第二章 秘密 ~トンデモない話~
さすがのあたしも二日目になると心配になった。学校が終わるとすっ飛んで帰ってきた。しかし、〝獏〟が帰ってきた気配はなかった。
その夜はまんじりともせず、ベッドの上で膝を抱えてドアが開くのを待っていた。
三日目、睡眠不足でガンガンする頭を抱えてようやく学校から帰ってくると、〝獏〟はそれまでと同じように『箱』の中であたしを待っていた。
「どこ行ってたのよ、心配したじゃない!」
〝獏〟が戻ってきたことにホッとすると同時に、二日以上帰ってこなかったことに腹が立った。
「ごめんなさい。少々手間取ってしまったんです。あの、手を出して下さい。……これは、お詫びの印とお土産です」
そう言って〝獏〟は、差し出したあたしの掌の上に小さな花をのせた。
「どっどっ、どっ、どうしたの、これっ!」
あたしはうわずった声で、半ば叫ぶように訊いた。微かに手が震え、顔から血の気が引いているのが自分で分かった。
それは淡いピンクの五枚の花びらを持っていた。
ここでは動物に限らず、植物でも勝手に『箱』の中に持ち込んではいけない。厳しいテストと先生の推薦があって、初めて許可が下りるのだ。
道端の植えこみや公園の木の葉っぱ一枚でも勝手に持ち込むと罰を受けることがある。あたしは以前、公園で葉っぱを一枚むしって厳重注意を受けたことがある。
〝獏〟はにこやかに口を開いた。
「それを捜すのに少し手間取ってしまって……」
「どこから持ってきたかって聞いてるのよっ!」
あたしは〝獏〟の言葉を遮ると、噛み付くように叫んだ。
《センター》の局員は実に素早い。取ると同時くらいにやって来る。あたしはそれを心配して少々ヒステリックになっているのに、〝獏〟はのほほんとしている。それがあたしを苛たせた。
「どこから取って来たの! 《センター》の局員が来るかもしれないじゃないっ!」
「それは大丈夫。地下のものじゃありませんから」
自信たっぷりに請け合う〝獏〟に怪訝な視線を向けた。
「地下のものじゃない? じゃどこの……!」
あたしははっとした。ゆっくりと視線を掌へ移した。〝獏〟がにんまりと笑った。
「そうです、地上のものですよ」
「キャアァァーーーッ!」
あたしは思いっきり花を投げつけると、『箱』の隅へ逃げた。花は一瞬だけ空中に静止してから、くるくると回りながら床に落ちた。あたしの胸の奥の方で何かが、ずきんと痛んだ。
「何をするんです! 嫌いならテーブルの上にでも置けばいいでしょう、何も投げつけなく……どうしたんですか?」
珍しく〝獏〟が険しい声で言うと、慌てて花を拾い上げ、文句を言おうとあたしの方を向いた。けれどあたしの様子を見ると、びっくりして言葉を止めて、まじまじとあたしを見詰めた。
あたしは震えていた。
『箱』の隅で〝獏〟に背を向け、手足を縮め、かろうじて首だけ肩越しに振り返らせて、震えていた。ワザとそうしているのではなく、本当に身体が小刻みに震えて止まらなかった。意識が遠くなりそうだった。
「どうしたんですか?」
〝獏〟が怪訝な顔をしながら、あたしの方へ近付いてきた。
「来ないでぇーーっ!」
あたしは叫ぶと、頭を抱え込んだ。〝獏〟はあたしの声に驚いてその場に立ち竦むと、今度はおずおずと訊ねてきた。
「本当に、どうしたんですか?」
「あ、あっち行って! 向こうの隅へ行ってよぉ!」
あたしは頭を抱え込んだまま、振り返りもせず半べそをかいて叫んだ。
〝獏〟は納得がいかないのか、ブツブツと呟いていた。
それでもあたしの頼みをきいて、『箱』のあたしと対角線にあたる隅へ移動した。その気配を感じてから、あたしはそろそろと腕を頭からはずして肩越しに〝獏〟を見た。
〝獏〟は『箱』の隅で、花をくわえて不満そうな顔で座り、こっちを見ていた。あたしはそれを確認すると、身体の向きを変えてその場に力が抜けたようにへたり込んだ。
「一体全体、何だって言うんです?」
〝獏〟が不満100%の声を出した。
「だ、だって、『地上の花』、でしょう?」
答えるあたしの声が、微かに震える。
「毒の空気の中にあったものでしょう? 毒を含んでるかもしれないじゃない」
〝獏〟は大きなため息をひとつつくと、呆れたという風に首を振った。
「あのですねぇ……、何を勘違いしているか知りませんけど、植物って言うのは動物よりずっと敏感で生命力の強いものなんですよ」
「?」
「加えて言うなら、動物の中で最も鈍感なのは人間です。植物は自分の生活環境の小さな変化にも素早く対応しますし、種子というものはものすごく丈夫で長生きなんです」
「??」
「だから環境が悪くなれば種子を残してさっさと枯れてしまいます。そして種子のまま休眠状態で待機して、状況が良くなれば一気に発芽します。いったん芽吹けば花を咲かせますし、実だってつけます。子孫を残せれば、確実に増えます。植物が増えれば環境は良くなります。……まだわかりませんか?」
〝獏〟は少しイラついてきたみたいだった。しかし、あたしはまだ〝獏〟のいわんとしていることが理解できなかった。
〝獏〟は呆れたように小さくため息をつくと、まるで出来の悪い生徒に教え込むみたいに一言ずつ区切るように、
「今、地上は、こんな花が咲くほど、良くなっている、と言っているんですよ」
しばらく沈黙があった。
「……良くなってる?」
「そうです」
ぼんやりと呟いたあたしに〝獏〟は大きく頷いてみせた。
それでもあたしの頭はまだ理解できなかった。
良くなっているって、何が? ――環境?
どんなふうに? ――花が咲くほど?
花が咲くとどうなるって? ――植物が増える?
植物が増えるとどうなるって? ――綺麗になる?
綺麗になるって、何が? ――空気?
空気が綺麗になってるの? 生物が生きていけるほど? へぇぇ、空気が綺麗になっているのか、ふーん……!
呆けたように自問していたあたしの頭が、突然働いた。
「空気がきれいになっているのっ? 昔みたいに? 地下と同じように呼吸ができるのっ?」
あたしは四つん這いになって〝獏〟の方へ移動した。
「そうですよ」
「で、で、で、でもね……!」
あたしは今度は〝獏〟の前にぺったりと座り込むと、興奮で息を弾ませながら言った。
「あのね、人間が地上に住んでいた頃のことは、今は歴史として習うくらい大昔のことなのよ?『地上はどんな生命も存在することが不可能なほど荒廃している。かつて、人間は荒廃を止めようといろいろ手を尽くしたがすべては無駄に終わった。地下に移ってからも努力したが全然効果がなかった』あたしは、そう習ったのよ。長時間防護服や密閉服なしでいることはできない、って。なのに、きれいになってるって? 浄化されたって? 本当? 信じられないっ……」
「でも、現に私は行ってきましたよ。それとも、私の言うことは信じられませんか?」
「そういうわけじゃないけど……」
「大体、その効果がなかったって言うのはいつごろの話ですか? 最近の話じゃないでしょう?」
「ええと、少なくとも180年以上前だったと思うけど……。でも……でもね。地下へ潜り込んでから10年単位で地上へ調査隊が送られていたのよ。地下へ移ったのは100年や200年では済まないくらい昔なのよ。その頃からずっと観察していたのに、地上は荒廃したままで、地下へ移動する前に地上に残した浄化装置もさして効き目がなかったって……。だから地上はもう元には戻らないと決定されたって……」
「それで180年前に出した調査隊を最後にした、と言うんですか……」
〝獏〟はため息混じりにそう言うと、あたしをちらりと見た。
「それで、あなたはそれを信じているんですか? 自分の目で確かめたわけでもない、政府の発表を素直に信じているんですか?」
いささかトゲのある口調だった。
「つまり、あなたの好奇心というものも大したことないんですね」
挑発している――それは気がついた。しかも〝獏〟はそんなに長いつき合いでもないというのに、すでにあたしの性格を把握していて、どう言えば反発するか知っていた。
あたしは自分の好奇心旺盛なところが嫌いではない。開き直りもあるかもしれないが、どちらかというと画一的な一般市民よりも面白味があって良いと――いや、少々誇りに思っているくらいだ。
特に最近、〝獏〟と一緒にいるようになってから、拍車がかかった気がする。だって、他の市民じゃこんなことできないだろうし、第一〝獏〟を満足させられるほどの夢を見ることはできないだろう――つまり、ささやかな優越感というヤツ。
それを「大したことない」だなんて……!
カチン、ときた。
「そんな事言ったって、それ以後地上へ出たがる物好きなんているはずないし、現在の様子が分かるわけないじゃない。政府の出した発表と、学校で習うことしか知ることできないんだもの!」
あたしは頬をふくらませて、上目遣いに〝獏〟を睨んだ。
まずい、のせられてしまう――頭の隅で警告が鳴ったが、口は閉じてくれなかった。
「だいたい、地上へ行ったってあんたは言うけど、一体どこから行ったのよ? そんなところがあるなんて、あたし知らないわよ。知ってたらあたしだって地上ぐらい出て行くわよ。地上への出口なんてどこにあるって言うのよっ?」
「あれ、知らなかったんですか? あちこちにありますよ。確か、この近くにもひとつ──」
「うそっ……!」
しれっと、とんでもないことを言い出した〝獏〟に、あたしは絶句してしまった。
あちこちに地上への出口がある? しかもこの近くにも? いったいいつの間にそんなことを知ったのよ!




