第43話 距離感
深夜、スマホの通知音が静かな部屋に響いた。
その音に反応するかのように、
陽翔の瞳がゆっくりと開く。
頬には涙の跡が残っていた。
あの日の記憶を見たせいだ。
「ここは……戻ってきたのか……」
目に映るのは、見慣れた病室の天井や、
薄暗い明かり。
全てが現実だと、少しずつ理解できる。
体を起こそうとした瞬間、筋肉に鋭い痛みが走る。
「痛っ……」
無理に体を起こすのを諦め、
陽翔は再び天井を見つめた。
あれから……どうなったんだろう……?
所々、記憶が蘇る。
七瀬との戦い。暴走した自分の姿。
「……あわせる顔がねぇ……」
自分だけが生き残った。
烈さんみたいに覚悟を決めることもできず、
姫華みたいに強く意志を持つこともできず、
そして千景さんには“選ばせてしまった”。
後悔の念が胸を押し潰す。
そのとき、かすかな声が耳に届いた。
「…陽翔?」
声の方を向くと、澪が立っていた。
不安そうで、でもどこか安堵の色も混ざった顔。
「澪……さん」
「よかった……目を覚ましたのね」
陽翔の声は震えていた。
「澪さん……すいません……俺の……俺のせいで……」
千景や烈、姫華が亡くなった事を
伝えようとしたが、言葉は喉に詰まった。
澪は微笑みながら言った。
「ほんと、あんた達は心配ばっかかけて……
体調万全になったら、一回殴らせなさい」
「……あんた……達?」
「そーよ、あんた達!烈と千景は絶対に殴るわよ」
「な、何言ってんすか……2人は……もう……」
「え、気づいてないの?ほらほら」
澪は手で横を指さした。
陽翔が視線を向けるとベッドの上に、
千景、烈、姫華が寝ているのが見えた。
「……え……生き……てる……?」
澪は小さく涙をうかべ、にっこり笑った。
「ほんっと心配したんだから!」
だが陽翔の意識は三人に向かっていた。
「生き……てる……生きてる……本当に……!」
思わずベッドに駆け寄ろうとするが、
体が言うことを聞かず、床に転倒してしまう。
「ちょっ!大丈夫!?」
澪が慌てて駆け寄る。
「生きてるんだ……3人とも……生きて……!
よかった……よかった……!」
陽翔は嗚咽を漏らしながら叫び、
涙が止まらなかった。
澪はそっと陽翔を抱きしめ、背中をさすった。
「……大丈夫よ、大丈夫。
今は私しかいないから、うんっと泣きなさい」
陽翔はその優しさに甘えて、ただ泣いた。
心の奥底に溜まっていた恐怖と後悔、そして安堵。
すべてが一気に溢れ出した。
陽翔はしばらくの間、涙を止められず、
澪に縋り体を震わせて泣き続けた。
嗚咽が次第に小さくなると、
疲れと感情の解放に身を任せ、
いつの間にか眠ってしまった。
「……あら、寝ちゃったのね……」
小さなため息をつき、ギリっと奥歯を噛みしめる。
「……すごく辛い思いをしたよね……」
澪の瞳には決意が宿る。
「……絶対に許さない」
七瀬やフードの連中に対する強い敵意が、
静かに、しかし確かにその顔に刻まれていた。
澪はそっと陽翔をベッドに寝かせ、部屋を出る。
その背中は守る者の強さを静かに示していた。
────────
翌朝、陽翔は目を覚ました。
「……あれ、朝……?」
昨日の記憶が鮮明に蘇る。
めちゃくちゃ泣いた。
しかも澪さんに縋りながら。
頬が熱くなり、思わず手で顔を覆う。
「……夢であってくれ……」
その声は、まだ心の奥の痛みを
抱えたままの震えだった。
澪は笑顔で近づく。
「おはよ。もう大丈夫? 昨日はよく泣いたから
ぐっすり寝れたんじゃない?」
はい、夢じゃなかったです。
澪さん、できれば触れないで欲しかったです……
言葉が出ずに固まる陽翔に、
澪は少し声を強めて言った。
「……もう、恥ずかしがんないの!
私、嬉しかったんだから」
陽翔は戸惑いながらも、かすかに口を開く。
「……嬉しい?」
澪はにっこり笑った。
「そーよ? だってここのみんなは強がりで、
涙なんか滅多に見せてくれないんだから」
陽翔は視線を横に向け、思わず小さく笑う。
「月島さんも……?」
「いや、あの子はすぐ泣く」
二人はふふっと笑い合う。
この何気ない、でも確かな温かさが、
今の陽翔には心の底まで染み渡っていた。
すると扉が開き、月島、近衛、雨夜が
部屋に入ってくる。
月島は駆け寄ると、嗚咽まじりに声を震わせた。
「陽翔くん……本当に良かった……!」
涙が止まらず、
顔をぐしゃぐしゃにして抱きつく月島。
近衛は静かに笑みを浮かべ、
雨夜も微笑みながら肩を軽く叩く。
「……良かったな、無事で」
「えぇ、ほんとうに……」
重く沈んでいた空気は、
少しずつ温かさに変わっていく。
月島はまだ涙を拭いながらも、なお興奮気味に言う。
「もう……絶対に無茶しないでね!」
雨夜は少し距離をとって、
陽翔の顔を覗き込み、声をかけた。
「……本当に無事でよかったよ」
「すいません、心配…かけて」
近衛は陽翔を見下ろすようにして言う。
「まぁ、無事でなによりだ。
ただ……今はしっかり休め」
陽翔は小さく頷く。
雨夜は肩をぽん、と叩き、陽翔に目を向ける。
「……まぁ、こうして元気な顔を見られるだけで、
僕もほっとするよ」
雨夜は優しく肩を軽く叩いた。
その場にいる仲間たちの温かさが、
胸にじんわりと染み渡った。
澪がにやりと笑い、陽翔の肩を軽く叩いた。
「ほらほら、みんなで押しかけたら、
陽翔も休めないわ。散った散った」
陽翔は思わず肩をすくめ、苦笑する。
澪の笑顔はいつものお姉さんらしい
安心感に溢れていて、胸の奥が少し温かくなる。
そのとき、月島がむぅーと唸り声をあげ、
慌てた足取りで部屋を出ていく。
「あ!私、りんご切ってくる!」
小さな音を立ててドアが閉まる。
陽翔は思わず、微笑を浮かべながら小さく呟いた。
「本当に温かいな……“暴黒の獅子”は」
澪はふふっと笑い、陽翔の肩をもう一度軽く叩く。
「全く、結菜ったら……じゃあ、陽翔。
何かあったら声かけてね。あっちの部屋にいるから」
「ありがとうございます」
陽翔は少し肩を落としながらも、
安心した表情を浮かべた。
澪が部屋を出ると、静かな病室に、
薄い光だけが柔らかく差し込む。
────────
しばらくして、月島がりんごを手に戻ってきた。
「はい、あーん」
陽翔は目を丸くして、
思わず手を伸ばすのをためらった。
「いやいや、自分で食べれますよ」
「まだ安静にしないと! あーん!」
月島は片手でりんごを差し出し、
もう片方で軽く手を添える。
陽翔の顔が少し赤くなったのを見て、
にやりと笑った。
仕方なく、陽翔は口を開け、
りんごを口に運んでもらう。
柔らかく甘い果汁が口の中に広がり、
体も心もほっとする。
年頃の男子にとって、“あーん”は
なかなかのハードルだ。
「月島さんって……結構頑固なところありますよね」
「そーなの。よく言われるの」
月島は肩を揺らしながら笑う。
「はい、あーん」
そのまま、ひたすら陽翔はりんごを
食べさせてもらう時間が続く。
「月島さん、もうお腹いっぱいです」
「そーいえばさ、月島さんじゃなくて、
結菜って名前で呼んでよ」
「えっ、でも、オーナーですし……」
「そーだけど、距離感じちゃうから……ダメ……?」
「じゃあ……結菜さんで」
陽翔は心の中で思った。
結菜さんって断れない何かがあるんだよな…。
月島が楽しげに陽翔の世話をしていると、
どこからか声がかかった。
「結菜、ちょっと手伝ってくれー」
月島は振り返り、残念そうにその場を離れていった。
陽翔はひとり、静かになった病室に残される。
窓から差し込む朝の光に目を細めながら、
陽翔はゆっくりと立ち上がる。
心の奥では、千景、烈、姫華のことが
気になって仕方なかった。
そっとベッドに近づき、それぞれの寝顔を見ていく。
「傷が……ない」
確かに、会ったときには命を脅かしていたはずの
傷が、まるで何事もなかったかのように消えていた。
「……何があったんだろう」
目の前で起きたはずの悲劇が消え去っていることに、陽翔は言葉を失う。
だが、三人ともまだ目を覚ます気配はなかった。
少し疲れた体をベッドに預け、
陽翔は静かに目を閉じた。
「……ちょっと寝よう」
そのまま、ひと眠りにつく。
朝の光の中、病室には穏やかな静けさが戻った。




