ユニグロと、動かぬ人間
京都、四条河原町。
駐車場から歩き出した三人は、人であふれる通りを、服屋に向かっていた。
「まずは服です。この先に、ユニグロがあるんで」
先頭を行く楓の後ろで、信長はきょろきょろと辺りを見回している。
すれ違う人々が、ちょんまげ姿の信長を二度見していく。
「楓。みな、わしを見ておるぞ」
「その頭のせいです」
「うむ。威光というやつだな」
「違います」
* * *
楓が二人を連れてきたのは、赤と黒を基調とした大きな看板の店だった。
「ここがユニグロです。日本中の人が着てる、定番ブランドです」
「ゆにぐろ……」
店に入った信長は、棚にずらりと並ぶ服を、じっと見つめた。
「これは、いくらだ」
「それは、千九百円です」
「せんきゅうひゃく……。それは、高いのか、安いのか」
「えっと、普通の人が毎日着る服としては、お手頃な値段です」
「ふむ。……すまぬ、まだ今の銭の値打ちが分からぬ。これは、あとで学ばねばならんな」
信長は手に取った上着の肌触りを確かめた。
「だが、この生地は軽い。柔らかい。縫い目も揃っておる。……これはよいものだ」
「そうなんですよ。それが毎日の服になるんです」
「蘭丸、これを着てみよう!」
「は、ははっ!」
信長は服を何着も抱え、試着室へ向かった。
その後ろを、蘭丸が当たり前のようについていく。
「上様、お着替えのお手伝いをいたします」
「うむ、頼む」
「いやいやいやいや! 待って待って!」
楓が、二人の間に割って入った。
「ここ、ひとり用です。ひとりずつ入るんです」
「しかし、上様のお召し替えは、小姓の務めにございます」
「現代では、自分で着替えます。蘭丸くんが入ったら、狭いし、店員さんに怒られます」
「そうなのですか……」
蘭丸は、しゅんと肩を落とした。
「蘭丸は、お役に立てませぬか」
「大丈夫、外で待つのも立派な仕事だから」
(この子、天然でこれやるんだもんな。ほんと数字取れる)
楓が小さく息をついた直後、試着室のカーテンがばさっと開いた。
「どうだ、楓。似合うか」
そこには、無地のTシャツとチノパンを着た信長が立っていた。
頭には、ちょんまげが、ちょこんと乗っている。
「…………」
楓は、言葉を失った。
あまりにも、普通のおじさんだった。
しかも、頭だけが戦国時代のままである。
「……七五三の大人版みたい」
「何を言う。この軽さ、この動きやすさ。甲冑より遥かに優れておる!」
「それは、同意しますけど」
信長は、鏡の前で腕を回し、満足そうにうなずいた。
「よい。これで合戦もできる」
「しなくていいです」
続いて、蘭丸の番である。
「蘭丸くん、次どうぞ。ひとりで入ってね」
「は、はい……」
緊張した面持ちで、蘭丸は試着室に入った。
一人きりで着替えるのが初めてなのか、中から、何やらバタバタと音がする。
「上様! この、ぼたんなるものが、うまく留まりませぬ!」
「蘭丸くん、頑張って」
「ひ、ひもが、二本ついておりまして……!」
「それはフードの紐。結ばなくていいよ」
「ふーど……?」
「頭にかぶる部分。かぶらなくていいから、後ろに垂らしておいて」
数分後。
カーテンが、おそるおそる開いた。
「……いかがでしょうか」
白いパーカーの上に、ネイビーのジャケット。
フードは、きちんと背中に垂らされている。
ただの量販店の服のはずなのに、そこには、雑誌から抜け出してきたような美少年が立っていた。
店内の空気が、ぴたりと止まる。
「え、あの子……」
「モデルさん? 撮影?」
「やば、顔ちっさ……」
客も店員も、蘭丸に釘付けである。
信長だけが、満足そうに腕を組んでいた。
「うむ。蘭丸は、何を着ても蘭丸だな」
「いや、そこが問題なんですよ」
楓は、周囲の視線を冷静に観察していた。
(ユニグロの服でこれか。ブランドものを着せたら、どうなるんだろう)
その目は、完全に「商品を見る目」だった。
* * *
レジの前で、楓は手早く服の山を店員に渡した。
「これ、全部お願いします」
「はい。合計で、一万五千八百円です」
楓は、蘭丸が抱えた献上品の山を指さした。
「蘭丸くん、その中から、一万円札を二枚出して」
「は、はい」
「その紙には、一万円って値打ちが決まってるの。これを店員さんに渡して、代わりに服をもらう」
「ほう。紙きれが、銭の代わりをするのか」
「そう。で、二万円出したから、お釣りが戻ってくる」
店員が、無言でレジを打ち、硬貨と小さな紙を楓に渡した。
「はい、お釣りとレシート」
楓は、そのまま信長の手のひらに、硬貨を乗せた。
「これが、お釣り。払いすぎた分が戻ってくるんです」
信長は硬貨を一枚つまみ、光にかざした。
「均一な丸、均一な重さ、刻まれた文様……。これが、今の銭か」
「はい」
「そして、この紙きれと引き換えに、これだけの品が手に入ると。……なんという信用の仕組みだ」
信長の目が、ぎらりと光った。
「商いの理が、わしの時代とは比べものにならぬ。蘭丸、この仕組み、よく覚えておけ」
「は、ははっ!」
「あと、蘭丸くん。その一万円札、ほんとに自分のお金にしていいからね」
「? 上様への献上品にございます」
(天然、最高)
* * *
着替えを済ませた三人は、買い物袋を提げて、四条河原町の通りを歩いていた。
ちょんまげにTシャツ姿の信長は、すれ違う人々にじろじろ見られていたが、本人はまるで気にしていない。
「うむ。身が軽い。歩きやすい。実に良い」
「その頭に、みんな振り返ってるんですけどね」
「何か言ったか」
「いえ、何も」
そのとき、信長がぴたりと足を止めた。
「…………ぬ」
通りに面した洋服店の、ショーウィンドウ。
そこには、人が立っていた。
ブランドの服を着こなし、完璧なポーズで微笑む、女の人が。
「蘭丸、近う寄れ。……敵か?」
「いえ、上様……動きませぬ。ですが、この肌、この目、この指先……!」
蘭丸が、震える手でそっとガラスに触れた。
「まるで、生きておるようにございます……!」
「カカシとは、まるで違うではないか……!」
信長は目を見開いた。
「カカシは藁に着物を着せただけのもの。だがこれは、目鼻立ち、指の関節、爪の先に至るまで作り込まれておる。未来の職人は、神の領域に踏み込んだのか!?」
「いや、ただの展示用の人形ですよ」
「ただの、だと!? この精巧さで、ただのだと!?」
信長はガラスに額を押し付け、マネキンの顔を覗き込んだ。
通行人が、ちらちらと振り返っていく。
「……これなら、光秀も、騙される」
「近くで見たらバレますけどね」
「首は取れるのか」
「パーツ式のもあるんで、取れますよ」
「取れるのか!?」
信長は、感激のあまり、ガラスに両手をついた。
「楓。わしは、まねきんを侮っておった。これほどの職人技とは……」
「ガラス、曇ってます」
「蘭丸、見よ! この指の細さ!」
「はっ! 爪まで、爪まで作られております……!」
二人の男が、ショーウィンドウに張り付いて感動している。
楓は、こめかみを押さえた。
(……恥ずかしい。他人のふりしたい)
と、そのときだった。
「あの、すみません!」
背後から、女性の声がかかった。
振り返ると、首からカメラをさげた女性が、蘭丸のほうを見ていた。
「突然ごめんなさい。雑誌のストリートスナップを撮ってる者なんですが、今、街で素敵な人を探していて……もしよかったら、一枚撮らせていただけませんか?」
「は……? ぎょうにん……?」
「いえ、編集です。この雑誌なんですけど」
女性は、名刺と雑誌を差し出した。
その瞬間、楓の全身に、電流が走った。
(来た!! これは、来た!!)
楓は表情を殺し、冷静を装って、一歩前に出た。
「あ、マネージャーの秋山です。詳しくお伺いしても?」
「まねーじゃー、とは何だ」
「しっ、黙っててください」
楓は小声で信長を黙らせ、名刺を受け取った。
蘭丸は、おろおろと信長を見る。
「上様……あの女性は、何を申しておるのでしょうか。すとりーと、すなっぷ、とは……」
「分からぬ。楓、通詞をせよ」
「えっと、簡単に言うと、街を歩いてる人の姿を写真に撮って、雑誌に載せたいって」
「しゃしん……? ああ、先ほど楓がかざしておった、あの鏡のようなもので姿を写し取るものか」
「そうです」
「なぜ蘭丸を」
「それは……蘭丸くんが、その、とても整った顔立ちだから、ですね」
編集者が、力強くうなずいた。
「はい! 一目見て、この人しかいないと思いました! 読者の方々に、ぜひ見ていただきたいんです!」
「……蘭丸の顔を、天下に見せたいと申すのか」
「天下……まあ、全国の読者に、ですね」
「ふむ」
信長は、腕を組んで考え込んだ。
「つまり、蘭丸の姿を絵師に描かせ、その絵を広く配りたい、と。そういうことか」
「絵……というか、写真ですけど、まあ、そんな感じです」
「上様……蘭丸の姿を、絵に……」
蘭丸は、落ち着かない様子で自分の頬に触れた。
「蘭丸の顔に、そのような値打ちがございましょうか」
「あるのだ。おぬしは、わしが選んだ小姓だぞ」
信長は、ふんと鼻を鳴らした。
「ただし、勝手には決められぬ。おぬしの主として、先方の素性を確かめる必要がある。……して、そなたは、蘭丸に何を求める」
「え、えっと……ただ、通りで一枚、撮らせていただくだけです。お時間は十分ほどで」
「ふむ、十分。……楓、これは、よい話か」
「めちゃくちゃいい話です」
楓は、食い気味に答えた。
「では、許す。蘭丸、立っておれ」
「は、ははっ!」
編集者は、通りの真ん中で、蘭丸にカメラを向けた。
カシャ、というシャッター音が響く。
「ひっ! 今の音は!」
「大丈夫、大丈夫。そのまま、自然に立っててください」
蘭丸は、緊張で背筋をぴんと伸ばしたまま、固まっていた。
それがかえって絵になり、通行人まで足を止めてスマホを向け始める。
「やば、あの子」
「撮影? モデルさん?」
あっという間に、小さな人だかりができた。
楓は、その光景を、少し離れた場所から見つめていた。
(これ、絶対バズる。事務所への売り込みにも使える……)
撮影が終わると、編集者は連絡先を書いた名刺を、楓に差し出した。
「雑誌は来月号に載る予定です。掲載号は、お送りしますね」
「ありがとうございます。ぜひ、よろしくお願いします」
編集者が去っていくと、信長は、じろりと楓を見た。
「楓。おぬし、さっきから妙に嬉しそうだな」
「き、気のせいです」
「ふむ。……まあよい。蘭丸が世に出るのは、悪いことではない」
信長は、蘭丸の肩を、ぽんと叩いた。
「蘭丸、よくやった」
「は、ははっ! ……ですが、蘭丸は、何もしておりませぬ」
「それでよいのだ」
「楓。あのまねきんの店、このまま寄るぞ」
「はいはい」
こうして、蘭丸は、本人も知らぬうちに、京都の街で最初の一歩を踏み出したのだった。
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