかどうか知らないけど、あんたは特別だと思う。あんたでなくちゃあたしは動けなかった。あんたの代わりはいないの。あたしにはあんたの代わりはできない。あんたが自分で彼等のところへ行って、一から十まで説明して、説得しなくちゃ無理よ。それに、彼等がどこにいるか知ってるの? 前にも言ったと思うけど、あたしを含め市民で彼等の居場所を知ってる人はいないのよ? 仮に知ってて行けたとしても、あんたの説得に彼等が動くっていう保証は、あたしは出来ない」
あたしの言葉を聞きながら、〝獏〟が失望していくのが分かった。あたしも自分の言葉でだんだん絶望的になってきた。
『規格外者』――そう、彼等を動かせれば事態は好転しないまでも、何らかの動きはあるだろう。『要注者』の60パーセントが『規格外者』になるのだから一人や二人ではないはずだ。でも、彼等が必ず動くという保証はどこにもない。それほど幼児期に植え付けられた記憶は根深いのだ。
あたし達は零れそうな星空の下で重い溜息をついた。
*** ***
そして、この時あたしは重大な事を失念していた。それは遠くない未来に地下都市を大混乱に陥れる切っ掛けになる、ほんの些細なことだった。
それはこの夜から三日後に起こった――。
ようやく半分……、まだ先は長い……。




