死ぬ日を知った信長、マネキンを所望する
楓に引っ張り込まれたマンスリーマンションの狭いリビング。
織田信長は、フローリングに正座していた。
「……で、住処を貸すかわりに企画に協力しろ、だったな」
「そうです。まずは自己紹介しましょう。秋山楓、25歳。制作会社のAD、社会人3年目です。目標は、自分の番組を持つこと」
「ふむ。野心があるのだな。気に入った」
「どうも。で、お二人は?」
「わしは織田信長。右大臣にして、天下布武を掲げる者よ」
「はいはい、織田信長さん。そういう設定ですね」
「設定ではない!」
「年齢は?」
「四十八だ」
楓は信長を上から下まで眺めた。
くたびれた衣に、少し出た腹。
そして頭には、薄くなった髪で無理やり作ったちょんまげが、ちょこんと乗っている。
(五十手前でこの本気のコスプレ。趣味に人生を捧げてるタイプだ。私の目指す将来とは真逆だな……)
「はっ。森蘭丸と申します。上様の小姓にございます。年は十八、お仕えして六年になります」
蘭丸は背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。
艶やかな長い黒髪を後ろで一つに括っただけなのに、透き通るような肌と整った顔立ちで、まるで一枚の絵である。
(顔、骨格、立ち姿、声。全部いい。この子は絶対伸びる。事務所に売り込めば、私の評価も跳ね上がる……!)
楓にとって蘭丸は、愛でる対象ではない。
出世のために磨くべき「コマ」である。
「蘭丸くん。さっき貰った貢ぎ物、全部持ってるよね?」
「はい。上様への献上品にございます」
「そこまで世界観を貫くんだ……」
楓は小さく息をついた。
「で、信長さんたちは、これからどうするんですか」
「うむ。安土を世界一の都にする。天下統一は、もうよい」
「……え」
蘭丸が思わず声を漏らした。
「上様。天下統一は、もう……よろしいのですか」
「うむ。興味がない」
「そ、そんな……」
蘭丸は膝の上で拳を握った。
「蘭丸は、上様が天下を治められる日を、楽しみにしておりました」
「そうか」
「……いえ。上様がお決めになったのなら、従います」
口ではそう言いながら、蘭丸の肩は目に見えて落ちていた。
(あ、ガチで落ち込んでる。徹底してるなあ)
楓は感心しつつ、ふと思い出したように言った。
「そういえば信長さん、このあと本能寺で亡くなる設定ですよね?」
「…………ほう」
部屋の空気が止まった。
蘭丸が青ざめて立ち上がる。
「な、なにを申される! 上様が……!」
「待て、蘭丸。いつだ」
「天正十年六月二日。明智光秀の謀反。……あ、もうそこまで作り込んでるんですか? さすがですね」
楓は、にやにやしている。
信長は目を閉じ、数秒の後、ゆっくり目を開いた。
「そうか。光秀か」
「……上様?」
「あやつなら、やりかねんな」
淡々としている。
あまりに淡々としている。
(反応薄っ。……あー、これがプロ根性ってやつか)
楓は勝手に感心していた。
一方の信長は、顎に手を当てて考え込み、ぽんと手を打つ。
「待てよ。その日に死んだことにすれば、わしは天下の務めから解き放たれるのではないか?」
「は?」
「天下統一など秀吉にでも任せればよい。わしは安土に専念できる。これは僥倖ぞ!」
「なるほど、死んだことにして街づくり。設定、練ってますね〜」
蘭丸が、寂しげに目を伏せた。
(上様は、本当に天下をお捨てになるのですね……)
信長は、そんな蘭丸には気づかず、腕を組んだ。
「ただし、死んだことにするには、証が要る。討たれた者の身代わりだ。楓、何かないか」
「身代わり? ……本人の代わりってことですよね」
「うむ。首でも、骸でもよい。わしに似た者が要る」
「いや、そんな都合のいい人いませんよ。まさか本当に殺すわけにもいかないし」
「それはならん。わしの手を汚すのは、光秀の役目だ」
「そこじゃないです」
楓は、頭をかいた。
「えーと、変わり身になるもの……。ないですよね、普通」
「何でもよい。見た目だけでも構わん」
「見た目だけ……」
楓は、腕を組んで考え込んだ。
「んー、そんなのあるかなー。見た目だけなら、人形とか? ……でも、ただの人形じゃ、近くで見たらバレるし」
「ならば、等身大で、よく出来ておるものがよい」
「等身大で、よく出来てる……。服屋さんにあるやつ……」
楓は、ぴたりと動きを止めた。
「…………マネキン?」
「まねきん?」
「ショーウィンドウに立ってる、人の形をした人形です。服を着せて展示する用の」
「それは、カカシのようなものか」
「いや、カカシとは全然違いますよ。もっとこう、本物の人間みたいな……あ、でも、案外いけるかも」
楓は、半分冗談のつもりで言ったが、信長の目が、かっと見開かれた。
「それだ!」
「えっ」
「その、まねきんとやらを持ち帰り、光秀に討たせる!」
「いやいや、さすがに近くで見たら……」
「光秀は、そのまねきんとやらを見たことがあるまい」
「そりゃあ、戦国時代の人なんだから、見たことはないでしょうけど……」
楓は、言葉に詰まった。
たしかに、設定の中では、通用するかもしれない。
(この人、設定の穴を、設定で全部埋めてくる……。このこだわり、すごいな)
蘭丸が、感動したように手を合わせた。
「さすが上様……死をも計略に用いるとは……」
「ふははは! 本能寺の変、もはや恐るるに足らず!」
「はいはい、設定が細かい。……でも、マネキンなら、ここらへんのお店には売ってないですね」
「なんと。では、どこにある」
「服屋さんとか、大きいショッピングモールとか。京都まで行けば、確実にあります」
「きょうと!? 京の都か!」
信長は、目を輝かせた。
「近いのか」
「車で一時間くらいです。ちょうど明日、私、休みなんで、連れてってあげますよ」
「ほう。感謝する」
「その格好だと目立つんで、ついでに服も買いましょう。二人とも、現代の服がないと困りますから」
「うむ。では明日、京の都へ参るぞ。蘭丸」
「は、ははっ!」
* * *
翌朝。
マンションの駐車場。
楓が指さした先には、小さな白い車が停まっていた。
「これ、私の車です。乗ってください」
「こ、これは……鉄の箱! 駅前で走っておった、あれか!」
「そうです。京都まで、これで行きます」
「一時間……! 馬で半日はかかる道を……!」
恐る恐る後部座席に乗り込んだ二人は、楓にシートベルトを締められた。
「上様、この紐は……」
「縛られたのか、わしは」
「安全のためです。動かないでください」
車が動き出した瞬間、信長と蘭丸は、そろって悲鳴を上げた。
「うおおおおおっ! 馬もおらぬのに動いておる!」
「上様! 景色が! 景色が飛んでまいります!」
「落ち着いてください。まだ四十キロです」
楓は、慣れた手つきでハンドルを握っていた。
ミラー越しに、二人の様子をちらりと見る。
(信長さんは騒がしいけど、蘭丸くんは窓の外を見る横顔まで絵になる。……撮っとこ)
信号待ちのたびに、楓はこっそりスマホで蘭丸を撮影していた。
やがて、車は高速道路に入った。
「上様、速すぎます!」
「初めて体験する速さではないか」
「今は時速100キロです。1時間に100キロ進む速さ」
「ふむ。それは、馬と比べてどうなのだ」
「馬ですか? 競走馬のサラブレッドなら、全力疾走で時速60キロちょっとです。私、新人のころ競馬番組のADだったんで、そこは詳しいんですよ」
「さらぶれっど?」
「競馬用に鍛え上げた、すごく速い馬です」
「そんな速い馬よりも速いだと」
「しかも、馬は全力で走ってもすぐバテます。この車は、何時間でもこの速さで走れます」
「何時間でも……」
信長は、ふたたび窓にへばりついた。
田んぼが、山が、あっという間に後ろへ流れていく。
「これが、未来の道か……」
その横顔は、さきほどまでの悲壮感が嘘のように、少年のように輝いていた。
「どうですか、信長さん」
「悪くない。いや、実に良い! 楓、もっと飛ばせ!」
「法律で決まってるんで、無理です」
* * *
一時間後。
車は、京都の中心部、四条河原町の近くの駐車場に滑り込んだ。
「着きましたよ」
車を降りた信長は、あんぐりと口を開けた。
「……なんだ、この人の数は」
歩道には、人、人、人。
観光客、学生、買い物客。
ビルが立ち並び、店の看板が空を埋めている。
「ここが……京の都……」
「今の京都は、観光地で、商業も盛んです」
「わしが上洛したころ、焼け野原が広がっておった。それが、これほどの……」
信長の声が、わずかに震えた。
「安土より、遥かに栄えておる」
「そうですね。でも、京都でも、東京や大阪から見たら、中堅くらいですよ」
「中堅、だと!?」
信長は、がくりと膝を折りかけた。
「これで、中堅だと……!?」
「上様! お気を確かに!」
「京都は、全国で見たら、大都市の一つですけど、東京と大阪が別格なんです」
「…………」
信長は、ゆっくりと立ち上がった。
その目が、メラメラと燃えている。
「面白い。ならば、この京の都を越え、東京と大阪をも越える。それが、わしの野望よ」
「はいはい。じゃあ、服屋さん行きますよ」
楓は、二人の背中を押しながら、内心でつぶやいた。
(この人、本当に何があっても折れないな。……面倒だけど、使えるかも)
こうして、信長たちは、京の都の雑踏へと足を踏み入れたのだった。
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