第5話 初任務
入団式から、数日が経った。
暴黒の獅子の拠点は、今日も妙に静かだった。
「……暇だな」
烈が大広間の床に寝転がり、天井を見上げたままぼやく。
「暇っていうか、仕事がないのよ」
千景が腕を組み、ため息混じりに言う。
依頼掲示板は、相変わらず空白ばかりだった。
暴黒の獅子=底辺クラン。
その評判は、まだ何ひとつ変わっていない。
陽翔はその様子を見ながら、
何とも言えない居心地の悪さを感じていた。
人は揃っている。やる気もある。
それでも、依頼が来ない。
そんな空気を破ったのは、月島だった。
「あの……ちょっと、いいですか?」
少し控えめに切り出された声に全員の視線が集まる。
「実は、近所のおばあさんから相談を受けて……
飼い猫がいなくなったらしくて」
「猫?」
烈が勢いよく起き上がる。
「依頼ってわけじゃないんです。
でも……すごくすごく困ってて」
月島は申し訳なさそうに言ったが、
その目にははっきりとした想いがあった。
陽翔は、その表情を見て思う。断れない。
というより、断る理由が見当たらなかった。
「……探しに行くだけなら、いいんじゃない?」
千景が渋々といった様子で口を開く。
「よし! 決まりだな!」
烈が即答する。
結局、陽翔・烈・千景の三人で探しに行くことになった。
────────
猫の特徴は、月島から事前に聞いていた。
白と灰色の混じった毛並み。首輪はなし。
人懐っこいが、驚くとすぐ逃げる。
三人は街を歩きながら、周囲に声をかけていった。
「すみません、この猫見ませんでした?」
だが…………相手の視線が、途中で逸れる。
胸元の紋章に、ちらりと目が向く。
「……あ、いえ、知りません」
明らかに距離を取られる反応。
それが、一度や二度ではなかった。
(……これが、評判……か)
陽翔は、胸の奥が少しだけ重くなるのを感じた。
千景が小さく舌打ちする。
「……仕方ないわね」
そして、きっぱりと言った。
「こうなったら、広く探すわ。
三人で別々に行動しましょ」
烈と陽翔が頷く。
「何かあったら、このアプリ」
千景はスマホを取り出し、画面を見せる。
「緊急事態用。押せば位置情報が送られるから
何かあったらすぐに押して」
「あと、電話はワンコールで出なさい」
「はい!」
「よろしい……いいわね?」
烈を見て、念を押す。
「……はいはい」
烈はわかってますよ、と手をヒラヒラしながら答えた。
三人は、それぞれ別の方向へ散った。
────────────
陽翔は、路地の多い区域を歩いていた。
そのとき。
「……あ」
路地の先を、白と灰色の影が横切った。
「あ、待って!」
猫だ。
陽翔は、反射的に追いかけていた。
だが、猫は細い路地へと入り込み、暗がりへ消えていく。
「……ちょ、待ってって……」
足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
湿った石畳。鉄のような匂い。鼻を突く、生臭さ。
「……?」
路地の奥で、人影が見えた。
倒れている……いや、倒されている。
血が、地面に広がっていた。
そして、その向こう。
立っている“何か”。
人の形をしている。
だが、陽翔の本能が叫んでいた。
────ヤバい。
目が合った、気がした。
次の瞬間、陽翔の体は硬直する。
思考が、完全に止まった。
視界の先────
倒れ伏した男の身体から、ゆっくりと血が滲み、路地の石畳を黒く染めていく。
息が、できない。
これは────
見てはいけない光景だと、本能が叫んでいた。
「……あぁ?」
低く、擦れた声。
フードの奥で、何かが動いた。
男が、ゆっくりと振り向く。
闇に溶け込むような黒い影の中で、その視線だけが、はっきりと陽翔を捉えた。
逃げなきゃ。
頭では分かっているのに、足が言うことをきかない。
次の瞬間だった。
地面を蹴る音。
風を切る気配。
男の身体が、一気に距離を詰めてくる。
「……チッ」
短く吐き捨てるような舌打ち。
腕が振るわれる。
ナイフの切っ先が、街灯の光を反射して鈍く光った。
────来る。
ようやく、身体が動いた。
反射的に身を捻り、壁に背中をぶつける。
ナイフは頬をかすめ、
冷たい風だけを残して通り過ぎた。
心臓が、耳鳴りみたいにうるさい。
「ほう……」
男は、わずかに口角を上げた。
「硬直してた割には………動けるじゃないか」
感情のない声。
それなのに、どこか楽しそうで……ぞっとする。
逃げ場のない路地裏。
壁と壁の間で、陽翔は完全に追い詰められていた。
「マズイ……!!」
その瞬間、頭をよぎるのは
千景の言葉。
『────何かあったら、アプリを押しなさい』
震える指で、ポケットの中のスマホを探す。
だが────
「……余所見をするな……!」
男が、再び踏み込んだ。
殺意が、はっきりと形を持って迫ってくる。
ここから先は、
もう「猫探し」じゃない。
これは────
陽翔が初めて直面する、
人の形をした〝脅威〟だった。
ナイフの切っ先が、再び迫る。
速い。
速すぎる。
(……っ)
身を引いた瞬間、背中が壁に当たった。
逃げ場が、ない。
男は距離を詰めながら、淡々と刃を振るう。
大振りじゃない。
殺すために必要な、最小限の動き。
「……はっ」
息を吐く音すら、無駄がない。
(この人……戦い慣れてる)
陽翔は歯を食いしばり、反射だけで身体を動かした。
避ける。かわす。ただ、それだけ。
反撃なんて考えられない。
ナイフが肩口を掠め、布が裂ける。
熱い感覚が遅れて走った。
「くっ……!」
足がもつれる。
次の瞬間、男の拳が腹に突き刺さった。
「ぐはっ!」
息が、一気に吐き出される。
身体が宙に浮き、壁に叩きつけられた。
視界が揺れる。
(立て……!)
膝に力を込めるが、思うように動かない。
男は、少し首を傾げた。
「……弱いな」
感想みたいに、そう言った。
でも、その目は油断していない。
「だが────」
男の手元で、何かが光った。
「────死んでもらおう」
小さな金属片。
それが、空中に放られる。
(────マズイ!!)
本能が叫ぶ。
次の瞬間、金属片が曲がった。
ありえない角度で軌道を変え、陽翔へと迫ってくる。
「っ!?」
身を捻る。
頬をかすめ、壁に突き刺さる。
終わらない。
二つ、三つ。
避けても、避けても、追ってくる。
(追尾……!?)
必死に路地を転がり、ゴミ箱を蹴り倒し、
視界を遮る。
それでも、刃は執拗に軌道を変え続けた。
「……面白い反応だ」
男の声に、僅かな愉悦が混じる。
素早く追尾してくるナイフを完璧には避けきれず
生傷ができ血が滴っていく。
(このままじゃ……)
魔法は使えない。
人に向けられない。
なら────
陽翔は、地面を蹴り、無理やり距離を詰めた。
「…………っ!」
男の懐に飛び込む。
完全な賭け。
一瞬、男の動きが止まった。
その隙に、体当たりするようにぶつかり
横をすり抜ける。
「……チッ」
舌打ち。
陽翔は、走った。
ただ、走った。
肺が焼ける。
足が悲鳴を上げる。
背後で、何かが壁に当たる音がした。
(……まだ、追ってきてる)
限界だった。
そのとき
ポケットの中で、スマホが指に触れた。
(……千景さん)
急いでスマホを取りだし
震える指で、画面を押す。
緊急事態アプリ、起動。
────────────
「……全然いないじゃないのよ」
千景は、苛立ちを隠そうともせず呟いた。
猫の影もない。
烈や陽翔からも連絡はなし。
(ほかの2人は何か手がかりを見つけただろうか…)
スマホを取り出し、烈に電話をかける。
「もしもし?」
『おー千景? こっちも全然みつかんねーぞ』
「はぁ? あんた本当に使えないわね」
『は!? お前はどうなん────』
烈が何か言いかけるが、
千景はそのまま通話を切った。
次。
陽翔。
コール音────1回。
……出ない。
眉が、きつく寄る。
「……?」
もう一度。
2回、3回。
出ない。
(ワンコールで出なさいって言ったでしょ)
そのとき────────
スマホが、短く震えた。
胸の奥に、嫌なものが広がっていく。
「……っ」
反射的に画面を見る。
表示された通知。
〈緊急事態 信号受信〉
地図が開き、赤い点が示される。
路地裏。
人通りの少ない、奥まった場所。
「……冗談じゃないわよ」
千景は、踵を返した。
走り出しながら、スマホを耳に当てる。
「烈、緊急事態!すぐ来なさい!」
『え? なに?何かあっ────』
「いいから!」
通話を切る。
(……無事でいなさいよ)
ツンとした表情の奥で、焦りが、確かに燃えていた。




