第42話 約束
雨夜は窓際の椅子に腰をかけ、
薄い光の差し込む病室を静かに見つめていた。
あの日から、すでに数日が経つ。
だが、陽翔も烈も千景も、
姫華もまだ目を覚まさない。
姫華は暴黒の獅子の施設に移され、
澪の治療を受けている。
全員、外傷はもう残っていない。
それだけは救いだった。
けれど意識は戻らない。
(……僕がもっと早く気付けてたら……)
浮かんだ後悔を振り払おうと、
雨夜はテレビに目を向ける。
画面には派手な赤テロップが流れていた。
『魔人による連続襲撃、全国各地で被害拡大』
アナウンサーが淡々と読み上げる被害状況。
映像の向こうで、
黒い影のような男が建物を吹き飛ばす。
(七瀬の……影響か……?)
七瀬の事を思い返すたび、胸の奥がざらついた。
そこで扉が軽くノックされた。
「おはよ」
澪が顔を出した。
白いコートの袖をまくり、
不安げな表情を浮かべたまま中に入ってくる。
雨夜は小さく息をついて尋ねる。
「……4人の容態は?」
澪はカルテを閉じ、苦しそうに言った。
「もう外傷は全部治ったわ……。
でも意識がいつ戻るかはわからない」
「……そうか」
その二言で、部屋の空気はさらに重たく沈んだ。
言葉は他にいらなかった。
沈黙を割るように、
今度は高低差のあるコンビが部屋へ入ってくる。
近衛と月島だ。
「……まだ目を覚まさないか……」
近衛の低い声が落ちる。
月島はベッドに近づき、
眠る陽翔を見つめながら言った。
「大丈夫、大丈夫。この子達は絶対起きる。
私は信じてるもん」
その言い方があまりにも真っ直ぐで、
近衛は口元をほころばせた。
「あぁ、そうだな」
重く沈んでいた空気に、ほんの少し色が戻る。
雨夜はふと思い出したように口を開いた。
「そういえば……白銀さんの代償って、
結局なんだったんですかね?」
澪も腕を組みながら頷く。
「そーね……結局教えてもらえなかったし……」
近衛は手袋を外しながら淡々と言った。
「話したくないことは誰にだってある。
あまり詮索してやるな」
雨夜と澪は同時に小さく返す。
「……はい」
その瞬間、テーブルの上のスマホが震えた。
1本の着信。
画面には『白銀 正時』の文字が光る。
近衛が受話器を耳に当てた。
『………姫華は目を覚ましたか?』
「すまない……まだだ」
『いい、謝るな。一つ話があるんだ』
「……話?」
『あぁ、最近魔人の連中の襲撃が、
多発してるのはニュースで見たか?』
「見たが……それがどうした」
『俺は七瀬の影響だと……考えている』
近衛は眉をひそめる。
「……七瀬が裏切ったタイミングでこれだからな。
関係なくはないだろう」
『これから魔人との戦いが増えると、俺は思う。
だが──魔人と戦い、勝てる戦力が、
今の東京にどれほどいる?』
近衛は沈黙した。
その問いは冗談でも悲観でもなく、
ただ現実そのものだった。
「若手には厳しい話だな」
『その通り……若手には厳しい話だ。
命を落とす確率も高いだろう……だからこそ
若手育成をしようと思う』
白銀の声は低く落ち着いていた。
近衛は眉を寄せる。
「若手育成?」
『やる気のある若手を合同強化訓練に招待する。
鍛え、魔人に対抗できる戦力を作る』
「……そうか。だが、生憎うちの若手は
まだ目を覚ましてないんでな」
『分かっている。目を覚ましたら参加の意思が
あるか聞いて欲しい』
近衛は少し黙った。
白銀はその沈黙を読んだように続けた。
『もちろん、本人の意思を尊重してくれ。
あんな事があった後だ。
心が折れていても仕方ない』
「……そうだな」
白銀は僅かな間を置いて、言葉の調子を変えた。
『……頼みがある』
「頼み?」
『一真、雨夜、澪。お前たちに講師として
訓練に参加して欲しい』
近衛は思わず息を呑む。
「他に適任がいるんじゃないのか?
俺たちじゃ周囲の信用がないだろう」
『ふん。何を言ってる。
俺はお前を信用している。それで充分だ』
「……だが」
白銀は言葉を切らなかった。
『頼む』
短い一言だった。
押し付けではなく、確かな信頼がにじむ声音。
近衛はしばらく目を閉じてから答えた。
「……仕方ない。受けよう」
『助かる。日時は追って連絡する』
「……あぁ。またな」
通話が切れる。
部屋は静かになった。
「なんか僕達が講師に……って話が
聞こえたんですけど、冗談ですよね?」
雨夜が半ば笑いながら入ってくる。
澪も腕を組んで呆れたように言う。
「そんな話来るわけないじゃない、
冗談に決まって──」
近衛は真顔で言った。
「冗談じゃない。ガチだ」
雨夜と澪は同時に固まった。
「ガチですか」
「ガチなのね」
雨夜が頭を抱え、澪は深く溜息をつく。
「でも……あの子達はまだ目を覚ましませんし……」
「そうねぇ。正直、他の子を鍛えるくらいなら
あの子達を鍛えたいわ。
もう……あんな思いはさせたくないもの」
近衛は静かに言った。
「分かってる。だが正刻の頼みだ。断れん」
その声には葛藤が滲んでいた。
「俺はな……あの三人が、やられっぱなしで
終わるような奴だとは思っていない」
雨夜は少し笑った。
「……確かに。負けん気の強さは人一倍ですもんね」
澪も肩をすくめた。
「あの三人は、“前に進む強さ”を持ってるもんね」
その時だった。ずっと黙っていた月島が口を開いた。
「ちょっと……待ってください」
近衛が振り返る。
「どうした」
月島は息を震わせながら言った。
「私は……3人が参加したいと言っても反対です!」
突然の語気に、部屋の空気が変わる。
「烈くんも千景ちゃんも陽翔くんも……
この前もボロボロで……!」
目には涙が浮かんでいた。
「烈くんと千景ちゃんは一回死んでるんですよ!?
白銀さんがいなかったら……
そう考えるだけで……私は……!」
声は震え、感情が溢れた。
「陽翔くんだって……入ったばかりなのに……
ずっとボロボロで痛い思いして……!」
近衛の胸に刺さる言葉だった。
月島は唇を噛み、言葉を絞り出した。
「私は確かに、“暴黒の獅子”を
変えたいと思いました!
でも……だからってみんなに
無茶してほしいなんて……全然思ってない!!」
沈黙が落ちる。
雨夜も澪も反論できなかった。
月島は拳を握りしめる。
「鍛えるとか……強くなるとか……
大事なのはわかってます。
でも……それでもやっぱり……みんなには
自分の〝命〟をもっと大切にしてほしい!!」
近衛は目を伏せ、雨夜は胸が痛む。
澪は優しく、しかし寂しそうに微笑んだ。
「……結菜ちゃんの言うことも正しいわよ。
誰も死んでほしくはない。それは私だって同じよ」
近衛は長い沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
「……生きてほしいんだよ」
月島は涙の残る目で団長を見る。
近衛は正面から続けた。
「俺はあいつらに死んでほしいなんて、
欠片も思っていない。
むしろ逆だ。生きていてほしい」
拳が震わせることなく握られた。
「そのためには“強さ”が必要なんだ。
魔人は待ってくれない。容赦もない。
……常に命懸けだ」
雨夜は息を飲んだ。
それは現実だった。
「だから多少無茶もするし、鍛える。
勝つ為に、死なない為に、守る為に」
近衛は視線を外に向けた。
冬の陽光が静かに街を照らしていた。
「結菜。お前が願った“変わる”は俺も同じだ。
……ただ、“強くなる”を避けては辿り着けない」
結菜は沈黙のあと、小さく息を震わせた。
「じゃあ……約束…してください……」
その願いは幼く、それでも強かった。
「みんな……死なないで……」
近衛は迷わず答えた。
「あぁ。約束だ」
沈黙の中陽翔の手が、布の下でわずかに震えた。
指先が空気を探るように、ほんの一瞬だけ動いた。
そこに気づく者は誰もいない。
それでも陽翔は、
確かに“外側の世界”を感じていた。




