第41話 強さと愛
──映像が切り替わる。
次に映ったのは、あの日の庭だった。
誕生日の翌日の朝。
空は晴れて、風は少しだけ涼しかった。
父が《暁月》を肩に乗せながら庭に出てくる。
陽翔はまだ小柄で
鍔迫り合いもまともにできない腕だったが、
それでも胸を張って父を待っていた。
──俺はそれを、外側から見ていた。
まるで古い記録映像みたいに。
「天気が悪いな……だかしかし!
陽翔、まずは素振り百本だ」
「えぇー……」
文句を言う声も、当時のまま幼い。
「昨日誕生日だったろ。
なら今日から九歳の修行だ」
「なんで誕生日の後に修行なの……?
休みでよくない……?天気悪いし……」
父は直接答えず、穂先を地面に立てて言った。
「強くなるのに休みはいらん」
母は縁側でクスクス笑っていた。
「……この人そういうところあるのよ」
そして小さく付け足す。
「でも、それが強さの秘訣かもよー?」
映像の母はそう言いながら麦茶を差し出し、
陽翔はぐびぐび飲んで、
そして百本の素振りが始まった。
────────
素振りが終わると、
手のひらは真っ赤になっていた。
父は陽翔の手を取って、
指先を開かせながら言った。
「陽翔。強さってのはな……
ただ勝ったり殴ったりすることじゃない」
陽翔は息を切らしながら見上げる。
父は続ける。
「本当に強いってのは、
大事な人のために体を張れる事だ」
少しだけ間があった。
「傷ついても。折れても。命が尽きても」
母がすぐに口を挟んだ。
「命が尽きるとか言わないの。やめなさい」
だが父は笑う。
「まあいいだろ。これは覚悟の話だ」
陽翔は唇を結んで、
それを胸に刻むように頷いた。
当時は理解なんて曖昧だったはずなのに、
今見ている俺は息が詰まりそうだった。
その言葉を、本当に使う日が
来るなんて思わなかったから。
────────
「今日から本格的に魔力の稽古をするぞ」
父が指先を弾く。
空気がわずかに震える。
「魔力は刀と違うが……本質は変わらない。
扱いを間違えれば誰かを傷つける」
「……うん」
「だからこそ稽古だ!
陽翔。お前は魔力の量が人より多いからな」
母は縁側で心配そうに腕を抱く。
父は陽翔の胸に手を当てた。
「深く吸って、押し出すように流せ」
陽翔は息を吸い、目を閉じ、魔力を流し始めた。
最初は少し暖かいだけだった。
「……そうだ、いい。それを循環させろ」
だが徐々に空気がざらつき、
母の表情が強張っていく。
「ちょっと、大丈夫?なんか……変よ」
父も眉を寄せる。
「……確かに。陽翔、そこで止め──」
言い終わる前に魔力は膨れ上がった。
雷鳴に似た音が空気を裂き、
黒い光が指先から溢れた。
「陽翔!止めろ!」
陽翔は止めようとする。
だが魔力は逆方向に流れ、暴れ始める。
「や……やだ……止まんない……!」
黒い雷光が庭に叩きつけられ、
地面を焦がし、空気を裂いた。
母が悲鳴を上げる。
「陽翔!!」
「あ゛ぁ゛ぁぁぁ!!」
陽翔の瞳が黒く輝き──そして開いた。
《──魔眼が開いた瞬間だった。》
俺はそこを見て息を呑んだ。
映像の自分は幼く、恐怖に震え、
そして制御できずに魔力に押し潰されていた。
黒雷がさらに暴れ、
母が近づこうとして弾かれる。
父も黒雷に阻まれて地面に転がった。
「陽翔!!大丈夫か!?」
黒雷は地面を割り、石畳を砕き、
庭を越えて家の壁へ直撃した。
ドンッ!!
壁が一瞬で穿たれ、木材と瓦礫が飛び散る。
黒い焦げ跡が花弁のように広がった。
「陽翔、元に戻って!」
母の声すら雷鳴にかき消される。
父は腕で顔をかばいながら叫んだ。
「なんて魔力だ……!これはマズイぞ」
黒雷は一本ではなかった。
枝分かれし、触れたものを裂き、
穿ち、爆ぜさせた。
木々は燃え、庭の地面はえぐれ、
家の梁までもが揺れる。
映像の中心で、小さな陽翔は片膝をつき、
両目から黒い光を漏らしていた。
その周囲の空間は歪み、空気が震えていた。
「い、痛い……!熱い……!!」
幼い声が悲鳴に変わる。
鼻から血が落ち、口元からも赤い泡が溢れ、
耳の奥で何かが弾ける音がした。
止めようとしても魔力は逆流し、
さらに暴れた。
風ではない。衝撃波だった。
黒雷が家の反対側まで抜け、
民家の方向へ向かう。
母が青ざめる。
「──このままじゃ、陽翔が……!!」
父の表情がそこで変わった。
迷いが消えた。
「……わかってる……!」
父は腰の《暁月》を抜いた。
一歩踏み込むだけで衝撃波が顔を削る。
「……と……さん……か……さ……助け……」
陽翔の声は助けを求めていた。
だが黒雷は陽翔の意思すら無視し、
荒れ狂うだけだった。
父は黒雷の束を刀で斬り払う。
近づくにつれ激しさを増していく。
切った瞬間に次々と襲いかかる黒雷。
防ぎきれず父の身体を焼いた。
皮膚が裂け、煙が立つ。
母も動いた。
愛する子供の為。
黒雷が自身の体を焼こうが、
どうでもいい事だった。
「陽翔!!聞こえてる!?
戻って!!お願い!!」
その声も届かない。
父が低く、静かに言った。
「……母さん」
母が振り返る。
「このままじゃ、陽翔が死んでしまう」
父の目はもう覚悟を決めていた男の目だった。
「────覚悟を決めるぞ」
母の喉が震えた。
「……うん」
説明も確認もなかった。
それ以上は必要なかった。
二人は同時に陽翔へ走る。
黒雷が二人の身体を何度も貫く。
焦げた肉の匂いが映像越しにでもわかる。
骨が砕ける音。
肉が裂ける音。
皮膚が焼ける音。
それでも止まらない。
それでも前に進む。
(……やめろ……こんなの……)
大人の陽翔の視界が揺れた。
母の腕が焼け落ちそうになりながらも伸びる。
父の足は何度も折れ曲がりながら踏み出す。
そして……
────二人は陽翔の身体を同時に抱き締めた。
黒雷が二人の体表で暴れ、
皮膚を裂きながらそれでも陽翔を包む。
父が歯を食いしばる。
「陽翔……!!頼む……止まってくれ……!!」
母は涙を流しながら叫んだ。
「帰ってきて!!陽翔!!
お願い!!大丈夫!大丈夫だから!」
幼い陽翔の身体が震え、
瞳の光が揺らぎ、黒雷が弱まる。
ここで初めて大人の陽翔は理解した。
──二人は陽翔を助けるために死ぬつもりだった。
助けるため“だけに”。
その瞬間、黒雷は霧のように消えた。
そして、父と母の身体はもう限界だった。
黒雷が薄れ、空間を包んでいた圧が
ゆっくりと解けていく。
陽翔の膝が地面に落ちた。
呼吸は途切れ途切れで、
喉の奥から血の泡が漏れる。
「は……ぁ……は……っ……」
全身の毛穴という毛穴から血が滲み、
爪の間まで赤く染まっていた。
幼い身体にはあまりにも負荷が大きすぎた。
それでも両親は離さなかった。
父の腕は焼け落ちそうなほど焦げていた。
皮膚は黒く、指は震えていた。
《暁月》は片方の手から滑り落ち、
地面に突き刺さっていた。
母の身体も同じだった。
肩は裂け、肋骨は折れ、
呼吸するたび音が鳴る。
それでも二人は陽翔を抱いたまま顔を寄せた。
陽翔の魔眼が閉じ、黒雷が完全に消える。
静寂。
風の音すら、遠い。
大人の俺はこの映像を
“外側”から見ているだけなのに、
肺が焼けるほど苦しかった。
(……もう………やめてくれ……)
父が、ゆっくりと息を吸った。
「……よかった……戻ったな……」
母も弱く笑った。
「陽翔……怪我、大丈夫?痛いよね……?
ごめんね……早く助けてあげられなくて……」
(……違う……謝んなよ……俺が……!俺が!)
幼い陽翔は震えながら
言葉にならない声を漏らした。
「あ……ぁ……あ……ぁ……おと……おか……」
それを言おうとした瞬間。
視界に映る両親の全身が
血で濡れていることに気づいた。
途端に幼い陽翔の顔が恐怖で崩れる。
「ち……が……なんで……
なんで……そんな……」
父が陽翔の頬に手を当てようとした。
だが腕が途中で力を失い、
荒れた地面に落ちた。
それでも父は笑った。
「……心配するな。
お前が無事なら……それでいい」
母も陽翔の頭を撫でる。
「……ごめんね……本当はもっと……
傍にいたかったのに」
声が震え、涙と血が混ざった。
幼い陽翔は必死に否定する。
「い……いやだ……!いやだ……!
なんでもするから!稽古も毎日するし、
野菜も全部食べる!……だから……だから!」
叫びは泣き声に変わる。
父はゆっくりと陽翔を見据えた。
「陽翔……覚えておけ」
荒い息の合間に言葉を押し出す。
「強いってのは……ただ勝つって事じゃない……」
映像の外側で大人の俺の胸が刺された。
(……それ……)
父は続ける。
「本当に強いってのは……
大事な人のために……体を張れることだ」
母が微笑む。
「……この子は……大丈夫……
だって私達の子だもの……」
父が喉の奥に血を詰まらせて咳き込む。
「ゴホッ……!ゴホッ……!」
母も呼吸が浅くなり、声がひゅうと漏れる。
陽翔は父の服を掴みながら泣き叫ぶ。
「やだ!……やだぁ!」
父は目を閉じる前に最後の力を振り絞った。
「──陽翔」
呼ばれた名に陽翔は顔をあげた。
父はまっすぐに言った。
「強く、生きろ」
母も続ける。
「ちゃんと……好き嫌いせずに……
いっぱいご飯を食べるのよ……」
父が、息を詰まらせながら笑う。
「それと……刀の稽古も……
サボるんじゃ……ゴフッ!」
母が苦しそうに笑った。
「あなた……もう……私……」
父は小さく首を振る。
「あぁ……そうだ……まだ言ってないことが……
一番大事な……」
母が父の胸に額を寄せる。
「私も……一つだけ」
そして二人は陽翔を真ん中に挟んだまま、
息を揃えた。
「「……陽翔……」」
声は掠れていたが温かかった。
「────愛してる」
二人の身体が陽翔から力を失い、
ゆっくりと倒れ込む。
幼い陽翔は声にならない悲鳴をあげた。
「いやだいやだいやだいやだ……!!
やだぁぁぁぁぁぁ……!!」
その叫びが響いた瞬間。
映像が弾け飛び、闇に落ちる。
大人の陽翔はその場に立ちすくんでいた。
涙が頬を伝っていた。
(……俺は……ずっと勘違いしてた……)
俺が一方的に殺したと。
両親は俺を恨んでると。
両親は──
俺を救うために死んだ。
そして最後に残したのは罪じゃなくて
────愛だった。




